「ファンが多いのも納得ですね」

 明日が壮行会っていう日。要するに、全校生徒の前でライヴをする前日。放課後にリハをやる予定だった。兄貴たちは張り切っていた。オレは乗れずにいる。


 昼休み、バラ園のあずまやのベンチに寝転んでいた。木製の天井。花の匂い。どこか遠くから聞こえてくる、誰かの声。


 調子が悪い。体調じゃなくて、精神的なほうが、どうしても。


 最低、と言われた。見損なった、と言われた。鈴蘭はあれ以来、挨拶さえ寄越さなくなった。朝夕の送り迎えは続いている。だから、針のむしろだ。


 ふと、足音と気配がオレに近付いてきた。寝転がったままで待つ。やがて、視界にひょっこりと師央が現れた。


「やっぱり、ここにいましたね。あきらさんに訊きたいことがあります」


 オレはベンチの上で体を起こした。師央がオレの隣に座った。


「訊きたいこと?」


 おおよその予想はついている。オレは、横顔に師央の視線を受けた。


「鈴蘭さんとケンカしたんですね?」


 やっぱりな。


「ケンカじゃねぇよ」

「じゃあ、何があったんですか?」

「今度こそ徹底的に嫌われただけだ」

「どうして?」

「別に、関係ないだろ」

「関係あります!」


 師央がオレのほうへ身を乗り出した。視線が痛い。そっちを向けない。


「何なんだよ?」

「恋をしてください、煥さん。自分の心に素直になって!」

「このオレが、恋?」


 話の流れに、イヤな予感しかしない。こういう予感はたいてい当たる。


「そうじゃなきゃ、ぼくが生まれません。彼女がぼくのママなんですよ」

「信じられない」

「だけど、それが__するんです」

「信じたくない」


「煥さんと鈴蘭さんは__で__だから」

「は?」

「未来の__では、二人は__で……」

「伏字交えてしゃべるな! 意味深すぎる!」


 師央は口をつぐんだ。ふくれっ面の上目づかいがガキっぽい。


「照れるのは、意識してるからでしょう?」

「照れてねえ」

「結婚っていうか、駆け落ちなんですよ」

「ふざけんな」


「ふざけてません。本気ですし、本当のことです。鈴蘭さん、すごく落ち込んでるんですよ? 休み時間もぼんやりしてて。寧々さんたちも心配してます」

「オレの知ったことか」


「煥さんのせいなのはわかってるんです。煥さんだって、調子がおかしいでしょ?」

「別に、オレは……」

「しょっちゅう歌詞が飛ぶのに? こんなに集中できてない煥さん、珍しい。バンドのみんなも、そう言ってたでしょ」


 唄に入れなくて、歌詞のイメージが続かなくなる。逆に唄に入り込むと、感情が過敏になっていろいろ思い出してしまう。オレはあいつに嫌われたのか? オレはあいつを傷付けたのか? そんなことを考えて、結局、集中できない。


「とにかく、うるせぇよ。おまえには関係ない」

「関係あるって言ってるじゃないですか! ぼくのパパは煥さんで、ママは鈴ら……」

「黙れ」


 バラ園に人が来る気配があった。オレはベンチに座ったまま振り返る。最悪だ。どうしてあいつがここへ?


 うつむきがちに校舎から出て来たのは鈴蘭だ。師央も振り返って、鈴蘭に気付いた。ジト目でオレを見る。


「チャンスですよ。ここ、人通りが少ないし、話してきたら、どうですか?」

「うるさい」

「早く仲直りしてください。演奏にも支障が出てるんですよ」

「オレは、本番でトチったことはない」

「すなおじゃないですね」

「だったら何だ?」


 師央がいきなり、伸び上がって手を振ろうとした。


「おーい、マ……」


 呼びかけ方がおかしいだろ! オレは師央に飛びついて、口をふさいだ。


「ちょっと黙ってろ」


 鈴蘭はこっちに気付いていない。校舎側に誰かがいる様子だ。そっちに気を取られている。やがて、その誰かもバラ園に出て来た。知らない男だ。


「師央、あの男を知ってるか?」

「たぶん進学科の人です」


 うつむいた鈴蘭と、その向かいに立つ男。男はしきりに頭を掻いている。真剣な横顔。ぎこちない距離感。


「告白、か」

「噂、あるんです。あの人が鈴蘭さんのこと好きだ、って。鈴蘭さん、モテるんですよ」


 胸がザワッとした。一瞬、いろんな男が鈴蘭に欲望をいだくところを想像してしまった。吐き気がする。鈴蘭の存在自体、けがされたくない。


 じゃあ、オレ自身は? 鈴蘭に触れたいと、確かに思ったことがある。オレは自分の衝動を許せる? 許すなら、それはまるで独占欲?


 鈴蘭が首を左右に振った。黒髪が揺れた。男が謝る様子で頭を下げた。


「振った、ってことか」

「安心しました?」

「バカ言うな」


 男が先にいなくなって、しばらくして、鈴蘭もバラ園を立ち去った。



***



 壮行会当日。体育館は独特の熱気に包まれていた。


 普段、オレは集会なんか出ない。人の密集したところは苦手だ。ステージ袖からフロアを見下ろす。うんざりする。


 師央がオレの隣で浮ついていた。


「すごいなぁ! いろんなユニフォームがあるんだ。あっ、寧々さんがいます。アーチェリー部の、旗手のすぐ後ろです。一年生だけど、エース級なんですよね。カッコいいなぁ!」


 ステージ側も、それなりに混雑している。演奏を披露するのが三組ある。オレたちと、吹奏楽部と、雅楽部、応援団とチア。全員そこいらに控えてるおかげで、うるさい。


 兄貴がステージ上から戻ってきた。生徒会長としての仕事が済んだらしい。


「スタンバイするぞ、煥。本番だけは、きちっとやれよ」

「わかってる」


 オレたちが演奏するのは二曲だけ。ステージ衣装は制服のまま。音響も照明も、設備はショボい。盛大でも本格的でもないライヴ環境だ。


 それでも、本気でぶつかる。


 円陣を組む。遠慮する師央を、兄貴が引っ張り込んだ。兄貴の笑顔が本物になっている。生徒会長の仮面じゃなくて、楽しくてたまらないときの顔だ。


「なあ、師央。瑪都流バァトルの由来を話したっけ?」

「いえ、聞いてません」

「バァトルは、古い言葉で『勇者』という意味だ。本物の勇気を持つ者に贈られる称号。勇者であれば、敵も味方も関係ない。その者をバァトルと称える」


 兄貴がオレを見た。


「さっき、亜美たちと話し合った。セットリストを変更しよう。今の煥に歌える唄にする」

「は? 今の、オレ?」

「勇者シリーズ二曲で行こう。煥が詞を書いた、最初の二曲だ。歌えるだろ?」


 おれが中一のころ。唐突だった。兄貴がオレを軽音部の部室に連行した。


「今日からバンドを組む。煥が歌え。詞も、おまえが書いてみろ」


 亜美さんと牛富さんと雄も部室にいた。兄貴は、その前の年にギターを始めていた。亜美さんと牛富さんも、兄貴と同時だった。シンセの雄は、昔からピアノを弾けた。


 オレは、何で歌わされるのか、わからなかった。小学校時代は、日中、誰ともしゃべらずに、ろくに声を出すこともない毎日だった。歌い始めたころは、すぐに声が嗄れた。兄貴たちが練習する隣でじっと黙って、ただ、思ったことを詞に書いていた。


「あの二曲でいいのか? プログラムには、別の曲名を載せてるのに」


 兄貴は一笑した。


「煥が進行のことを心配するなよ。MCはおれに任せろ。おまえは、思うままに歌え。本気のおまえの声、おれは好きだからさ」


 壮行会の裏方がオレたちを呼びに来た。次が出番らしい。


「よし、じゃあ行くぞ!」


 円陣を組んだオレたちは、兄貴のかけ声で気合を入れる。


「っしゃぁっ!」


 その瞬間、日常の雑音が消えていく。自分の内側が水になる、そんな感覚。オレはこれから、自分へと潜る。


 暗いフロア。さざ波のような、期待の声。


 期待? 本当に? オレは、彼らに待たれているのか?


 最初にドラムの牛富さんが、次にシンセの雄が、ステージに上がった。さざ波が、歓声と拍手に変わる。シンプルなセッションが始まる。エイトビート。ループする4コード。


 ベースの亜美さんが、ギターの兄貴が、ステージでのセッションに加わる。歓声が大きくなる。セッションが、ひとつの曲を形づくり始める。シンプルなギターリフ。兄貴が初めて作ったリフだ。


「おまえのイメージで作ったんだぞ」


 得意そうな兄貴の顔を、よく覚えている。BPM200のアップテンポ。息がつけないくらい緊迫して、マイナーなコード展開がもどかしい。速いリズムに鼓動を持っていかれる。叫ばずにいられなくなる。


 兄貴がオレに合図を送った。オレはステージへと駆け上がる。押し寄せる熱気を正面から受け止める。吹き飛ばされそうになりながら。


 オレは歌い出す。


 兄貴がオレのために書いた曲に、オレは、オレ自身を乗せた。水のような自分自身に潜る。息が続く限り潜ったら、ここは、冷たくて同時に温かい場所。形のない自分自身を感じた。


 バァトルって響き、勇者って言葉を、兄貴はオレに与えようとした。そうなれたらいい、と願う。勇者になれたら。


 世界を救うような、大それたモンじゃなくていい。守りたい人を傷付けずに生きていく。それだけでも勇者だと、傷付け続けるオレはよく知ってる。


 弱音だらけのこんな唄を、兄貴や仲間たちは誉めてくれた。ヴォーカルでいる限り、オレは存在を許されるのかな、と思う。


 歌うときだけは、高い声もデカい声も出る。昔、初めて録った自分の声を聴いて、驚いた。不思議な声だった。自分で感じる自分の声は、もっと、こもっている。外から入ってくる自分の声は違った。


 兄貴が言っていた。


「貫かれる、だろ? 耳から入る音のはずが、まっすぐ胸に飛び込んでくる。歌詞を頭で理解するより先に、メッセージに胸を貫かれるんだ。煥の声、魔法だよ。おれは昔から知ってたけどな」


 細いけれど折れない、しなうような声。尖らせて荒らしてみても、響きにまろやかさが残る声。体温より少しだけ高い温度を持つ声。そんな声で、オレは、オレ自身を歌う。



***



 たった二曲だけのステージだった。それでも、全力で歌った。兄貴が書いた曲、仲間たちの演奏に守られて。無防備なほど、自分自身と向き合って。


 歓声の中で、兄貴がオレの肩に腕を回した。


「な、おれの言ったとおり、歌えただろ? いい顔してたぜ。アンコールと言いたいとこだが、撤退だ。壮行会の進行を乱すわけにはいかないからな」


 オレたちはステージ袖に引っ込んだ。裏方や出演者たちが群がってくる。


「お疲れさまです!」

「カッコよかったです!」

「握手してください!」

「生徒会長~!」

「亜美さまイケメン!」

「煥先輩、大好きぃ!」


 ウザい。


 オレは人混みを掻き分けて進んだ。ステージ袖を抜ける。ついでに、体育館からも出る。外の空気に、ホッとした。五月の風は心地よくて、木漏れ日がまぶしい。


「煥さん!」


 呼ばれて、振り返る。師央だ。そういえば、ステージ袖にいなかった。どこ行ってたんだ? と訊こうとして、答えがわかった。師央は鈴蘭と一緒だ。鈴蘭を連れに行ってたんだろう。


「お疲れさまです、煥さん! やっぱり、すっごくカッコよかったです! ファンが多いのも納得ですね。ね、鈴蘭さん?」


 鈴蘭が師央を見て、オレを見た。久しぶりに目を合わせた。でも、すぐに鈴蘭は視線をさまよわせた。怒ったような顔をしている。師央に無理やり連れて来られたせいか?


「あ、煥先輩、お疲れさま、でしたっ」


 投げ付けるような口調も尖っている。どう返事すべきか、わからない。


 師央はおかまいなしだった。ちょこんと敬礼する。


「それじゃ、ぼくは文徳さんたちのとこへ行きます。ごゆっくりどうぞー」


 言うが早いか、きびすを返して、あっという間に師央は体育館へと消えた。


 沈黙。


 オレは鈴蘭から目をそらす。ごゆっくりも何もない。どうせよと? 何を話せと?


 鈴蘭が何か言おうとしている。気配で、それがわかる。また小言か? 説教か? 図書室でのやり取りに対する恨み節か?


 オレは身構えつつ、低い声で尋ねた。


「何かオレに言いたいことがあるのか?」

「……あ、あの……っと……」

「さっさと言え。喉が渇いてんだ。部室に戻りたい」

「え、っと……ったです……」

「は?」


 鈴蘭が、パッと顔を上げた。


「カッコよかったです、って言ったんです! そ、それと、気持ちが伝わってきてっ、すごく、すごく繊細で、孤独で、強くて! わ、わたし、ご、ごめんなさいっ!」

「え?」


「歌ってる煥先輩は、強くて、なのに、弱くて泣いてるみたいで、あ、あの、ほんとに、印象的でした。だから聞かせてほしくて、カウンセリングや心理学じゃなくて、わたしは挫折とか、知らなくて、先輩から見たら、わたしなんて、た、ただの頼りない後輩だろうけど、でも、知りたいと、思って、煥先輩のこと、話して、もらいたくて」


 鈴蘭の声は震えていた。泣き出すんじゃないかと思った。鈴蘭を見たら、真っ赤な顔で怒っている。


「何で怒ってるんだ?」

「お、怒ってません!」

「怒ってるだろ」

「どんな顔すればいいか、わかんないだけです!」

「普通にしてればいいだろ」


 鈴蘭が、胸の前で拳を握った。子どもみたいな形の拳だった。


「先輩のバカ! ふ、普通にしてられるはず、ないでしょ!? だって、く、苦しいくらいドキドキしてるんです! ステージで、煥先輩、カッコよくてっ、カッコよすぎたんです! あんな声で歌われたら、わたしっ、と、とにかく! お疲れさまでした! この間はごめんなさい! それだけです! カッコよかったです! 失礼しました!」


 鈴蘭は一瞬で体育館へ逃げ込んだ。


「マジかよ」


 取り残されたオレは、加速する鼓動を数えながら、急激に熱くなる顔を右手で覆った。

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