六幕:冷静之能力者

「つまり、こういうことですね」

 オレは受け身を取って跳ね起きた。


 海牙は、すでに兄貴に打ち掛かっている。繰り出す拳が速い。上腕でガードした兄貴が体勢を崩す。


 牛富さんが背後から海牙につかみかかる。海牙はそっちを見もしない。ただ、正確な回し蹴り。かすめただけで、大柄な牛富さんが吹っ飛ぶ。


 オレは舌打ちと同時に地面を蹴った。兄貴と雄をまとめて相手する海牙の足元を狙う。


「おっと」


 海牙はオレの足払いをかわした。また、あの高すぎる跳躍だ。雄の頭上を楽々と越えた。海牙の着地点に亜美さんがいる。


 亜美さんは伸縮式の警棒を伸ばした。一瞬、上段の構え。繰り出される警棒は、剣道の技じゃない。乱戦向きの、軌道の読みづらい動きだ。


 パシッ。


 軽く鋭い音が、風にまぎれつつ響いた。海牙が亜美さんの手首をつかんでいる。


「女性とは思えない腕前です」

「ナメんなッ!」


 手首をつかむ手をさらにつかんで、体当たりからの崩し技をかけようとして、亜美さんの体が逆に宙に浮く。突っ込んでいく兄貴のほうへ投げ飛ばされる。


「乱暴をして、すみませんね」


 海牙が笑った。


 オレが仕掛ける。短い助走。跳躍しつつハイキック。海牙は体を沈めて攻撃をさばいた。そのまま右手を軸に、両脚を蹴り上げる。直線的な軌道。クロスさせた上腕に受ける。


 一瞬、止まったように感じた。


 ふわっと重心が消えた。体が宙に投げ出された。蹴り飛ばされたわけじゃない。持ち上げられて放られた気がした。空中で、自分の重心を取り戻す。宙返りして着地する。


 海牙もまた、跳んで着地したところだ。師央の真後ろだった。海牙は左腕で、後ろから師央を抱えた。右手の人差し指を、師央のこめかみに当てる。


「チェックメイト」


 呆然としていた師央が、ハッとした。


「ど、どうして、こんな……」


 海牙が歯を見せて笑った。優男の皮をかぶった猛獣だ。


「こんな状況になってるのか、ちょっと理解が追いつきませんか? 荒っぽいことをして、ごめんなさい。たまにこういうことをしたくなるもので」


 兄貴が進み出る。オレと並んだ。


「わかった、おれたちの負けだ」

「兄貴!」

「まあ、正直なところ、本気ではないよ。本気を出す前に度肝を抜かれている。それに、ここは場所がよくない。親の墓をぶっ壊しそうで、暴れる気が起きない」


 海牙がチラッと墓石を振り返った。


「なるほど、そうですね。墓前をけがしてしまって、申し訳ない。でも、ワクワクしましたよ。あなたたちの後を尾けるのも。こうして一戦交えるのも」


 胸くそ悪い言い方だ。オレは吐き捨てた。


「いい迷惑だ。あんた、その体術は何なんだ? 人間として、あり得ない」


 海牙は師央をとらえたまま笑っている。


「あり得るんですよ? もともと人間は、体の使い方が下手なんです。無駄が多くてね。物理学的に分析して無駄を省いて、潜在能力を限界まで引き出す。それだけで、見てのとおり。平均レベルの筋力のぼくが、超人になれるんです」

「物理学的に、分析?」


「種明かししましょうか? これがぼくの能力なんですよ。力学physicsと名付けてます。例えて言えば、ぼくの視界は数値と数式だらけなんです。対象物の質量、温度、動作、何もかも、ぼくは数値的に分析しながら見ています。分析をもとに自分から無駄を省くことも、トレーニングで可能になりました」


 だから、なのか。足音がない。あの跳躍力を出せる。完璧に攻撃を受け流せる。人ひとり、軽く放り投げられる。


 師央が海牙の左腕をつかんだ。


「その能力は、こういうこと、ですよね?」

「はい?」


 師央が大きく動いたようには見えなかった。ただ、師央の左肩を中心に、海牙の体が弧を描いて投げ飛ばされた。


 さすがにというべきか、海牙は、地面に叩きつけられはしなかった。寸前で衝撃を受け流している。


「ああ、びっくりしました」


 海牙は身軽に立ち上がった。いつの間にか、師央の腕が振りほどかれている。師央が海牙を見上げた。


「ぼくは習得learningできるから、あなたの言葉をもとに、あなたの体感を想像して、今のチカラを使いました」

「おもしろい能力ですね。きみみたいな能力者がいるなんて、初めて知りましたよ」


「知らなくて当然です。ぼくは、この時代の人間じゃないから」

「へぇ? じゃあ、未来からきた、とでも?」


 師央がうなずいた。そのとたん、オレの胸に不安が差した。いや、不安以上の不吉な何か、だ。問題の核心に触れようとしている。触れれば、否応なしに危機に近付くことになる。そんな気がする。


「師央、そいつに話すのか?」

「はい」

「信用できるのか?」

「海牙さんは、敵ではないはずです。だって、__してまで、ぼくを__のは……」


 師央が口をつぐんだ。悔しげに唇を噛む。海牙が、くすりと笑った。


「へえ、『自分を犠牲にしてまで、ぼくを過去へ送ったのは』ですか? 続きを話してもらえませんか?」


 師央が目を見張った。


「どうして、ぼくの言葉を?」

「繰り返しになるんだけどね、ぼくの視界は、数値で満たされています。露出した部分の筋肉の動きも読める。唇と舌の動きも、もちろん、その範疇ですよ」


 師央がまくし立てた。声はない。海牙は師央を見つめていた。師央が口を閉ざしたとき、ひとつうなずいた。


「つまり、こういうことですね。きみは未来から、運命を変えるために来た。二度、時間をさかのぼった。そのどちらにも、白獣珠を使った。一度目は、伯父の命を代償にした。二度目は、きみの声を代償にした。時間跳躍タイムリープの理由を話すとき、きみは声を失う。その代償を命じたのは、未来のぼくだ」


 するすると、謎が紐解かれていく。時間を超えることができた理由。師央が唐突に声を失う理由。


 兄貴が小さく笑った。


「余命宣告、か。おれは師央が十五歳のときに死ぬんだな? 師央を過去へ送るために」


 師央が目を伏せた。唇が動いた。その言葉はオレにも読めた。ごめんなさい、と。


 海牙が、波打つ髪を掻き上げて、襟元からペンダントを取り出した。トップに付けられたのは、黒い宝珠だ。


「ぼくの玄獣珠です。同じように師央くん、きみも白獣珠を身に付けてますよね?」

「はい」

「そして、あきらくんも」


 海牙がオレを見た。


「四獣珠のチカラも、数値で見えるのか?」

「いいえ、分析不能ですよ。三次元での物理学では、奇跡や運命は論じられない。でも、そこにチカラが存在することは感じられます」


「両方、本物だと?」

「ええ。まったく同じ白獣珠が二つ、確かに存在している。その謎は、師央くんの言葉を信じるなら、解ける」


 オレは胸に手を当てた。チカラの存在を感じるっていう表現は、わかる。オレとよく似た、でもオレとは別の鼓動。わずかにひんやりとした、体温のような熱がここにある。


 白獣珠は生きている。快と不快とを感じる本能のようなものを持っている。そして、その本能がオレに繰り返し告げる――因果の天秤に、均衡を。


 師央も胸に手を当てていた。きっと同じ存在を感じている。


 海牙が大きく伸びをした。


「やれやれ。また考える材料が増えちゃったな。まあ、思考実験が進むのは、悪いことじゃない。検証できるかとうかは別だけどね。さて、帰ろうかな」


 あっさりとした口ぶりに拍子抜けした。


「帰る?」

「課題がまだ片付いてなくてね。進学校の三年生は、休む暇もないんですよ」

「課題って、おい、あんた結局、何しに来たんだ?」

「何しに、って、ああ、そうか。また忘れるところだった」


 海牙は、すっと背筋を伸ばした。頬に浮かんだ笑みは隙がない。チカラを見せつけられたばかりだ。反射的に、ゾクリとする。


「煥くんと師央くんに伝えておかないとね。ぼくは、ある組織に所属しています。そして、ぼくは総統のご命令で、ここにいます」

「組織? 総統の命令?」

「総統があなたたちをお呼びです。ぼくと一緒に来てもらえませんか? あと二人の能力者の友達も、一緒にね」


 柔らかい物腰で放たれた言葉。しかし。


「逆らっても無駄なんだろ? あんたは相当な使い手だ。強引に事を運ぶのも簡単だ」


 海牙は、パタパタと手を振った。一見、邪気のない笑顔。真意は読めない。


「そんな物騒な話じゃないんですよ? 預かり手が集まった理由や因果の天秤の意味、知りたくありませんか? まあ、詳しくは、明日、話します。ああ、明日じゃないか。もう日付が変わってしまってる。何にせよ、放課後、校門の前で待ってます。能力者の皆さんに、お揃いで来てもらいたい。考えておいてくださいね」


 海牙は歩き出した。音もたてず、オレたちの間を抜けていく。


 信用していいのか? 師央は、海牙を信用すると言った。オレもそうすべきなのか?


 ふと、海牙が振り返った。


「帰り道、どっちでしたっけ?」

「は?」


 海牙は悪びれずに笑った。


「実は、ちょっと方向音痴でね。大都高校のあたりまで送ってもらえません?」


 こいつ、頭いいのか悪いのか、どっちだ?

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