八幕:闇夜之襲撃者

「聴かせたがってる感じがする」

 この町のシンボルは、港だ。昔は外国船も多くて、にぎわっていたらしい。大きな歓楽街もあった。今はそれほどの活気はない。少し寂れた造船の町だ。


 海沿いには大きな倉庫が、ずらりと南北に連なっている。市街地から近い南側の一角は再活用されて、酒場街になってる。酒場街のすぐ北は、現役の倉庫が数棟。


 倉庫を改装した酒場街に、カルマというバーがある。カルマでは二ヶ月に一回、イベントがある。シンプルに、ガレージライヴと呼ばれる音楽ライヴだ。


 オレたち瑪都流は、ガレージライヴの常連だ。結成当時から、ほぼ毎回、出演している。昔は年齢を詐称していた。中学生だったくせに、高校生だと言い張っていた。今ではとっくにバレている。オレたちの年齢も素性も、オレが銀髪の悪魔だってことも。


 ステージは、いちばん低い場所。見下ろすように、ぐるりと客席が組まれる。酒とつまみを手にした聴衆たち。高い天井をかすませる、タバコの煙。


 ガレージライヴは、小汚くて乱雑な空間だ。でも、オレはカルマで歌うのがいちばん好きだ。バイクを飛ばすのと同じくらい、いい。自分が透明になる。風にも水にも炎にもなれる。


 ただし、今日は微妙に気掛かりがある。何か言われる前に、釘を刺しておいた。


「来なくていい」


 何度も刺しておいた。でも、鈴蘭のやつ、来そうな気がする。


 師央は仕方ない。留学帰りのひとも、久々に来たいだろう。海牙も羽目を外すのが好きなやつだし、寧々や貴宏や順一は族としての瑪都流メンバーだ。だけど、鈴蘭は関係ないはずで、ライヴ上がりは夜も遅くなる。


 夕方、瑪都流の倉庫で、寧々と貴宏に笑われた。


あきら先輩の言い方だと、逆ですよー。お嬢、むしろ行きたくなると思う」

「そっぽ向いて『来るな』って。ただのツンデレなセリフにしか聞こえないっすよ」


 オレと同じクラスの順一もニヤニヤしている。


「どうしてそこまで嫌がるかな? もしかして、ラヴソングでも書いた? 新曲初公開って、彼女のこと歌った唄?」


 違う、と思う。いや、わからない。図書室で眠る鈴蘭を見て、思い付いた。ただ、その詞は決してラヴソングじゃない。なのに、なんとなく、鈴蘭に聴かせるのは照れくさい。


 歌うことそのものの調子はいい。喉も心も、歌いたいトーンや情景を、きちんと出せる。


 兄貴たちがブチ上げるロックチューンのサウンドとリズムとビートと、オレとの境界線がなくなる。オレの外側が透明になって、内側の闇の深さを測ってみる。手探りしたら、わからないものに触れた。自分の中にある、自分でも知らない何か。


 リハを終えたとき、ギターを抱いたままの兄貴が言った。


「最近、煥の歌い方が変わったな。聴かせたがってる感じがする」


 聴かせたいんじゃなくて、訊きたいんだよ。オレの胸の中で見付けたこの熱っぽいモノは、何だ?


 ガレージライヴの本番。オレたちはトップだった。対バンは全部で四組。


 円陣を組んだ。気合いを入れて、ショーが始まる。


 牛富さんの骨太なドラムと亜美さんのパワフルなベースは、オレが倒れ込んだとしても必ず受け止めてくれる、瑪都流のリズム。兄貴の痛烈なギターと雄のきらびやかなシンセは、オレを導いて我武者羅な全力で突っ走っていく、瑪都流の旋律。


 歌うオレは、音の奔流に守られている。さらけ出す心。本当は、いつだってこの素裸の心でいたい。最強の不良っていうレッテルも、銀髪の悪魔っていう肩書も、投げ捨てる。


    見つめると そっぽ向く

    手を伸ばすと 離れてく

    見つめられて 逃げた

    温もりに 怯えてる


    遠い空に月

    あれは上弦の月

    夕暮れに見付けた

    消えそうに透き通ってた


    手を伸ばして触れた

    柔らかく震えてた

    怖くなって離れた

    君を壊しそうで


    月は丸くなって

    やがて欠けていって

    時が経てば経つほど

    解らなくなる


    名前のない僕に

    触れてくれないか

    これが本当の顔なのか

    僕には見えない


    暗い空に月

    あれは下弦の月

    真夜中の風の中

    未来を思い出した


    守る為に生きることが

    出来るならば

    教えてくれないか

    守るべきモノの在処を


    目の前で震えてる

    温かな吐息を

    戸惑って見つめてた

    僕は息もできずに

    息もできずに


 新曲は、ミドルテンポのロックバラードだ。兄貴はエレキからアコギに持ち替える。途中まで、オレの声と兄貴のギターだけ。


 目を閉じて歌っていた。途中で不安になった。まぶたを上げると、兄貴と目が合った。兄貴はうなずく。亜美さん、牛富さん、雄。ゆっくりアイコンタクトを交わす。


 いつまで歌っていられるだろう? このメンバーで、こんなふうに。


 歌いながら、いつも寂しい。一曲一曲、終わるたびに、ライヴの終わりに近付くのが実感できる。それは同時に、瑪都流に残された時間のカウントダウンみたいだ。


 未来は、いつ途切れるか、わからない。続けたいと願っていても。



***



 拍手、歓声、喝采。


 ライヴ終わりの空気が苦手だ。顔を上げられない。端に引っ込もうとして、兄貴につかまる。真ん中に連れ出される。


「煥も、何か一言、しゃべれ」

「イヤだ」

「どうして?」

「不安だ」

「何が?」


 その拍手の温度が、その歓声の真偽が、その喝采の本性が、確かにオレを認めてくれているのか。


「オレは、銀髪の悪魔だから。どんな顔してればいいか、わからない」


 同じようなセリフを聞いたよな、と思い出してみたら、鈴蘭だった。怒ったような顔をしていた。照れていただけだった。


 いきなり、兄貴がオレの頭をつかんで、ぐっと顔を上げさせた。照明がまぶしい。たくさんの、人のシルエット。前の二列目くらいまで、ギリギリ顔がわかる。


 鈴蘭がいた。手を叩いている。オレと目が合って、鈴蘭は笑顔になった。唇が動いた。


 あきらせんぱい。


 オレの名前を呼んだだけ。その唇の動きが無性に嬉しかったのは、どうして?


 兄貴がオレの頭に拳を当てて、ぐりぐりと動かした。


「自分が思うとおりの顔してろよ。銀髪の悪魔? それがどうした。煥はオレの弟だ。意地っ張りで寂しがり屋で世話の焼ける弟。昔から、ずっと変わってねぇよ」

「兄貴、地味に痛い」

「おお、痛がれ。煥を痛めつけていいのは、おれだけだからな」


 兄貴は笑顔で言ってのける。暴君だ。ドSだ。オレは痛めつけられて喜ぶ趣味はない。


「離せ、兄貴」

「ちゃんと前向いとくなら、離してやる」

「前くらい向いてる」


「いーや、煥は下ばっか見てるね。そうじゃなかったら、そっぽ向いてばっかりだ。前見てないから、気付かないんだぞ。おまえの唄を聴いてくれる人たちの応援。こんなにあったかいエールをもらってること。なのに、おまえ、何ひねくれてるんだ?」


 兄貴の声はマイクに通っている。聴衆の拍手が、また大きくなった。


 やがて、ガレージライヴのMCから、時間だと促された。次のバンドはステージのそばで控えている。


 オレたちは客席のほうへ撤退した。兄貴と亜美さんは楽器を背負っている。雄も一本背負っているのは、兄貴のアコギだ。牛富さんの荷物は、スネアとスティックとペダル。手ぶらなのはオレだけだ。


 客席で、師央たちと合流した。寧々と貴宏と順一。理仁と海牙。そして、鈴蘭。


「煥さん、ここにどうぞー」


 師央が鈴蘭の隣を指差す。兄貴と理仁がオレを連行する。無駄なお節介。余計すぎる気配り。もはや全然さりげなくない。


 しかし、女って、髪型と服装が違うだけで化けるんだな。なんていうか、鈴蘭が、かわいい。


 兄貴たちが一斉に席を立った。


「じゃあ、飲み物買ってくる。煥のぶんも買ってくるからな。荷物、見ててくれよ」

「ちょっ、おいっ! 何で全員で行くんだよ!」

「全員じゃないだろ。留守番係は、煥と鈴蘭さんの二人だ」


 兄貴はさわやかに笑った。みんなを引き連れて行ってしまう。最悪。


「あ、煥先輩、えっと、お疲れさまです。す、すごく、よかった、です」

「まあ、そ、そうか」


 早く次のバンドの演奏、始まれ。間が持たん。


 ざわついたフロア。


 なのに。


「あのっ、煥先輩っ」


 鈴蘭の声だけは、ハッキリ聞き取れる。キレイな声、だと思う。いや、オレの価値基準なんて当てにならないが。少なくとも、オレにとっては。


「何だ?」

「いつも、あんなふうならいいのに」

「は?」


 オレは鈴蘭から顔を背けている。たぶん、鈴蘭も同じだ。途切れ途切れの声が少し遠い。


「歌ってるときみたいに、すなおな顔、しててくれれば、いいのに。せ、切なそうだった。一生懸命な表情、でした。壮行会のときは、ステージが遠くて。今日、初めて、歌ってる先輩の顔、見ました」


 鈴蘭が黙る。どう返せばいい?


「イヤとか嫌いとか、あんたにさんざん言われた。オレのこと、怖がって嫌ってんだろ」

「そ、そんなの、うわべだけじゃないですか! 怖い人のふりして、嫌われても平気って顔して、ほんとは傷付いてるくせに」


「別に」

「ずるいです。寂しそうな素顔、見せられたら、カ、カッコいいうえに、そんな寂しい顔、守りたいって、思った。煥先輩は、ずるい、です」


 胸が苦しくて、くすぐったい。しゅわしゅわと炭酸みたいな感触で、胸のカバーが溶けていく。頭の中心が熱っぽく痺れて、顔がほてって、息が震える。


 歌がほしい。歌ってないオレは、自分の感情に戸惑う。胸の高鳴りの理由を探しながら、自分で自分がつかめない。


 いつの間にか固めていた拳に、細い指が、小さな手が、触れた。ビクリとしてしまう。こわばるオレの拳から、鈴蘭の手が離れる。


「ご、ごめんなさい」


 触れたのは偶然? それとも。


 オレは拳をほどいた。少しだけ指を動かす。鈴蘭の指に触れた。


 今までまともに動こうとしなかった口が、急に、言葉を吐き始める。


「鈴蘭、オレは……」


 何か言いかけた。


 突然だった。


 パンッ!


 破裂音。いや、銃声だ。パリン、と割れて砕ける音もした。店内がワントーン暗くなる。客席の一角で悲鳴があがった。

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