三幕:好色之能力者

「あっきーも、気軽に恋してみない?」

 朝一番から、兄貴は横暴だった。


「鈴蘭さんを迎えに行ってやれ」

「は? 何で?」

「昨日、通い慣れた通学路で襲撃されたんだぞ。不安な思いをしてるかもしれない。実際に危険があるかもしれない」

「だからって、どうしてオレが?」

「三年の進学科は今日、必修の朝補習だ。生徒会長のおれがサボれるはずもないだろ?」


 嘘つけ。普段は要領よくサボってるくせに。


 朝飯を作る手を止めて、師央が振り返った。いつの間にエプロンなんか用意した?


「ぼくも一緒に行きましょうか?」

「頼む」


 師央がいるほうがまだマシだ。女と二人きりなんて、冗談じゃない。


 そういうわけで、オレと師央は安豊寺家の門の前に立った。昨日と同じ門衛がオレたちに敬礼する。


 ちょうどタイミングよく、鈴蘭が家から出て来るところだった。広い庭を小走りで突っ切る鈴蘭の後ろに、黒服の男が二人。あれは何なんだ?


 疑問は、すぐに解けた。


「おはよう、師央くん。あきら先輩もおはようございます。一緒に登校してくれるんですよね?」

「兄貴にそれを命じられた」


 鈴蘭は、黒服二人を振り返ってにらんだ。


「というわけだから! ボディガードは必要ないから! 煥先輩は一人であなたたち二人より強いの! 学校にまでついて来ないで!」


 黒服たちが顔を見合わせた。鈴蘭が、すがるような目をオレに向けた。面倒くせえ。


「もう聞いてるかもしれないが、オレは白虎の伊呂波、当代の預かり手だ。青龍の護衛なら引き受ける。昨日、傷を治療してもらった借りがあるしな」


 鈴蘭が門を飛び出してきた。一瞬、オレのほうへ手を伸ばそうとして、でもすぐに引っ込めた。代わりに師央の制服の袖をつかんだ。


「さ、早く学校に行こう! あなたたち、おとうさまに伝えておいて。煥先輩がわたしを守るから平気だ、って。じゃあ、行ってきまーす!」


 鈴蘭は師央を引っ張って駆け出した。


 オレは、鈴蘭に訊いておきたいことがあった。それは鈴蘭も同じだったらしい。オレより先に切り出してきた。


「煥先輩は、わたしのこと知ってました? 安豊寺家が青龍の家系だってこと」

「知らなかった」


「ですよね。わたしも、一昨日、師央くんの白獣珠を見るまで、伊呂波家のことは知りませんでした。あの日、初めて、両親から具体的な話を聞きました。四獣珠を守る四つの家系の名前。それぞれの家の間に交流がないこと。そして、交流を持たない理由」


 いつの間にか、オレの隣に鈴蘭がいた。師央が一人、少し先を歩く形だ。鈴蘭は前を見つめている。横顔が真剣だった。


 オレは、師央の栗色の頭を見ながら言った。


「四獣珠に関すること、話してくれ。オレの家系には、話をできる人間がいない両親は他界したし、祖父母もいない。伊呂波の苗字を持ってるのは、オレと兄貴だけなんだ」


 伊呂波家は父方の血筋だ。両親が死んだ後、オレと兄貴は母方の親戚に育てられた。兄貴が高校に上がるとき、一緒にそこを出た。


 鈴蘭がカバンを持つ手を替えた。オレの膝のあたりで、重そうなカバンが揺れる。置き勉しないのかよ、この優等生は。オレは呆れつつ、鈴蘭のカバンを持った。


「続き、話せ」

「は、はい。四獣珠の預かり手は交流しない。それは昔からの取り決めだったそうです。今から八百年くらい前、十三世紀に、獣珠は中国大陸から日本に渡って来た。それ以来ずっと、預かり手たちは、進んで交流することはなかった。なぜだか、わかりますか?」


 師央が、そっと振り返った。


「争いの種になるから。四獣珠は、人の願いを叶えます。代償さえ差し出せば、誰の願いでも、どんな願いでも叶えてしまう。四獣珠は、一つでも大きな力を持っているんです。それが四つも集まると……」


 師央が口をつぐむ。オレが続きを引き継いだ。


「争う人間が出てくる」


 鈴蘭の目が、オレと師央へ、順に向けられる。


「煥先輩、師央くん。運命って信じますか?」

「さぁな」

「ぼくは、信じてます。運命の存在と、運命の可変性を」


 鈴蘭は話の筋を戻した。


「自分から交流しない預かり手たちだけど、何代かに一度、集ってしまうときがある。母がそう言ってました。その要因は、母にもわからないみたいですけど」

「その交流のときが今、ということか? 因果の天秤に、均衡を、だったか?」


「煥先輩の白獣珠も、それを言っていたんですね? 青獣珠も同じで、しゃべるなんて思ってなかったから、びっくりして。どういう意味なんでしょう? 集まりたがらない性質をくつがえすくらい、大事な意味があるんでしょうか?」


 オレは師央を見た。師央もオレを見ていた。


「ぼくも聞いています。因果の天秤に均衡を取り戻すのが役割だって。ぼくは、四獣珠が争いの種になると知っています。でも、ぼくにチャンスをくれたのも四獣珠です。ぼくの__を__……ダメか。未来を救う……この言葉ならいいんだ……未来を救うきっかけを見付けるために、ぼくはここへ来ました。この時代、この場所へ」


 白獣珠を持つ師央がオレの前に現れた。それとほぼ同時に、青獣珠の鈴蘭に出会った。この筋書きが運命だというのなら、四獣珠が集う争いの物語は始まったばかりだ。


 しかも今、四獣珠は四つじゃない。預かり手は四人じゃない。五つ目の四獣珠があって、五人目の預かり手がいる。これから何が起こるのか?



***



「これは何が起こってるんだ?」


 校庭で、女子が二人の男に群がっている。普段の登校中の挨拶攻めなんて、比じゃない。比喩でも何でもなく、本当に群がっている。


「どうしちゃったの、この人たち? ボーっとして、顔が真っ赤」


 群がった女子たちは、中心に立つ二人の背の高い男に見惚れてるらしい。


 男の片方は、知らない。明るい色の髪で、女にモテそうな顔をしてる。事実、両腕に女を抱き寄せている。

 もう片方は、言わずと知れた兄貴だ。しかも、兄貴の背中に抱き付いてるのは亜美さんだ。二人とも、人前でイチャつくキャラじゃないんだが。


 何百人いるんだろう? ってくらいの女子の群れだ。教職員も交じってる。男子の姿もちらほらある。


 師央がリュックサックを胸に抱いた。


「先に進めませんね。しかも、どんどん数が膨らんでいくし」


 登校してきた連中が、わらわらと、兄貴たちに見惚れる群れに加わる。集団催眠にでもかかったみたいだ。

 ふと、兄貴がオレを見た。右手を挙げる。兄貴の隣の男が、兄貴に話しかけた。


【ん? あれが噂の弟くん?】


 嘘だろ。どうして声がここまで届く? そんなにハッキリと。百メートルは離れてるし、間は人だらけなのに。受け答えする兄貴の声は、まったく聞こえない。


【弟くん、困ってるっぽいね~。前に進めませんって感じ? みんな聞いて~!】


 異様に響き渡る声が呼びかけた。その瞬間、水を打ったように、世界が静まり返った。


【道、開けてやって~!】


 音、じゃなかった。そいつの声は、音じゃない何かが本体だ。だから、異様に遠くまで聞こえてくる。声なのに音じゃないって意味では、白獣珠の声と似てる。


 人の群れが割れた。そいつの命令に、完璧に従うみたいに。


【ほらほら、弟くん、おいでよ~。一緒に女の子たちに囲まれようぜ。弟くんファンも多いって聞いてるよ~】


 そのとたん、そこここで声があがる。


「煥先輩、今日もクール!」

「カッコいいよね、煥先輩!」


 また何だか面倒くさいことになってきてる。オレはうんざりして、ため息をついた。


「とりあえず、行くか」


 歩き出すオレの後ろに、鈴蘭と師央がついて来る。人垣の中にできた道は、熱気がすごい。小声のつぶやきが、ときどき聞こえてくる。


「超カッコいい」

「イケメンすぎる」

「暴走族で近寄りがたくて」

「でも、生徒会長のほうが」

「彼女さん、うらやましい」

「生徒会、入ろうかな」


 不気味だ。無防備すぎる。好意だか好奇心だかが、駄々漏れになっている。ここまで本心をむき出しにするなんて異常だ。


 ようやく中心部までたどり着いた。兄貴は「よう」と片手を挙げた。もう片方の手は、亜美さんの髪を撫でている。


「よう、じゃないだろ。どうなってんだよ、これは?」

「学校じゅうの女子に囲まれる体験ってさ、たまにはおもしろいだろ?」

「オレはごめんだな。どういう手品だ?」


 兄貴は肩をすくめて、隣の男を見た。異様に声の響くその男は、朱い色の瞳をしている。そいつはオレに笑いかけた。


「初めましてだね~。おれ、ながひとふみのりのタメで、親友だよ。よろしく~」


 軽いノリのしゃべり方が、なんか疲れる。


「どうも。兄貴が世話になってるみたいで」

「いやいやいや、こちらこそ。文徳には世話かけっぱなしなんだよね。あ、そうそう。去年、おれ、フランス留学してたの。だから、弟くんへの挨拶も遅れちゃってさ~。ま、先月には戻ってたんだけどね。時差ボケが抜けるのに一ヶ月かかっちゃって」


 要するにサボりまくってたんだろ。五月に入ってようやく初登校って、出席日数、大丈夫なのかよ? いや、こいつの出席日数はどうでもいい。知りたいのは別のことだ。


「この意味不明な状況は何なんだ? あんたが原因なんだろ?」

「年上にあんたはよくないよ~。ま、呼び捨てでいいけどね。弟くんは、煥だよね? あっきーでいい?」

「よくない」


「じゃ、あきらん」

「普通に呼べ!」

「だったら、やっぱ、あっきーかな~」


 意味わかんねぇ。ほっとくか。


「とにかく。この状況とあんたの声のこと、説明しろ」

「理仁。おれのこと、理仁って呼んでってば」

「……理仁」

「オッケー! あっきーって、けっこうすなおじゃん。文徳の教育が行き届いてるね~」


 教育じゃねぇよ。兄貴の横暴が身に染み付いてるだけだ。どうでもいい場面では意地を張らない。それがいちばんいい。


 理仁の朱い目が、急に、ギラリとした。顔は笑ったままだ。目だけが強い光を放っている。理仁は唐突な言葉を吐いた。


「あっきーも、気軽に恋してみない?」

「は?」


 理仁の声の質が変わった。さっきも聞いた声。いや、感じた声、というべきか。直接、脳と心と本能の真ん中に響いてくる声だ。


【かわいいなー、って感じる子、いるでしょ? その子の手を握っちゃうとか。やってみたいと思わない?】


「なるほど。これが、この校庭の状況の正体か」


 理仁のまなざしが、すっと軽くなる。


「うすうす勘付いてはいたんだけどさ、能力者相手だと、おれのチカラ、無能なのね」


 理仁も能力者、ってわけか。でも、うすうす勘付いてた? 口を開きかけるオレを、理仁が制した。


【タンマ! あっきーがしゃべると、まわりに聞こえるからね~。おれは自分の声を調整できるから、内緒話できるけど。あっきーは、黙って聞いてなよ? 文徳もね。それと、あっきーの後ろのお二人さん。きみらも能力者? おれの声に従ってくれてないけど?】


 鈴蘭と師央がうなずく気配があった。


【オッケー。今から話す内容は六人だけの秘密ね? おれ、長江理仁は、朱雀の預かり手だ。宝珠の名前は、しゅじゅうしゅっての。たまに噛むんだよね、この名前】


 やっぱり、預かり手と四獣珠が集まるのか。白獣珠の鼓動が、近くにある三つの宝珠と同期してるのを感じる。これから何かが起こるんだ? いや、すでに起こり始めてるのか?


 理仁が兄貴を見た。


【一年のとき、文徳に出会って、驚いたよ。文徳はおれの声にほとんど従わない。そんなやつ、初めてでさ~。ちょっと調べてみたんだよね。そしたら、白虎の家系じゃん? だから、おれの手に負えないんだな。マインドコントロール系は一般人相手じゃなきゃムズいの。ってことで、文徳のこと気に入ってさ~。だって、おれと対等なんだよ?】


 兄貴が苦笑した。


「少しは従ってしまうけどな。今、亜美に触れたくて仕方ない」

「全校生徒の前で、彼女を押し倒してみる?」

「さすがにそれは遠慮したい」


「上品だよね~、暴走族の総長のくせに。てか、ハイスペックすぎるっしょ、文徳は。不良の元締め、生徒会長、学年トップクラスの成績で、バンドマン。できないこと、ある? 能力者じゃないってことくらいじゃないの?」


 理仁は、へらへらと笑った。その笑いをオレに向ける。


「あっきーは、銀髪の悪魔だっけ? 銀色の髪と金色の目の超絶イケメンで? ケンカは最強、バイクは最速、しかも歌うまいし? 女の子は、ほっとかないよね~」

「からかうな」

「おぉ、すっげー眼光! カッコいいじゃん」


 こいつの話のリズム、ウザい。そろそろ本気でイライラしてきた。


「要点だけ話せ」


【はいは~い。ま、要点だけ言うとね。おれの能力は、号令command。おれが放った号令、命令は、人を従わせる。効果の強さ弱さのバラつきは出るけどね】


「能力が及ぶ範囲、広いみたいだな」

「そーでもないよ? 今ここでは、すっげー緩い号令だけ出してんの。こーんなふうにね」


 理仁が短く深く息を吸った。改めて号令commandが発せられる。


【カッコいいから好きーって気持ちに、正直に行動して。ただし、人をケガさせちゃいけないからね~】


「はーい!」


 女子たちの声が一斉に答えた。


【こーいうのは簡単なんだよね~。人の本心を後押しするだけの簡単なお仕事。本心と違うことをさせるときはキツいよ? 疲れちゃうから、めったにやらないんだ。ってことで、説明終わりでいい? 何か質問は~?】


 鈴蘭が進み出て口を開いた。顔を見下ろしたら、案の定、怒っている。


「学校じゅうの女の子に、変な命令するなんて。何が目的なんですか?」

「そりゃー、モテモテって楽しいし? 女の子たちも、正直になるほうが楽しいだろうし? 需要と供給の見合った、すてきな計らいだと……」

「思えません! すぐ元に戻してあげてください! あなたのしてること、道徳に反してます!」


 ご立腹の鈴蘭を前に、理仁はへらへらしている。


「美少女な上に、気が強いんだな~。すてきだね」

「からかわないでください!」

「お、今のリアクション、あっきーとかぶってる」

「知りません!」


 理仁は緩い雰囲気のまま、朱い眼光だけ鋭くした。


【そうカリカリしないでよ~。預かり手同士、協力したいじゃん? てか、調べたから知ってるんだよね。青獣珠の預かり手、安豊寺鈴蘭ちゃん。進学科の一年生、文系。将来の夢は、スクールカウンセラー】


 鈴蘭が、ハッと息を呑む。理仁の目が師央へと動いた。


【でも、そっちの彼は知らないな。能力者なのにね】


 漂いかけた緊迫感を打ち破るように、予鈴が鳴った。兄貴が理仁を促した。


「さすがに、遊びはここまでにしよう。補習をサボれたし、おれは満足だ」


 兄貴、やっぱり補習サボってんじゃねぇか。オレに鈴蘭の迎えを押し付けやがって。


 理仁は兄貴にうなずいてみせた。


「りょーかい。でもさ~、文徳。おれ、ちょっと話し足りないんだよね」

「そうだな、放課後、部室にでも来い。それとも、屋上を開けてもらえるか?」

「お、いいね。親父んとこから鍵かっぱらってくる」


 兄貴が理仁を指して言った。


「付け加えておくと、理仁は、襄陽学園理事長の息子だ」


 マジかよ。典型的な放蕩息子だな。

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