四幕:轟音之歌唱者

「そんな言い方、大嫌いです!」

 師央を拾った日から、一週間経った。相変わらず、師央はうちに居着いている。マメなやつだ。朝夕の飯はもちろん、昼の弁当まで作ってる。一昨日なんか、クッキーを焼いていた。寧々への差し入れにしたらしい。


「寧々さん、喜んでくれました。鈴蘭さんも甘いものが好きって言ってましたよ」


 経過報告はけっこうだが、一言余計だ。鈴蘭は関係ないだろ。


 このところ、割と平穏だ。緋炎の報復には警戒してるが、今はまだ目立った動きはない。厄介ごとといえば、むしろ内輪のほうだ。鈴蘭の送り迎えをすること。鈴蘭がひとを避けまくること。その両方に、なぜかオレが巻き込まれている。


 オレと鈴蘭との間に、会話はほとんどない。間に師央が入るから助かる。


 でも、放課後。ときどき、ほんとに、ごくたまに、鈴蘭と二人だけになってしまう瞬間がある。


 沈黙。


 会話って、どうやるんだ? 鈴蘭はカバンから本を出して読み始める。オレは何もできずに、鈴蘭の横顔を眺める。鈴蘭は、澄ました横顔を保ったままだ。


 心臓が騒ぎ出す。鈴蘭を視界に入れておけなくて、目を閉じる。うるさい鼓動をごまかすために、唄を口ずさむ。兄貴が書いた曲だ。オレがそこに詞を付ける。


 ハミングの合間に、鈴蘭からバンドの曲かと訊かれて、そうだと答えた。その一往復だけ、会話が成立した。


 バンドの練習に、鈴蘭は来ない。師央は毎日、来ている。もはやマネージャーと化してるレベルだ。飲み物を用意したり、仮録音の機材を調整したりしている。


 兄貴の彼女の亜美さんは、バンドのベーシストだ。ベースは、基本的に指弾き。パワフルなスラップには定評がある。容姿は、イケメンって言われるくらいの、長身でショートカットの美人。その亜美さんが師央をえらく気に入っている。


「師央は、あきらとそっくりな顔してるのに、こんなに表情豊かでキュートなんて。ほんっとに、おもしろい」


 亜美さんと牛富さんと雄、バンドメンバーの三人は、幼なじみでもある。お互い、物心つく前から一緒だった。


 その昔は、オレたちの家系は主従関係だったらしい。武人の血筋である伊呂波家が主人、亜美さんたち三人の家は従者、伊呂波の武力の背景にあったのは白獣珠だ。


 安豊寺家にも長江家にも同じような歴史がある。そういう話を、理仁がしていた。オレはあまり聞かなかった。


 知りたいのは、オレが生まれる前の過去じゃなくて、オレが生きていく先の未来だ。あるいは、オレが死んだ後の未来。師央は本当にオレの息子なのか? オレは近い将来、死ぬのか?


 襄陽学園の軽音部には二つの部室がある。そのうち一つは、人気No. 1のバンドが独占する。残りの所属バンドは一室をシェアするしかない。弱肉強食のルールが、襄陽学園軽音部の伝統だ。


 今のNo. 1はオレたちだ。去年の夏からずっと、人気は揺らいでいない。兄貴の影響力と、楽器勢四人の演奏力の賜物だ。楽器ができないオレは、歌うしか能がない。そんなにうまいとも思ってない。


 師央はロックを聴いたことがなかった。最初の練習の日には、轟音にビクついていた。が、三日もすると慣れてきて、ギターを習得learningし始めた。指が痛いと言いながら、楽しそうだ。


「ところで、今さらなんですけど、バンド名って何なんですか?」


 確かに今さらな質問を、師央がしてきた。兄貴が答える。


瑪都流バァトルだ」

「え? それ、暴走族の名前なんじゃないですか?」

「おれたちが暴走族を名乗ったこと、ないんだよな」


 兄貴はおもしろそうに笑っている。

 師央が説明を求める目でオレを見た。オレはぼそぼそと答えた。


「バンド名が独り歩きしたんだ。初期のファンに不良が多かったのもある。ファンが冗談で、下っ端だと名乗り出したのがきっかけだった。瑪都流の下っ端を名乗る不良が勝手に急速に増えて、気付いたら、今みたいな大集団になってた」

「それじゃ、暴走族って誤解なんですか? でも、ケンカとか、してますよね?」


 シンセの雄が、のんびり笑った。おとなしいように見えて、ケンカは十分強い。


「こっちから吹っかけることはないよ。向こうから来られることは、けっこうあるけど。瑪都流を目の敵にしてるヤンキーが多くて」

「誤解されてケンカ売られるんですか?」


 牛富さんは大柄で馬鹿力で、家が柔道場だから、鍛えられてる。亜美さんは剣道の有段者だ。乱戦になると、段位以上の腕を見せる。


 雄も牛富さんも亜美さんもかなわない相手が、オレの兄貴だ。幼児期に叩き込まれた古武術がベースで、自分流に磨き上げた体術がとにかく強い。


 そして、オレは突然変異だ。運動能力が異常なことは自覚している。筋力、瞬発力、動体視力、反射能力。何もかも、スポーツテストの数値を振り切る。


「じゃあ、バンドがカッコいいロックで、ファンに不良が多くて、バンドメンバーがたまたまケンカに強くて、だから、瑪都流が暴走族化したんですか?」


 亜美さんが苦笑いでうなずいた。


「しかも、あたしたち、バイクにも乗るしね。昔さ、チラッとモトクロスやってたの。モトクロスって、わかる? サーキットでのバイク種目なんだけど。あれで走りの正確さを鍛えたのよね。やっぱり、運動能力の高い煥が最速でさ」


 牛富さんが引き継ぐ。


「月に一回、夜にバイクを走らせてるよ。ただ、暴走なんかじゃねぇ。公道は、ルールを守って走ってるしな。爆音もふかしてねぇぞ」


 師央が気の抜けた顔をした。ふにゃっと笑っている。


「そうなんだ。怖がって損した気分です。最初、本当に怖かったんですよ」


 兄貴がニヤッとした。


「怖かったって、煥のことか?」

「はい」

「こいつは、いつでも、素で怖いだろ?」

「おい、兄貴」

「ほら、すぐにらむ」


 部室が笑いに満ちる。オレはうまくそこに乗っかれない。唇を噛んで、そっぽを向いた。


 兄貴は、もうちょっとだけ慎重だったら申し分ないのに。「おもしろそうだから」って一言で、全部が決まるんだ。暴走族と呼ばれて否定しなかったのも、おもしろ半分だった。なのに、オレたちは近隣で最強になってしまった。



***



 その日の練習があらかた終わった。オレは一足先に部室を追い出された。


「楽器だけで、もう一回、合わせるから」


 オレも加わると言ったが、却下された。喉を労われ、とのことだ。代わりに兄貴に宿題を出された。


「新曲の詞、そろそろ書けよ。ガレージライヴには間に合わせたい」


 兄貴が書けばいいのに、と反抗を試みる。全員に却下された。オレの乱雑でひねくれた詞の、どこがいいんだ?


 仕方ない。薄暗くなった校舎の中を図書室へ向かった。鈴蘭と合流するためだ。


 図書室の引き戸を開ける。カウンターの連中がビクッとする。怖がられるのはいつものことだ。慣れてる。


 図書室は二つのエリアに分かれている。ずらりと本棚が並ぶ書架エリア。読書や勉強をするための閲覧エリア。閲覧エリアには、八人掛けの机が八つある。鈴蘭はいつも、閲覧エリアの窓際の席にいる。


 下校時刻が迫っていた。閲覧エリアには鈴蘭一人がいた。おい、と声をかけようとして、オレは息を止めた。


 鈴蘭が眠っている。


 読みかけの本が伏せてある。そのそばで、右の頬を下にして、左向きの横顔を表に見せながら、鈴蘭はしなやかな寝息をたてている。


 襲われたらどうするんだと、とっさに思った。違うと気付いた。オレ、今、襲いそうになった?


 つやつやした黒髪。白い肌。頬は、うっすら赤く色づいている。まつげが頬に影を落としている。唇が意外にふっくらしている。


 触れたい。急激で唐突な衝動が起こった。手を伸ばしそうになる。細い首。小さな肩。吐息。偶然に触れたことがあって、知ってる。鈴蘭の体が、どこもかしこも柔らかいこと。


 風が吹くと、鈴蘭の髪の甘い香りを感じる。肌も同じ香りがするんだろうか?


 騒ぐ心臓に困惑する。触れたい。でも、触れたくない、壊したくない、汚したくない。手を伸ばせば届く。なのに、遠すぎて触れられない。


 不意に、切れ切れの言葉が頭をかすめた。そうか、これだ。これを詞にしたらいい。オレはカバンからメモ帳を出した。鈴蘭の向かいの席に座る。


 あぶくみたいに、湧いて消える言葉。消える寸前に、ペンでメモ帳につかまえる。今、感じたこと。目に見える距離と、見えない距離。見つめ返されないときだけ、安全。


 まるで、子どもの遊びだ。だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ。振り返られないうちに。見つめられないうちに。初めて、じっと、こんなに長く誰かを見つめている。息を詰めて、胸を押さえて。


 オレの髪が銀じゃなければ、オレの目が金じゃなければ、見つめ返されることも、きっと平気なのに。


 殴り書きの言葉がメモ帳にあふれる。


 詞を綴るときのオレは無防備だ。今まで、誰かのそばで書いたことなんかない。なのに、どうして? 鈴蘭の目の前だから、詞が浮かんできた。そのくせ、鈴蘭に贈る詞でもない。ただの、オレ自身の臆病さを歌った詞だ。


「バカか、オレ」


 出て来た言葉の軟弱さに、ため息をついた。そのときだった。


「んんっ」


 鈴蘭が、くぐもった声を漏らした。また、オレはドキリとする。自分の心臓に舌打ちしたくなった。まじめに仕事しろ。


 オレが見ている目の前で、鈴蘭はゆっくりとまぶたを開けた。


「あっ、煥先輩。来てたんですか? お待たせしてました?」

「い、いや、別に」


 鈴蘭の右の頬が赤くなっている。右を下にして寝ていたせいだ。本人も察してるんだろう。手のひらで頬を包んだ。


「わぁ、しっかり寝ちゃってた。本、読もうと思ってたのに」


 読みかけの本の背表紙へと、鈴蘭は目を伏せる。口元は少し笑っている。照れ笑い、か? 見たことのない表情で、目が惹き付けられる。


「あ……」


 オレは何かを言いかけて、言葉に迷う。


「何ですか?」

「……帰る」


 わかり切った用件だけ告げた。オレは歌詞のメモ帳をカバンにしまった。


 鈴蘭は、伏せていた本を手に取った。タイトルが目に入る。スクールカウンセラー、という言葉があった。なつかしい職業じゃねぇか。オレの胸が、すっと冷める。スクールカウンセラーって職業について、たぶん、オレは鈴蘭より詳しい。


 そいつらは学校にいる。学校での悩みや親に言えないことの相談を受けるための大人で、相談内容をもとに学校と家庭をつないで、よりよい学校生活・家庭環境をつくろうとする。臨床心理士だとか必要な資格があって、数年に一度は資格の更新をして、一年ごとの契約で雇われてて、時給が高い。


「先輩も、この本、気になります?」

「ならない」

「わたし、スクールカウンセラーを目指してるんです。父の影響なんですけどね。この本、父が書いたんです。父は大学教授で、現場にも立ってて、教育の世界では、それなりに有名なんですよ」


 鈴蘭は顔のそばに本を掲げた。チラッと目を走らせる。著者の苗字は、安豊寺じゃない。


「苗字が違う」

「あ、父は入り婿だから。仕事では旧姓を使い続けてるんです。安豊寺は母方で、先代の預かり手は母でした。わたしを産んだ瞬間、能力をなくしたって」


「そういう継承もあるのか。うちの場合、先代は祖父だった。オレがおふくろの腹の中で育つ間、祖父は逆に弱っていった。そして、オレが産まれた日に死んだ」

「そ、そうなんですか」


 悪魔って二つ名は、意外と正確かもな。能力の継承を思うとき、自嘲したくなる。


「スクールカウンセラーか。かったるいぜ。オレみたいなクズばっかり見るんだ。何人、入れ替わったっけな? オレを更生させようと、必死で。勝手に泣いて、勝手に疲れて、勝手に辞めていく。でも、オレが追い出したみたいに言われた」

「あの、それ、いつのことですか?」


 小学生のころ、両親が「事故死」した。不審点も多かったが、結局「事故死」だった。


 父方の親戚はいない。伊呂波の邸宅も財産も処分した。弁護士だか税理士だか、顧問がいた。あの人だけは、当時から信用できた。今でもたまに会う。


 母方の親戚も同じ町に住んでいた。順々にたらい回しにされた。オレと兄貴を、しばらく引き受ける。期間が済むと、オレたちを次の家へ任せて、自分たちは引っ越していく。


 小学校時代の自分を、オレはあまり覚えていない。ほとんど教室で過ごさなかった。スクールカウンセラーの部屋に一日じゅう閉じ込められて、校庭にも教室にも行けなかった。


「煥先輩」

「話せって?」

「できれば、聞かせてください」


 鈴蘭がオレを見ている。オレも鈴蘭を見下ろす。


 そういう表情は、覚えてる。お節介で、勝手な責任感に満ちてて、どこか憐みを含んでいる。信用できなかった大人たちと同じ。聞くだけ聞いて、でも、どうせ他人事。オレなんか、どうしようもないだろ。


「小学生のころ、親が死んだ。葬式の日、オレはクラスメイトにケガをさせた。うっかりして、障壁を出したんだ。それに触れたやつの手が、焼けた。一生消えないヤケドだ。みんなオレを怖がった。以来、オレは檻の中。中学に上がるまで、ずっとだ」


 檻の管理者がスクールカウンセラーで、鍵を開けてほしいオレは、だからこそ何も話せなかった。


 オレの能力、障壁guard。光は、障壁の形をしているが、それだけじゃない。破壊の光だ。圧倒的な高温で、触れるものを焼き焦がす。


 オレは、祖父の能力と命を奪って産まれた悪魔だ。戦うために与えられたはずのチカラがある。そのくせ、両親を守れなかった無能な能力者。でも、そんなことを話したとして、大人が信じるはずもなくて、ますます自由が遠のくだけだとわかっていた。


「先輩? 詳しく聞かせてもらえませんか? わたし、まだ勉強中です。でも、少しは心理学の知識もあるし。先輩の痛みを分けてもらえませんか?」


 型どおりの言葉。むしろ、信用できない。


「あんたの能力が、体の傷だけじゃないなら。痛みを引き受けて傷を治す癒傷nurseが、心理的なところにも使えるなら」

「治させてもらえるんですか?」

「気が狂うぞ」

「そんな」


 孤独、自責、不信。悲しみを通り越して、怒りを通り越して、知ったのは絶望。


「恵まれて育ったお嬢さま。あんたじゃ、オレの傷は治せない」


 だから近寄るな。


「そんな言い方、大嫌いです!」

「好かれたいとも思ってない」

「さ、最低! 見損ないました」


 鈴蘭が大きな音をたてて荷物をまとめる。椅子を蹴飛ばすように立ち上がった。でも、出ていこうとしない。立ち尽くしている。


「まだ何かあるのか?」


 鈴蘭はうつむいた。長い髪が顔を隠した。


「送ってくれるんでしょう?」


 その約束、生きてるのか。オレは鈴蘭の手からカバンを取った。相変わらず、中身が詰まっている。オレは歩き出した。黙ったまま、鈴蘭がついて来る。


 心臓の動きが静かだ。これくらいでちょうどいい。嫌われてしまうほうが気楽だ。

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