「ぼくのママのこと、絶対に離さないで」

 鈴蘭と師央が立ち上がった。ふらつきながらも、自力で立って歩いた。海牙と合流する。未来の自分たちから、ちょっと離れた場所だ。


 数年後の姿を見るのは気恥ずかしい。それは全員、同じみたいだ。


「未来のことは、未来の彼らに任せましょう」


 海牙がそう言った。未来の海牙が、笑ってうなずいた。

 オレは、みんなの顔を順繰りに見た。鈴蘭、師央、海牙。バトル続きで汚れて疲れて、緊迫感はまだ続いている。


「次は、白獣珠と青獣珠だな。何を願う必要がある?」


 海牙がポケットから何かを取り出した。白獣珠と青獣珠だ。


「正木が持ってたんですよ。これで、最低でも四つの四獣珠がここに揃っている。割と何でも叶うかもしれませんね。運命の一枝さえ、ブチ抜けるんじゃないですか?」


 鈴蘭が、胸元から青獣珠を引き出した。


「わたしたちは、この一枝に影響を与えた。師央くんのループを止めることを願って、四獣珠のチカラに頼らないことを選んだ。だから、わたしたちの望む一枝には二種類あるんじゃないかって思うんです。このままこの地点から進む一枝と、まったく違う、四獣珠のない一枝。四獣珠があってもループがない一枝も、あるかもしれないけど」


 海牙が肩をすくめた。


「仮説に仮説を重ねて、どうなることやら。何ひとつ、確証はつかめないけどね。ただ、願うことだけはできますよね。この一枝が分かれるにせよ、分かれないにせよ、別々の一枝が並走しているにせよ、どんな一枝であっても、未来がうまくいきますように」


 鈴蘭が、師央が、うなずいた。

 オレは深く息を吸い込んだ。その名に呼びかける。


「白獣珠、応えろ」


 胸元で、小さな熱が脈打った。オレのペンダントの白獣珠だ。海牙の手の中の白獣珠も、チカチカ輝き出す。

 鈴蘭が、祈るように目を閉じた。


「青獣珠も、お願い。わたしたちの声に応えて」


 二つの青獣珠が光を放つ。鈴蘭の声に応えて鼓動する。


「オレたちがやりたいこと、聞こえてるか? 未来を変えたい。どんな一枝になってもいい。望むのは、争いのない日常。生きたい道を進める未来。必要な代償の数は、いくつだ?」


 すぅっと、白獣珠が、オレの胸元の鎖を簡単に断ち切って浮き上がる。同じように、鈴蘭の青獣珠が、海牙の手のひらの上の二つが、ふわりと宙に浮かぶ。どこからともなく、もう一つ。白い輝きは、五年後のオレの白獣珠だ。


 海牙が苦笑いした。


「あるだけ全部、持っていかれるんですか」


 師央が、やっぱり苦笑いしながら、かぶりを振る。


「白獣珠が、足りないって言ってます。そんな願いは欲張りすぎて、五つじゃ足りないって。完全な幸せなんて編み出せないって」


 白獣珠のぼやきは、オレにも感じ取れた。鼻を鳴らしてやる。


「お膳立ては最低限でいい。オレたちは自分の力で幸せになる。完全な幸せなんて、かえって不幸だ。必要なんだよ。悩んだことも、迷ったことも、立ち止まってたことも、今のオレを創るために、絶対に必要だった」


 孤独だった。絶望していた。苛立っていた。信じられるものなんて、ほとんどなくて。

 だからこそ、なおさら、心の通じ合う人たちと出会えたこと、その偶然みたいな必然が大切に思える。


 師央が突然、下を向いた。


「会えなくなるんですよね。ここから新しい未来が始まって、それぞれの時代に戻ったら、同じ高校に通うことは、もうできないんですよね」


 オレたちの前から、師央がいなくなる。当然のことだ。四獣珠が願いを叶えたら、オレたちは過去へ戻される。師央は未来へ戻される。


 うつむいた師央の嗚咽が聞こえた。オレは師央の肩を抱いた。


「泣くな、師央。そうすぐに泣くもんじゃないだろ?」

「あ、あきらさんたちの、せいですっ。ぼく、泣いたこと、なかったのに。過去に戻って、なぜか涙もろくなって」


 泣けないのは、気を張って生きてきたからだ。両親もなく、襲撃から隠れて、きっとあまりにも必死だった。


   ――すまなかった――

   でも、その未来は消滅したから。


「戻ったら、両親や伯父貴に甘えろ。おまえが頑張ったから、そいつらも生きてるんだ」


 師央が、ごしごしと顔を拭った。オレは師央の肩を軽く叩いて、体を離した。


「煥さんも、心配ですよ。朝ごはん、ちゃんと食べてくださいね。栄養が偏らないように、野菜も食べて。ケンカばっかりしないでください。バンド、頑張ってください。もっとたくさんの人の聴いてもらって、ほんとの煥さんを知ってもらってください。歌ってるときがいちばんカッコいいんだから。それと、文徳さんとも、仲良くしてください」

「ああ。兄貴にも伝えとく」


 師央が顔をくしゃくしゃにして笑った。


「それと、すなおになってくださいね。恋、してください。ぼくのママのこと、絶対に離さないで」


 オレは一瞬、頭が止まった。ぼくのママ? 一拍遅れて、意味がわかる。鈴蘭が、さっと顔を伏せた。黒髪からのぞく耳が、あっという間に赤い。オレは右手を差し伸べて、鈴蘭の小さな左手を握った。


 鈴蘭がパッと顔を上げる。見張った目が、オレをとらえた。その青い瞳を一度しっかり見つめて、それから再び師央に視線を向ける。


「これでいいんだろ?」


 師央がうなずいた。


「初めて見ました。煥さんがにっこり笑うところ」


 鈴蘭と海牙のまなざしを感じた。二人とも微笑むのがわかった。オレは左手で、自分の頬に触れた。どんな顔、してるんだろう?


 宙に浮いた白獣珠と青獣珠が、チカチカと、せわしなくまたたいた。さっさとしろ、と。


 わかってる。白獣珠、あんたとの付き合いも長かったよな。そばにあって当然の存在だった。そう考えると、少し寂しい。まあ、ろくに言葉を交わしたこともなかったが。


 因果の天秤に、均衡を、か。狂った均衡を戻すのが、あんたの役割で本能なんだろ? オレたちの選ぶ未来を、あんたは今のところ、嫌がってねぇみたいだ。

 オレたちなら大丈夫。これから先も、あんたの嫌がる天秤の揺らし方はしねぇよ。


 海牙がオレの肩に手を載せた。


「どの地点まで戻されるんでしょうか?」

「やってみないことには、わからないな。海牙は敵に回したくない」

「同じくです。友達くらいがちょうどいいかな」


 鈴蘭が少し伸び上がって、師央の栗色の髪を撫でた。


「元気で、また会おうね」

「はい。寧々さんたちにも、よろしく」


 オレは、鈴蘭と師央と海牙と、うなずき交わした。そして告げた。


「オレたちは願う。オレたちらしく生きられる、新しい未来を。代償は、白獣珠と青獣珠!」


 澄んだ五つの輝きが、爆発した。


 白獣珠が最後に、まるで朗らかに微笑むみたいに、解放されたと言った。因果の天秤を知り、因果の天秤を体現し、その均衡を崩す者を憎み、あるいは排除する。願わぬ戦いのさだめ、人間の欲に惑わされる存在であることから解放された。


 ご苦労さん。もう休め。ここから先は、オレたちがどうにかやるさ。じゃあな。


 そして、すべてが光に呑まれた。



***



 ときどき、妙な夢を見る。


 夢の中のオレは、現実のオレにそっくりだ。銀髪の悪魔と呼ばれているし、ひねくれ者で、バンドマンで、兄貴にだけは、どうもかなわなくて。


 でも、一つだけ違ってる。夢の中のオレは超能力者だ。光のバリアを張って、銃弾を防いだりする。


 ガキっぽい夢だ。でも、実は相当、気に入ってるのかもしれない。しょっちゅう見てるんだ、その夢。一度や二度じゃなくて、数えきれないくらい何度も。


 何の映画の影響なんだろう? バリア、か。本当に使えれば、ケンカの役に立つか?

 そんなもんなくても、オレは強いんだが。



***



 夕暮れどきを川沿いで過ごすのが好きだ。五月に入って、気候も温かくなった。


 川沿いは、芝生敷きの広場だ。平日の昼は、年寄りや主婦の散歩コース。休日になれば、子どもらの遊び場。


 でも、昼間だけだ。西日が差し始めると、変わる。すっと、ひとけがなくなる。


 左耳のイヤフォンが鋭いギターを鳴らした。フィニッシュを待たずに、オレは音楽プレイヤーの電源を切る。


 感じる。気配と音を。


 バイクのマフラー音は、まだ遠い。足音が近い。オレは振り返った。赤い特攻服の連中がいた。ざっと数える。十三人。


 オレの背後から忍び寄る予定だったらしい。それより先に、オレが気付いた。連中は開き直った。走って距離を詰めてくる。手に手に武器を持っている。


 あの悪趣味な赤は、隣の町のやつらだ。


「煥、あいつら面倒だぜ! 気を付けろ!」


 背の高い男がオレに注意を促しながら、駆けてくる。少し遅れて、二人。全員、襄陽の生徒だ。オレは背の高い男に向き直った。顔を見たことある気がする。


「キョトンとするなよ、煥。去年も今年も同じクラスだろうが! 順一だよ、尾張順一」

「あ、そう」

「クールだな、相変わらず。後ろのは、妹分の寧々と弟の貴宏だ」


 赤服の連中が、間合いを挟んで立ち止まった。真ん中の男がリーダー格らしい。ニヤニヤしながら口を開いた。


瑪都流バァトルの銀髪野郎に、烈花の残党! 締めてぇやつらが揃ってやがる! ラッキーだな、おい!」


 順一がニヤリとして、ささやいた。


「共同戦線ってことで、いいか?」

「信用できるんだな?」


 河原の土手の上に、見慣れたシルエットが現れた。けっこうな人数だ。先頭の男がオレに声をかける。


「読みが当たったよ。煥と元・烈花の三人の四人が集まるところに緋炎が来るはず。それも、多勢に無勢を狙った総力戦でな」


 ああ、そういえば、赤服の連中は緋炎とかいう名前だった。緋炎のリーダー格がわめき散らす。


「瑪都流の生徒会長さまは姑息だよな! つねに罠を仕掛けてやがる! しかも、自分の弟を餌にするか?」


 そのツッコミは、オレも入れたい。今回、オレは何も知らされてなかったぞ。


 バイクのマフラー音が近付いてくる。姿が見えた。川沿いを、下流のほうから走ってくる。土煙が凄まじい。さいわい、こっちが風上だ。


 ふと、別の方角から、一台近付いてくる音。オレは土手の上を仰いだ。バイクが止まった。ひょいとバイクから降りる男に、兄貴が片手を挙げる。


「援軍か?」

「そういうことだ」


 一人きりの援軍がオレたちと合流した。明るい色の髪に、垂れ目の男だ。瞳は朱い。


「初めましてだね~。おれ、長江ひと。文徳のタメで、親友だよ。よろしく~」


 軽いノリのしゃべり方が、なんか疲れる。


 緋炎の大量の増援も、バイクを止めた。わらわらと、陣を組み始める。人数だけは、そこそこいる。ザコばっかりみたいだが。


 土手から身軽に近付いてくる男がいる。グレーの詰襟。緩く波打った髪。目は緑がかっている。彫りの深い顔立ちには笑みがある。


「ずいぶん戦力差があるみたいですね。加勢しましょうか、瑪都流の皆さん?」


 兄貴が首をかしげた。


「きみ、確か大都の阿里海牙くん?」

「あれ、知ってました?」

「全国模試で一桁順位だろ」

「そう言う伊呂波文徳くんこそ。このへんでは、有名人ですよね」


 次々と現れる、わけのわからないやつ。オレはうんざりしてきた。


「その大都の優等生が、今ここに何の用だ?」

「だから、手伝いたいんですよ。緋炎には迷惑してましてね。大都の生徒と見れば、カツアゲしてくるんです。ぼくは、よく反撃して遊んでるけどね」

「遊んでる?」


 大都の優等生は飄々ひょうひょうと笑った。


「優等生も、ムシャクシャすることがあるんです。たまにはこうして息抜きしないとね」


 瑪都流と、奇妙な援軍たち。一定の間合いを挟んで、隣町の族、赤い特攻服の緋炎。にらみ合いが始まる。さあ、どこから攻めようか。


 そのときだった。横合いから声が割り込んだ。


「あなたたち、何をしているの!」


 女の声。よく通る声だった。キレイな響きに、一瞬、気をそがれた。姿を見た。襄陽の制服を着ている。着方がまじめだから、進学科か?


「って、おい、こっちに来るな!」


 女が、すたすたと近寄ってくる。オレたちと連中の間に割り込むみたいに。


 兄貴と、チラッと目配せした。兄貴がオレに無言でうなずいた。オレは女のほうへ駆け出す。緋炎のほうからも男が三人、陣を外れて、その女に向かっていく。


「危ねぇだろうが! 下がってろ!」


 オレは女を背中にかばって、緋炎の連中を、まとめて蹴り飛ばした。


 オレの背中に、手が触れようとした。迫る気配にとっさに反応して、払いのけた。軽すぎるような手応え。


「痛っ」


 女の声。しまった、と気付く。小柄な女がまっすぐにオレをにらんだ。


「いきなり暴力的なことをするなんて。あなた、ちょっと失礼ですよ!」

「今のは、すまん。ただ、オレに触ろうとするな。苦手なんだ」


 にらんだ目が、くるっと表情を変えた。驚いた、みたいな。


 まともに、その女の顔を見た。オレも驚いた。


 黒くて長い髪、白くて小さな顔。作り物かよ? と思うくらい完璧な顔立ち。でも、違う。生き生きと輝く、大きな青色の目。まっすぐな怒りの表情。ふと視線を惹きつけられた唇は柔らかそうで、オレは思わず息を呑んだ。


 なつかしい。

 いや、違う。会ったことはない。名前も知らない。

 なのに、なぜ?


 見つめ合ったのは一瞬だった。オレは女の手を握る。迷いはなかった。瑪都流の陣のほうへと、女を連れていく。


「こっちだ。じっとしてろ。守ってやるから」


 守る――その響きも、なぜか、なつかしい。

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