「ぼくと彼女では、時代が違います」

 昼休みに偶然、師央を見付けた。寧々が一緒だった。


 裏庭のバラ園だ。虫が出るからって、案外ひとけがない場所。オレはここを気に入ってる。ってことは、そっか。虫じゃなくて、バラ園に人が寄り付かない理由はオレか。


 師央と寧々は並んで座っていた。弁当を食べた後らしい。話し込んでる様子で、オレに気付かない。寧々が師央に手のひらを見せている。


「すっごいザラザラでしょ? 左手は弓のグリップでこすれるし。ほら、親指と人差し指の間とか、硬くなってて。右手も、タブでこすれた跡がタコになってるの。タブって、弦から指を守るプロテクターなんだけど」

「寧々さんが努力してる証拠、ですね」


「んー、努力かなぁ? 好きなことやってるだけ。で、好きなことで負けたくないだけ。あのね、タカも昔はやってたんだよ」

「アーチェリーを?」

「うん。けっこううまかった。いいライバルだったんだけどなぁ」

「どうして辞めたんですか?」


 寧々は、前髪のオレンジ色を指に巻き取った。


「お金かかるから。アーチェリーって、道具代、すごいんだ。中学のころだったし、バイトもできないし。結局、タカはアーチェリーをあきらめて。で、グレたんだよね。一時期、ほんと、声かけらんないくらいで。だって、あたしは続けてたし」


 恐る恐る、師央が訊いた。


「寧々さんも、不良、なんですか? 暴走族?」


 寧々が明るい声で笑った。


「不良と言われれば不良だし、暴走族なんて時代遅れなモノが気に入ってるのも確かだし。でも、部活はまじめにしてるよ? 大会のときは、エクステ外すしね。何て言うかさぁ、あたし、どっちなんだろうね? てか、不良とか普通とか、境界線、どこ?」


 師央もつられて笑っている。


「文徳さんも、似たようなこと言ってました。瑪都流バァトルは、噂が派手だから誤解される。実は意外に校則も法律も守ってるんだ、って」

「あ、それ、あたしも言われた。最低限の校則と法律は守れ、って」


 微妙に誤解がある気がする。兄貴は確かに、校則を守らせたがる。その一方で、過激なポリシーも持ってる。大多数が守れない校則なら、いっそのこと改めるほうがいい、と。


 襄陽学園の校風はけっこう自由だ。おかげで、兄貴は受け入れられてる。こんなめちゃくちゃな生徒会長、普通いないだろう。


 ふと、足音が聞こえてきた。オレはとっさに校舎の陰に隠れた。バラ園にやって来たのは、貴宏だ。師央と寧々のほうへ走っていく。


「すまん、遅くなった! 購買も自販機も、やっぱ混みまくってて」


 貴宏が師央と寧々にジュースを投げる。寧々が貴宏のオレンジ頭を小突いた。


「待たせすぎだよ? 昼休み、もうすぐ終わっちゃうじゃん」

「悪ぃっつってんだろ?」

「ねぇ、タカ。次、体育だよね。師央が潜り込むのは厳しいよね?」

「あー、ちょい厳しいかな。すまん、師央」


 師央がパタパタと手を振った。


「大丈夫ですよ。次の時間は、適当に過ごしますね」

「おう。そん次の授業はどうすんだ?」

「進学科の物理に潜り込みます」

「りょーかい。んじゃ、おれら、そろそろ行くから」

「行ってらっしゃい」


 寧々と貴宏は師央に手を振って、小突き合いながらバラ園を出て行った。オレは、師央のほうへ近寄った。寧々と貴宏を見送る背中に声をかける。


「気に入ってるのか、寧々のこと?」


 師央は飛び上がった。振り返ったとき、目が真ん丸に見開かれている。


「び、びっくりした! あきらさん、いたんですか? 足音たてずに近付かないでください」

「驚きすぎだろ。寧々のこと、図星か?」

「な、何言ってるんですか!」


 師央の顔が、みるみるうちに赤くなる。へぇ、おもしろい。オレや兄貴に似た顔立ちなのに、こんなに幼くて正直な表情をつくるとは。


 師央は赤い顔のまま、口を尖らせた。


「そ、そうですね。寧々さんは、すてきです。元気で、努力家で、明るくて。だけど、寧々さんには好きな人がいるし」

「貴宏のことか?」

「お似合い、ですよね」


 師央は、ふぅ、と息をついた。貴宏が買ってきたジュースに目を落とす。紙パックのいちごミルクだった。


「当たって砕けてみないのか?」

「本気で言ってます?」

「いや、別に」

「できませんよ。そもそも、ぼくは未来の__……ぼくと彼女では、時代が違います。一緒にいること自体、異常なんです。それは自分でもわかってるから」


 師央は未来の人間。仮にそれが事実とするなら、恋なんて、確かにあり得ない。


「おまえは未来の人間で、目的があって現代に来ていて、未来に帰るのか?」


 オレの言葉に、師央の表情が変わる。赤っぽい茶色の目に真剣な光が宿った。


「信じてくれるんですか? ぼくが未来からきたことを?」

「さぁな? オレの悪い頭で考えても仕方ない。目の前に起こること、自分が体験することだけを信じるつもりだ」


 師央は目を伏せた。


「早く目的を遂げて、帰りたいです。だけど、まだ少し先だと思います。ぼく自身、わからないことが多すぎます。今は、パズルのピースが足りてない状態で」

「協力は、してやる。オレにできることなんて、戦うことだけだろうが」


 言葉を放った後で、自分で自分に驚いた。協力? 師央のために戦う? でも、直感的な言葉だった。必ずそうしなきゃいけない気がして。


   ――守りたい――

   保護欲?


   ――命に代えても――

   何よりも大切?


   ――すまない――

   先に逝くから?


「煥さん?」

「何でもない」


 胸騒ぎがする。師央が生きる未来、という時代。それに触れようとすると、なぜだろう? 不吉な予感に叫び出したくなる。


 師央が突然、拳を固めた。


「心配しないでくださいね、煥さん。ぼくはこの時代で恋ができないけど、煥さんの恋は絶対、実らせますから!」

「は?」


「応援します! キューピッドになってみせますよ!」

「だから、何なんだ、それは?」


「キューピッドは、恋の仲立ちってことです」

「知ってる。そういう意味じゃなくてだな」


 オレは髪を掻きむしった。師央は力説を続ける。


「煥さんは、高校を出て一年後に結婚します。子どもができるんです。それがぼくってことになるんですけど。で、ぼくが産まれるのは、煥さんが二十歳のときです」

「意味わかんねぇ」


「事実です。煥さんは、もうすぐ、必ず恋をします。一人の女の子を愛するんです。誓っていいです。その人と結ばれることは、絶対に幸せです」

「あり得ねえ」


「幸せになりますから、煥さんは。結ばれて幸せになるんです。そこから先の幸せは、ぼくが守る。未来を救ってみせます」


 思わず、師央の目を見た。微笑みが切なそうだった。不吉な予感が膨れ上がる。


「幸せが続かないって言いたいのか? オレが結婚して、子どもが産まれて、その後の幸せが続かない?」


 師央の唇が動いた。声はなかった。オレは師央に訊いた。


「オレは死ぬのか?」


 師央がうなずいた。


 長生きできない気はしている。暴走族なんて呼ばれてケンカばかりで、バイクもバンドも銀色の髪も、危険なやつっていうレッテルを貼られるのに十分な条件。しかも、オレには白獣珠がある。戦うことを運命づけるかのような能力もある。


 だけど、実際に命の長さを予言されるのは。


「不気味で、不愉快で、不吉だな」


 師央が不安そうな目をした。オレは師央の頭に手を載せた。栗色の髪を、くしゃくしゃにする。


「そんな顔するな。おまえが悪いんじゃない」


 運命ってものがあるなら、それに逆らうことは可能なのか?



***



 放課後、部室に行った。ライヴの日程が近付いている。そろそろ本格的に練習しないとマズい。


 部室に兄貴はいなかった。牛富さんが兄貴の伝言を預かっていた。


「屋上に来い、とのことだ」

「鍵、開いてるのか?」

「理仁が開けたらしい。朝、煥も理仁に会ったんだろう?」

「ああ、あの軽いやつか」

「軽いな。煥とは正反対だ。まあ、だからこそ意外と馬が合うかもしれないぜ」

「冗談じゃない」


 牛富さんはしゃべりながら、手のほうはスネアドラムの張りの調整に余念がない。亜美さんはベースの弦を張り替えている。シンセの雄はヘッドフォンを付けて自主練中だ。


 オレは屋上へ向かった。四階から屋上へ続くこの階段には、めったに来ない。一時期、昼休みの居場所にしようとしていた。断念したのは、鬱陶しかったからだ。


 カップルがしょっちゅう来る。まわりが目に入らない様子で、告白もあればキスもあった。もっと過激なのも見たことがあった。さすがに校内であれはヤバいだろ? うんざりした。見たくないときに見せつけんなよ。


 久しぶりの階段を駆け上がる。屋上に出るゴツいスチール製のドアの向こうから、声が聞こえた。


【そんなに嫌わなくてもいいじゃん?】


 理仁の声は、やっぱり異様によく響く。オレはドアを開けた。


 兄貴がおもしろがっていた。師央がオロオロしていた。騒ぎの元凶の理仁は、鈴蘭に手を差し伸べている。


「さわらないでください!」

「さわるっていうか、手を握るだけ」

「来ないでってば!」


 鈴蘭が思いっきり、理仁の手を払いのけた。


「何やってんだ?」

「お、あっきー遅いよ~。おれ、待ちくたびれてさ。女の子成分の補給をしようかと」


 鈴蘭は兄貴の後ろに逃げ込んだ。


「文徳先輩、どうにかしてください! わたし、ああいう人、苦手です!」

「とのことだぞ、理仁。無理強いはするな」

「はいはい、しないよ~。無理強いしようにも、号令commandが効かないしね~」


 兄貴は肩をすくめた。


「理仁、話したいことって何だ? 早めに切り上げてくれると助かる」

「おや、文徳、忙しいの? 生徒会の仕事?」

「バンドのほうだよ。もうすぐ高体連の地区予選だろ。壮行会で演奏することになってる」

「なるほどね~。じゃ、簡単に言うけど。内緒話モードでね」


 理仁の声の質が変わった。音を持たない声が直接、オレの中に鳴り響く。


【緋炎が買収されたって話だ。買収した母体が何者か、わからない。しかも、伊呂波家を探る動きがある。瑪都流を、じゃない。白虎の伊呂波家を、だ。とにかく気を付けろ】


 兄貴が目を細めた。


「忠告ありがとう、理仁」


 オレは理仁を見据えた。


「あんたこそ何者なんだ? どこまでオレたちのことを知ってる?」


【預かり手は交流しないって? そりゃ、そーいう伝統だよね~。でも、集まりつつあるじゃん? おれさ、文徳と出会ったころから調べてんの。運命とか信じちゃうタチだし?】


「四人の預かり手と四つの宝珠が集まる? そういう運命だと?」


【四獣珠が言う因果の天秤って、気になんない? 重要そうじゃん? てか、交流しないのが可能なのは、昔の話だよ。ネットもスマホも何でもござれの現代で、調べりゃ、あっという間に情報が出てくるのに、お互い知らんぷりなんて、むしろ難しいよ?】


 埃っぽい風が、ざっと吹いた。理仁は、明るい色の髪を掻き上げた。


【でも、ま、調べて出てこないこともあるけど。伊呂波師央、だっけ? きみ、何者? 文徳の親戚なんかじゃないんでしょ?】


 師央が眉根を寄せた。名乗ることを迷ってる? 未来からきた師央も、理仁のことを知らないのか?


 オレは口を挟んだ。


「師央は、事情があってここにいる。素性は、話せるときに話す」


【あ、そう? ま、いーけど。だけど、あっきー、実は優しいんじゃん? 今、師央のこと、かばったでしょ?】


「うるさい」


【照れなくていいって~。そんじゃ、追々話してよ、師央】


 師央は理仁の言葉にうなずきかけた。でも、途中で、かぶりを振った。


「少しだけ、話させてください。ぼくも能力者だってこと、理仁さんは見抜いたから。それに、煥さんにも鈴蘭さんにも、話さなきゃ。昨日の夜、ぼくが障壁を出せた理由を」


 鈴蘭を送って行く途中、緋炎に襲われた。そのとき、確かに師央は光の障壁を作ってみせた。あれはオレの能力だ。


 師央は自分の喉に手を触れた。口を開く。声を出す。発声練習をするように、短く区切りながら。


【あ、あ、あ……聞こえて、ますか?】


 理仁が目を見開いた。愕然とした顔。


【この声質、おれの号令command!】


 師央が発したのは、音を使って言葉を相手に届ける声ではなく、相手の意識に直接命じるための声だった。


【見よう見まね、です。声の能力だから、聞きよう聞きまね、かな?】


 鈴蘭が小首をかしげた。長い髪が風に遊んでいる。


「師央くんは、他人の能力をコピーできるの?」


【コピーというほど、完全じゃないです。まねするのは、難しいし。今だって、ゆっくりじゃなきゃ、しゃべれません。この能力は、習得learning。伯父が名付けました】


 預かり手の能力は、その人柄や個性に由来するらしい。だから、同じ能力が存在することのほうが珍しい。


【これで、少し、ぼくのこと、わかりました?】


 師央は軽く息を切らしている。理仁が師央の肩に腕を回した。


「オッケーオッケー。無理しなくても、ちゃ~んと信用するからね。ま、師央は、文徳がかわいがってるんだし? ってことは、おれもかわいがるべきだよね~」

「あ、ありがとう、ございます」


「しかし、師央って呼びやすいんだよな。ニックネーム付ける必要がないっていうか」

「付けてもらわなくていいです」


 兄貴が、ポンと手を打った。


「じゃあ、そろそろ、お開きにしようか。煥、練習に戻るぞ。師央も一緒に来るか?」

「行ってみたいです!」

「鈴蘭さんは、どうする?」

「わたしは……」

「鈴蘭ちゃんは、おれとデートしない~?」


 言いながら、理仁が師央を離れた。鈴蘭に近寄ろうとする。危険を察した鈴蘭は、今度はオレを盾にした。


「お断りします!」

「照れちゃって~」

「照れてません! 煥先輩、何とかしてください!」

「何でオレが?」

「文徳先輩はおもしろがるだけなんです!」


 いや、しかし、どうせよと?


「鈴蘭ちゃ~ん、一緒に帰ろう~」

「イヤです! 長江先輩よりは、煥先輩のほうがまだマシです!」

「おい、今、オレまでまとめてけなしただろ?」


 いきなり、鈴蘭がオレのネクタイを引っ張った。とっさのことで面食らって、前のめりに引き寄せられる。白い小さな顔が近い。鈴蘭のまつげの長さに気付いて、ドキッとする。そのまま心臓が走り出す。


 鈴蘭は早口でささやいた。


「わたし、ほんとに、ああいう人ダメなんです。絶対、二人きりとか無理です。煥先輩、バンドの練習があるんですよね? わたし、図書室で待ってます。練習が終わったら、迎えに来てください」


 風が吹いた。鈴蘭の黒髪がオレの頬に触れた。甘い香りがした。


「な、何で、オレが?」

「ボディガード役、お願いします。じゃなきゃ、両親がうるさいんです」


 鈴蘭は、言うだけ言って、身をひるがえした。あっという間に屋上を出ていく。


 理仁が口笛を吹いた。


「見せつけてくれるじゃん。ここからだと、角度的に、チューしてるようにも見えてさ~」


 ふざけんなよ。一方的に、わーっと、まくしたてられただけだ。オレは何もしてない。というか、何もできなかった。


 オレは右手で、顔の下半分を覆った。息が熱い。頬が熱い。顔が赤いのが自分でわかる。鈴蘭の青い目が、あんなに近くにあった。怯えてなかった。媚びてなかった。嫌ってなかった。ただまっすぐに、オレは見つめられていた。


 師央の言葉を、不意に思い出した――煥さんは、もうすぐ、必ず恋をします。

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