「やっぱ、でき婚?」

 結局、昨夜は、兄貴が海牙を後ろに乗せて走った。メットは牛富さんが予備を持っていた。大都高校前で降ろしてやると、海牙は上機嫌だった。


「初めてバイクに乗りましたよ。爽快なんですね。それにしても、皆さん運転がお上手で。無免許なのにね」


 兄貴が苦い顔をした。


「その点だけは他言無用で頼む。おれはこれでも生徒会長なんでな」

「わかってますよ。また機会があったら乗せてくださいね」


 海牙は普通に歩いて帰っていった。飄々ひょうひょうとした後ろ姿だけ見てれば、ただの高校生なのに。


 師央は黙りっぱなしだった。疲れたんだろう。無理にしゃべらせるつもりはない。


 翌朝、鈴蘭を迎えに行った。昨夜の件を手短に話すと、鈴蘭は眉をひそめた。


「放課後に会った人、そんなに強かったんですか。能力を見せつけて行ったのは……」

「逆らうな、って意味だろう。師央は、あいつは敵じゃないと言ってる」

「そうなの、師央くん?」


 師央はうなずいた。


「未来で会いました。そのときは助けてくれました」


 唇は続けて動いた。声が出ないから、何を言ったかわからない。


「海牙は師央の唇を読める。師央が声に出せない未来の事情も、あいつは理解できる」


 師央の真実を知りたい。その目的のためなら、海牙と話す価値はある。


あきら先輩と師央くんは行くんですね? じゃあ、わたしも行きます。置いてけぼりはイヤです」


 鈴蘭のピシャッとした口調は、どうも不機嫌に聞こえる。


「おい、もしかして、昨日、置いてけぼりにされたと思ってるのか?」

「べ、別に、そうじゃないですけどっ。ただ、えっと」

「言いたいことがあるなら、ハッキリ言え」

「あ、煥先輩、バイク乗れるんですね」


 うつむいた鈴蘭に、少し呆れる。


瑪都流バァトルは暴走族と呼ばれてるんだ。乗れて当然だろ?」

「知りません、そんなの! 実際に走ってるとこ、見たことないし。って、べ、別に興味あるわけじゃないけどっ」


 オレはため息をついた。女ってのはよくわからない。いや、女全般っていうより、鈴蘭だからなのか? 鈴蘭の扱いは、本当に、まったくわからない。


「どうして急に怒り出すんだ?」

「怒ってません!」

「じゃあキンキンした声で怒鳴るな」


 やっぱり昨夜の件か? オレと師央だけが海牙と接触した。話の核心に近付いた気がする。鈴蘭は、その場にいられなかったことを怒ってるのか?


 黙りがちな師央が、ようやく少し笑った。


「バイク、迫力ありましたよ。最初はちょっと怖かったけど。今度、鈴蘭さんも乗せてもらってください」


 師央の言葉に、鈴蘭がピタッと足を止めた。何やってるんだ? 振り返ると、鈴蘭は真っ赤になっていた。色白だからか、赤面しやすいらしい。


「バ、バイクの後ろなんて、そんなの、興味ないってば! 師央くん、変なこと言わないで!」

「鈴蘭さん、わかりやすいです」

「なな何笑ってるのっ!」


「煥さん、すごく運転がうまいから、しっかりつかまってたら怖くないですよ」

「し、しっかり、つかまる?」


 師央のせいで、オレも想像してしまった。鈴蘭をオレの後ろに乗せて走るところを。オレの腰にしがみつく鈴蘭を。


 言葉より先に手が出た。オレは師央の額を指で弾いた。


「ふざけたこと言ってねぇで、さっさと行くぞ。鈴蘭も、突っ立ってんじゃねえ」


 鈴蘭のカバンを肩に引っかけて、大股で歩き出す。朝の風の涼しさを、急に感じた。不覚にも顔が熱いせいだ。


 師央が小走りで追いついてきた。


「煥さん、歩くの速いですよ。照れ屋ですよね」

「黙れ」

「やっぱり鈴蘭さんのことを意識……」

「してねぇよ」


 鈴蘭も追いついてきた。師央は満面に笑みを浮かべたまま黙る。鈴蘭は、うわずりがちな声で話題を変えた。


「し、師央くん、昨日の化学の課題、解けた?」


 学校に着いたら、まずはひとを探さなきゃいけないよな。あいつ、一応三年だっけ。面倒だな。そう考えていたのは、取り越し苦労だった。


 通学路の途中に、理仁がいた。こっちを見るなり、軽く片手を挙げる。


「よっ、あっきー! 師央と鈴蘭ちゃんも、おはよ~」


 鈴蘭が思いっきり不愉快そうな顔をした。理仁の左右に女がくっついてるせいだろう。襄陽と、もう片方は近所の女子高。両方とも鈴蘭とは正反対の派手なタイプだ。着崩した制服は、目のやり場に困る。よくこんなの連れて歩けるよな。


「ん? どしたの、あっきー? な~んか視線そらしてない? おねーさんらの色気に当てられちゃってる? 二人とも色っぽいもんね~」


 理仁が軽く笑った。女二人が、鼻にかかった声で応じる。


「やだぁ、理仁くんてばぁ」

「色気とか、そんなんじゃないしぃ」


 鬱陶しい。理仁にくっつくのは勝手だ。でも、オレにまで色目使うな。


「知り合いなのか?」

「んー、さっき道で知り合った。声かけてくれたの。二人、中学時代からの友達なんだって。学校行く前に、チラッと会ってて、そこに、きみら待ってるおれが現れて。で、ちょっと話すー? 的な感じで」


 登校中に逆ナンかよ?


【ちなみに】


 理仁の声が変わった。有無を言わせず聞かせる声だ。ピシリと張り詰めた響きだった。


「何だ?」


【今日はチカラを使ってないぜ。使わなくても、このとおりでね】


「どうでもいい」


 マジな話かと思って聞いたのに。損した気分になる。


「ちょっと~、あっきー冷たい」

「オレはいつもこのとおりだ」

「シャイなチェリーくんのくせに~。おや、表情変わったけど、図星~?」

「ふざけんな」

「いやいや、いいと思うよ。イケメンでシャイでピュアで不良で最強。それこそ最強コンボじゃん」


 疲れる。オレはすでにうんざりしているのに、理仁はおかまいなしのマイペースだ。


「今朝、文徳からのモーニングコールで早起きさせられたよ。軽~く話は聞いてあるんだよね。もっかい、ゆっくり聞かせてもらえる?」


 話のリズムが独特すぎる。ふざけたと思ったら本題に入っていて、でも緊迫感のない口調。顔を見ても、へらへらしている。


「ここで話せと?」

「まっさか~。昼休みでどう? 鍵なら、おれが借りとくからさ」


 屋上を開けておく、という意味だろう。


「わかった。昼休み、直接行けばいいんだな?」

「そーいうこと。師央と鈴蘭ちゃんも、オッケー?」


 オレの両隣で、二人がうなずいた。



***



 昼休み。約束どおり、屋上への階段を駆け上がった。手には、師央が作った弁当。ここ半月は食生活がまともだ。あいつが帰ったら、どうなるんだろう?


 屋上の鍵は、もう開いていた。オレが最後だった。


「あっきー、鍵、閉めといて~」


 理仁に言われるまでもない。鍵を閉めてから、三人のほうへ行く。


「レジャーシート? 用意がいいな」

「理事長室からかっぱらってきたよ。毎年、教職員らで花見してるんだよね~」


 ボンボンのくせに、意外にも理仁はコンビニ弁当だった。師央の弁当をのぞき込んで、うらやましがる。


「えっと、交換します?」

「マジ? いいの?」

「どうぞ」

「やった~! 師央、ありがと~!」


 鈴蘭の弁当はずいぶん小さい。小柄だから、そんなもんなんだろうか?


「何ですか、煥先輩?」

「その弁当で足りるのか、と思って」

「足りますっ」


 どうしてこう、いちいちにらまれるんだ?


 オレはレジャーシートに腰を下ろした。弁当の包みを広げて食べ始める。おにぎりとか、卵焼きとか、野菜を肉で巻いたのとか、豪華でも特別でもないのに、食べ物ってうまいんだなと気付いたりする。師央が作るから、そう感じるのか。


 理仁が一口ごとに声をあげてて、うるさい。


「うまい! 師央、料理上手だね~」

「ありがとうございます」

「嫁に来ない?」

「遠慮します」


 何気なく目を上げると、鈴蘭と視線がぶつかった。慌てた様子で下を向いた鈴蘭が、せかせかと手を動かす。オレのほうを見てた? 視線の意味はわからない。でも、見られていた。その事実は、微妙に気まずい。


 師央とじゃれてた理仁が、ちゃっかり口出ししてきた。


「なになに~? 二人は目と目で会話する仲なの?」

「ち、違いますっ」

「見惚れてた?」

「何言ってるんですか、長江先輩!」


「ふぅん、おれのことは苗字なのね。で、あっきーのことは名前なのね」

「だって、文徳先輩と混ざるじゃないですか! 変な言い方しないでください!」

「でも、さっきの熱~い視線は何? あっきーのこと、じーっと見つめて……」


「見つめてませんっ! 煥先輩が食事するところ、初めて見たから、意外な気がして」

「で、見つめてたわけね?」

「見つめてないですってば!」

「見つめてたよね、あっきー?」


 水を向けられて、リアクションに困る。


「は?」

「否定してください、先輩!」

「え?」

「え、って……もう!」


 鈴蘭が顔を覆った。理仁が、けらけらと笑った。そして爆弾を投下した。


「この様子だと、やっぱ、そーなの? ね、師央。師央のママって、鈴蘭ちゃん?」

「な、長江先輩、何それっ?」

「だって、師央のパパは、あっきーでしょ」

「はぁぁぁああっ?」


 鈴蘭は、叫んだ後、口を押さえて固まった。視界の隅でそんな様子を察しながら、オレはそっちを向けない。


 頭痛がする、ふりをする。手のひらで額を覆って下を向く。頭痛はしてない。ほてる顔を上げられないだけ。


 師央がおずおずと理仁に訊いた。


「今の話、ふみのりさんから聞いたんですか?」

「うん、師央の伯父さんから聞いた」

「理仁さんは、信じたんですか? ぼくが未来からきたって話を?」

「信じちゃうほうがよくない? おもしろいし。だって、今の状況、あれだよ? 親子団欒、プラス、おれ。おもしろいじゃん?」


 オレはとっさに口走った。


「おもしろくねぇよ。付き合ってもいない女と夫婦扱い? しかもガキまでセットで? 冗談じゃねえ」


 一瞬、間があった。


 ふわっと何かが飛んできた。反射的にキャッチする。布だ。弁当を包んでいたピンク色のハンカチ。投げたのは、鈴蘭だ。


「バカ、無神経っ」


 罵られて、気付く。オレ自身、自分の言葉に傷付いた。


   ――オレの宝物――

   守るべきもの。


   ――妻と息子――

   約束された未来。


 思い出に似た情景が、胸にひらめく。


 戸惑う。


 知らないはずの感情が、経験済みの日常として、オレの中に広がっていく。


   ――愛してる――

   愛?


 理仁が、ポンと手を叩いた。


「ま、何にせよ、放課後は忙しくなるね。海牙ってやつの誘いには乗るんでしょ?」


 オレはうなずく。師央が理仁に応える。


「あの人はいろいろ知ってるみたいでした。ぼくは、あの人の知ってることを、知りたい」

「預かり手が集まっちゃった理由とか? 因果の天秤や運命ってやつの正体とか?」


 オレは胸を押さえた。首から提げた白獣珠が、そこにある。直径二センチくらいの小さな存在がオレにチカラを与えて、オレの行く末を翻弄する。自分が何のためにここにいてチカラを持っているのか、ときどき真剣に考えてしまう。


 理仁が、ふと声をひそめた。


「なあ、師央。一つ、どうしても知りたい」

「何ですか?」

「師央って、パパとママがいくつのときの子ども? やっぱ、でき婚?」


 鈴蘭が、今度は上履きを、理仁に投げつけた。



***



 放課後に校門の前で、と海牙は言っていた。何時にとか、案外ごった返してる校門付近のどこでとか、具体的な指定はなかった。


「ちゃんと合流できるでしょうか?」


 師央も心配していた。が、何の心配もいらなかった。女子って、声高に噂話をするもんだよな。本人の耳に入りそうな場所で。


「あの制服、大都だよ。偏差値七十五がザラなんでしょ?」

「頭いい上に超イケメンじゃん! 背ぇ高いし、モデルみたい」

「大都にも、あんな人いるんだ。しかもお金持ち?」

「だよね、大都だもんね」


 女子の視線が集まる先に、いた。グレーの詰襟の海牙が、軽く街路樹にもたれている。傍らにスポーツバッグがあった。


 理仁が口笛を吹いた。


「モテそうなやつだね~。おれと張り合うレベル? あの大都の悲惨な制服なのに、墓石グレーが、ここまで印象変わるかねぇ?」


 海牙がオレたちに気付いて、笑顔で小さく片手を挙げた。


「こんにちは。お待ちしてましたよ、皆さん」


 まわりの女子が、またざわめいた。組み合わせが奇妙すぎるからだろう。正直な反応だとは思うが、ウザい。


「ここは人が多い。さっさと移動するぞ」

「ええ。そうみたいですね。ところで、今日は徒歩ですか?」

「ああ」

「バイクを取りに帰ってもらえます? 一緒に来てほしい場所がちょっと遠方なんですよ」


 自宅のマンションは徒歩圏内だ。バイクを取りに戻るのは、手間でもない。了解すると、海牙は理仁にも言った。


「長江理仁くん、きみもバイクを持ってますよね?」

「取って来いってことかい?」

「そうしてもらえますか?」

「へいへい。ちなみに中型だけど、いいよね?」

「後ろに一人乗せられるなら、十分です」

「いけるいける。んじゃ、ひとっ走り取ってくるゎ」


 三十分後にオレのマンションの前で再集合、ということになった。


 オレは、鈴蘭、師央、海牙とともに帰宅した。海牙を連れていくのには抵抗があった。が、どうせ、とっくに住所なんて知られている。


 三人をガレージの外で待たせておいた。オレは制服からライダースーツに着替えた。若干、暑い。三人ぶんのメットを持ってガレージに下りる。


 愛車を表に出したところで、理仁が合流した。ラフなジーンズ姿。グローブとブーツだけはライダー用のものだ。


 オレのマシンを見るなり、鈴蘭が目を見張った。


「バイクって、こんなに大きいんですか」

「ここまでデカいのは、あんまりない。重くて操りにくいからな」

「でも、煥先輩は乗れるんですね。すごい!」


 単純な誉め言葉。でも、ドキッとした。


 海牙がスポーツバッグを開けた。ローラースケートを取り出して、革靴から履き替える。

 理仁がキョトンとした。


「そんなもん履いて、どーすんの?」

「移動手段ですよ。今日は走る気分じゃないんでね、滑っていこうかと思います。ぼくが先行するから、ついて来てください」


 海牙は革靴をスポーツバッグにしまい込んで、バッグを肩から斜めに掛けた。ポケットからバイザーを出して装着する。


「え、ちょい待ち。海ちゃん、バイクの前を滑ってく気?」

「そのとおりですよ、リヒちゃん。ぼくの能力、披露します」


 鈴蘭と師央にメットを渡した。師央はすぐにかぶったが、鈴蘭は顎紐に、もたついている。微妙に斜めになってるから、キャッチが留まらないんだ。不器用な様子に、ため息が出る。勉強はできるらしいが、要領は悪そうだ。運動も苦手と言ってた気がする。


「じっとしてろ」


 鈴蘭の頭にメットをかぶせ直す。顎紐を留めてやる。首筋に触れないように気を付けた。でも、髪に触れてしまった。うっかり鈴蘭の顔を見たら、頬が赤い。オレにもそれがうつった。顔が熱い。


 ひゅー、と口笛がハモった。音のほうをにらむと、海牙と理仁だ。


「そういう仲だったんですか」

「見せつけてくれちゃって~」


 師央がいそいそと理仁のマシンに近寄った。


「じゃ、理仁さんに乗せてもらいますね。鈴蘭さんは煥さんの後ろで」

「ちょ、ちょっと、師央くん!」


 理仁がバイクのスタンドを蹴った。


「ふぅん、鈴蘭ちゃんはおれのほうがいい? おれにギューッとしがみついちゃう?」

「イヤです!」

「じゃ、あっきーにギューッとしててね~」

「えぇえぇっ!」


 意識しちゃダメだ。走りに集中しよう。


「ぐずぐずするな。乗れ」


 集中しろよ、オレ。事故るぞ。

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