五幕:疑惑之接触者
「どこかで会いましたっけ?」
壮行会からまた数日経った。鈴蘭の態度もようやく、もとに戻った。ただ、変化したのは師央だ。
「じゃ、お二人で、ごゆっくりー」
そう言って抜け出そうとすることが多々。オレは師央の首根っこをつかまえる。
「ふざけんな。おまえひとり、どうするつもりだ?」
「
「兄貴のほうに行くのこそ邪魔だろ。亜美さんと二人になる時間、確保してやれ」
「それもそうですけど。でも、ぼくは、何が何でも、二人をくっつけたいんです。このままじゃ、意地を張ってばっかりでしょ? 全然、進展しない」
「くっつけるとか、進展とか。いちいちうるさい。オレの行動に口出しするな」
師央は上目づかいでふくれる。でも、うなずかない。意外に頑固なやつだ。
最近、暖かい日が続いてブレザーが暑苦しくて、今日は家に置いてきた。上はカッターシャツに、緩めたネクタイだけ。下も夏服のズボンに替えた。
その放課後、図書室で。
「
鈴蘭がオレの襟元を指差した。さわってみると、いちばん上のボタンがぶら下がっている。
「よく気付いたな」
「た、たまたま見えたんですっ。わたし、付けましょうか?」
「必要ない。こんなボタン、留めないし」
鈴蘭が、ムッと眉を逆立てた。
「式典のときは、ボタンを全部留める! 校則ですよ? 付けてあげます」
鈴蘭はカバンから小さな箱を出した。化粧のコンパクト? と思ったら、裁縫箱らしい。針と糸が出て来た。
「じっとしててください」
「おい、やめろ。この状態で作業するのかよ?」
「動いたら危ないです」
「動かなくても危ないだろ」
「わたし、家庭科もそこそこできますよ?」
そこそこじゃ怖い。ったく。お節介もいいとこだ。オレはネクタイを解いた。カッターシャツのボタンを外す。
「せ、先輩、何脱いでるんですかっ!?」
「下にTシャツぐらい着てる。期待すんな」
カッターシャツを脱いで、鈴蘭に押し付けた。鈴蘭は無言で受け取って、黙ったまま、ボタンを付け始める。
横目に見下ろすと、鈴蘭の手付きはぎこちない。慣れてないらしい。針で指を突きそうで、ハラハラする。
ハラハラ? 心配? そんな小さなケガを? 下らない、と胸の中で吐き捨てたとき。
「痛っ」
鈴蘭が、か細い声をあげた。左手の人差し指の先を見つめている。ぷつり、と血のしずくが膨れ上がった。
「慣れないことをするからだ」
「ボタンは付け終わりました。後は、糸を切るだけです」
鈴蘭は、傷付いた指を口にくわえた。針を裁縫箱にしまう。ふと、オレは思い付いたことを口にした。
「自分の傷を治療することはできるのか?」
「能力を使って、って意味ですか? やったことないです。原理的には、できると思います。傷の痛みを別の場所に移せれば、傷を治せるはずです。ただ、誰かに協力してもらう必要はありますよね」
なんとなく、視線が絡み合った。
「やってみるか?」
「いいんですか?」
「その程度のケガなら、たいして痛くもない」
「またそんなこと言う」
鈴蘭はため息をついて、左手をオレのほうへ差し出した。
「何だ?」
「わたしの手を握ってください。他人にさわるのが嫌いなのは知ってます。でも、実験に協力してもらえるんでしょう?」
「わかってる」
オレは鈴蘭の左手を握った。その小ささは予想ができていた。でも、柔らかさと軽さに驚く。指先が少し冷えている。
鈴蘭が、つないだ左手に、右手をかざした。右の手のひらから青い光が染み出した。
チクリと、左手の人差し指の先に、かすかな痛みが走った。意識を集中すると、わかる。チクチクと、ささやかな傷口の自己主張。
青い光が消えた。同時に痛みも消えた。
鈴蘭の左手がオレの手の中で、もがいた。オレはその手を解放した。
「治ったみたいです。痛くなかったですか?」
「別に」
鈴蘭は、裁縫箱から小さなハサミを出した。ボタンの裏に飛び出した糸を短く切る。
「できました」
差し出されたカッターシャツを受け取る。黙って受け取って、足りないと気付く。
「ありがとう」
つぶやいてみる。胸が騒いでいる。小さな手の感触が、まだオレの手に残っている。
鈴蘭がバタバタと音高く帰り支度をした。
「し、師央くんは玄関で待ってるそうです。早く行かなきゃ、待たせすぎますよねっ。先輩、シャツ着てください! 置いていきますよっ」
口調が、なんかキツい。オレのリズムが、いちいち鈴蘭をイラつかせてるのか?
***
師央と合流して、鈴蘭を自宅まで送る。もはや慣れた道を歩くうちに、その場面に出くわした。柄の悪いのが数人、誰かを囲んだところだった。
「よぉ、テメェ、金持ってるだろ?
カツアゲだ。大都高校は隣町にある男子校で、全国有数の進学校。授業料がバカ高いことでも有名だ。当然というべきか、ハンパな不良たちの格好の餌食になっている。
涼しい声が不良たちに応えた。
「貸してくれ、ですか? ということは、返してもらえるんですよね?」
不良たちが爆笑する。
「誰が返すかよ! こいつ、バカじゃね? お坊ちゃんはお勉強しかできないのかなぁ?」
鈴蘭がオレの隣で憤慨した。
「何よ、あれ! 感じ悪い! 止めなきゃ!」
言うと思ったが、鈴蘭が出ていくのは無謀だ。オレは鈴蘭と師央を牽制した。
「ここから動くなよ。オレが威嚇してくる」
「先輩、暴力はダメですよ?」
「向こう次第だ」
「煥さん、カバン持っておきましょうか?」
「頼む」
オレはカツアゲの連中に近付いた。不良の輪の中心に、灰色の詰襟の男が見えた。意外に
「言葉は正しく使ってくださいね。返すつもりがないなら、くれ、と言うべきです」
「正しい言葉を使えば、金くれんのか?」
「まさか」
「優等生気取りのボンボンがナメんなよ!」
「気取ってるわけじゃなく、優等生だけどね」
大都高校のそいつは、すらりと背が高い。墓石とあだ名されるグレーの詰襟なのに、こいつが着てると、違う代物みたいだ。緩く波打った髪。目は緑がかっている。彫りの深い顔立ちには笑みがある。
そいつは何気なく立っているように見えた。でも、実は両脚のバネがたわめられている。いつでも飛び出せる構えだ。鍛えてあるらしい。相当、強い。大都にもこんなやつがいるのか。背中を丸めたガリ勉ばっかりだと思っていた。
ふと、そいつがオレを見た。緑の目が、ハッキリと微笑んだ。
「ああ、やっと会えた。ぼくは彼を待ってたんですよ」
彼、と手のひらで示された先のオレへ、不良たちが振り返る。ギョッとした顔になった。それから開き直った。
「銀髪野郎じゃねぇか。おれらもテメェには会いたかったぜ? ここんとこ、やられっぱなしだからな」
その言い草に、理解する。
「緋炎の下っ端か。
返答は拳だった。下品な雄たけびをあげながら、わらわらと殴りかかってくる。
ケンカと呼べるレベルでもない。手応えのある相手は、めったにいない。無駄なく一撃ずつで沈めたのが、六人。
残るはあと一人だった。でも、オレの視線の先で、それも倒れた。倒したのは、大都高校の優等生だ。
「慣れてるみたいだな、あんた」
オレの言葉に、そいつは笑った。パタパタと両手をはたく。
「優等生も、ムシャクシャすることがあるんです。たまにはこうして息抜きしないとね」
「ふざけた野郎だ」
「型に
「オレに会いたかった?」
「ええ、伊呂波煥くん。そのつもりで待っていました。でも、日を改めようかな」
そいつは、オレの肩越しに視線を投げた。鈴蘭と師央がいる。
「ここじゃ話せないことか?」
「話してもいいんだけどね。でも、もう少し情報がほしくなりました。あ、危険な取引なんかじゃないですよ。まあ、興味を持ってもらえたら嬉しいな」
そいつは、重たげなカバンを肩に引っかけて歩き出した。オレの隣を、すっと通り過ぎる。かすかな風圧。足音がしない。
オレはそいつの動きを目で追った。そいつは、鈴蘭と師央に軽く会釈をする。そのまま歩いていく。
鈴蘭は怪訝そうな顔をしていた。師央の表情がおかしい。目を見張って、かすかに震えている。師央は、歩き去ろうとする背中に叫んだ。
「カイガさん!」
そいつがゆっくり師央へと向き直る。顔は微笑んでいる。体は隙なく身構えている。
「どこかで会いましたっけ?」
後ろ姿の師央が何かを叫んだ。でも、声は聞こえない。カイガと呼ばれた男が首をかしげる。師央は、かぶりを振った。黙って頭を下げる。
カイガ、というのか? 未来での知り合いか? 師央は何を話せずにいるんだ?
カイガというらしい男は手を振って、今度こそ立ち去った。時間の流れが急にもとに戻った気がした。足元のそこここで、緋炎の下っ端が呻いている。オレは鈴蘭と師央を促した。
「別の道から回って帰るぞ」
鈴蘭が、例の怒ったような顔でオレを見上げた。
「彼らはどうするつもりですか?」
「ほっとく」
「痛がってるじゃないですか!」
「殴ったからな」
「何でそんなに暴力的なんです?」
「向こうから突っかかって来た」
「確かにそうだけど、過剰防衛です!」
うるさい。面倒くさい。
「おい、師央。さっさと行くぞ」
師央は、うなずくついでにうつむいた。目に涙がたまっているのが見えた。鈴蘭も師央の表情に気付いたらしい。師央の顔をのぞき込んだ。
「どうしたの、師央くん? さっきの人、知り合い? 何かあったの?」
師央は胸の前で拳を握った。ちょうどそのあたりに、鎖を通して首から提げた白獣珠があるはずだ。師央は言葉を選ぶように、切れ切れに告げた。
「あの人は、カイガさん。そう覚えておくように、と言っていました。ぼくは、一度だけ、会ったんです。でも、きっと、あの人のことは何も話せません。“代償”に、引っ掛かってしまうから」
師央は歩き出した。オレも鈴蘭も歩き出す。
胸騒ぎがする。何かが大きく動き始めている。今もまた、白獣珠の鼓動が速い。
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