「じっとして。すぐに治すから」
結局、安豊寺と師央が並んで歩いている。その後ろを、オレが歩いている。歩くの遅いな、こいつら。安豊寺が小柄なせいか。
襄陽学園は町の真ん中あたりにある。学園より港寄りは繁華街。反対側は、そこそこ裕福な住宅地。特に、港からいちばん遠い山手のエリアは高級だ。安豊寺の家は山手エリアにある。徒歩通学の圏内だ。
昨日、成り行きで家の前まで送った。庭の広い大きな家だった。記憶の中にあるオレの実家に似ていた。門衛の雰囲気とか、芝生の庭の感じとか。寧々は安豊寺を“お嬢”と呼ぶ。中学時代のあだ名らしい。確かに安豊寺はお嬢さま育ちだ。
逢魔が時、っていう時間帯だ。日が沈んで、でも、ぼんやり明るい。
「
振り返った師央に呼ばれた。安豊寺は前を向いたままだ。オレの顔なんか見たくない、ってとこか。
「何だ?」
「煥さんと文徳さん、どっちがモテますか? 今日、教室でそんな話になってて」
下らねぇ。
「見てわかれ。兄貴に決まってるだろ」
「見てても、わかりませんでした。煥さんのクールなとこがいいって人も多いし」
「遠巻きに見物するのと、モテるのと、全然違うだろうが。兄貴は普通にモテるんだよ。誰とでも平等に接するし、モテるくせに彼女一筋だし」
安豊寺が勢いよく振り返った。
「か、彼女っ?」
「さっき、部室にいただろ。三年の亜美さん。兄貴は昔から、亜美さんしかいないって言ってる。親同士も認めてたしな。許嫁って言っていい」
安豊寺は立ち止まって、ポカンとしている。師央が恐る恐る声をかける。
「あの、鈴蘭さん?」
「……えーっと……びっくりした……ごめん、うん、平気。そ、そっか、そうなんだ。文徳先輩、許嫁がいるんだ」
兄貴のこと、気になってたのか?
「残念だったな。さっさと歩け。暗くならないうちに帰るほうがいい」
ポカンとしてた安豊寺が、怒り顔になった。
「デリカシーないですよね、煥先輩」
勝手に言ってろ。
オレたちは再び歩き出した。足音高く進む安豊寺は、さっきより歩くスピードが速い。師央がオレを見た。
「煥さんは、彼女いますか?」
「いない。つくるつもりもない」
安豊寺が口を挟む。
「彼女、できないと思うよ。失礼だし、暴力的だし、デリカシーないし」
安豊寺もたいがい、口調がキツいけどな。オレに対してここまで言うやつも珍しい。兄貴を除けば、前代未聞だ。
「でも、煥さん、もうすぐ彼女できますよ。結婚も早いんです。高校を出て二年目だから」
「ふざけんな」
「だけど、ぼくが__未来なんです」
師央のセリフが不自然に途切れる。安豊寺がまた足を止めた。今度は体ごと師央に向き直る。
「昨日も未来の話をしてたね。白獣珠を見せながら。わたしが同席してもいい話なの?」
確かに昨日、師央は安豊寺の前で白獣珠の名を言った。でも、今の安豊寺の口振りは、あまりに迷いがない。
「白獣珠を知ってたのか?」
安豊寺は静かな目をオレに向けた。温度のない視線。嫌われてるな、と感じる。
「わたしは師央くんと話したいんです。割り込まないでください。でも、仕方ないですよね。四獣珠は大切なものだから。煥先輩が目の色を変えるのも、仕方ない」
髪がザワッと逆立つような気がした。こいつ、なぜ知ってる? 何を、知ってるんだ? 思わず、拳を固めた。手のひらに爪が突き立って、チリッと痛む。
「鈴蘭さんには、聞いてもらいたいです。鈴蘭さんは、全部を知る権利が、あります」
師央が言った。安豊寺は師央を見つめた。
「権利の根拠は? わたしの血筋? それとも、わたしの未来に関係があるの?」
ひとつ、沈黙。師央が言葉を選ぶための、空白。選ばれた言葉たちが、紡がれる。
「ぼくは、鈴蘭さんの未来や運命を知っています。それが、ぼくがここにいる理由です」
「わたしの未来に、何が……」
その瞬間、まばたきひとつぶんの間に、いくつものことが連鎖的に起こった。
敵意の飛来を感じた。飛び道具だ。
カバンを捨てた。右の手のひらにチカラを集める。地面を蹴って飛び出す。左腕で安豊寺を抱える。右手を肩の高さに掲げた。光の障壁を展開する。
バシッ!
障壁に何かが衝突して燃え尽きた。粉砕したモノの破片がパラパラと落ちる。それが何かに気付いて、ゾッとした。
銃弾。
もちろん実弾だ。順一たちが使ってたエアガンのBB弾とはわけが違う。
「師央、走るぞ。銃で狙われてる」
突っ立ってる師央の正面に、オレは踏み込んだ。師央を背中にかばう。
バシッ!
二度目の銃弾が飛来して、消滅する。これは緋炎の仕業なのか? あいつら、銃にまで手を出してるのか?
「ちょ、下ろして!」
オレの左腕の中で安豊寺が暴れた。黙っててくれないと抱えにくい。
「じっとしてろ」
「へ、変なとこ、さわらないでっ!」
言われて初めて気付いた。手のひらに当たる感触の柔らかさ。ヤベぇ、気持ちい……じゃなくて! オレは慌てて安豊寺を突き放した。
「オ、オレは、別に、さわるつもりはっ」
「ムッツリスケベ!」
「ち、違うっ」
「最低!」
「誤解だ!」
三度目。空気の裂ける音。展開したままの障壁に、手応え。
バシッ!
安豊寺が息を呑む。師央が震える声を絞り出す。
「銃声、聞こえないのに」
「サイレンサー付きの遠距離ライフルだろうな。狙われたのがオレじゃなきゃ、死んでる。でも、たぶん狙撃は終わりだ。直接攻撃の連中が来た」
オレが言い終わるより先に、マフラー音が聞こえ始めた。閑静な住宅地をバイクの集団が爆走してくる。
安豊寺が吐き捨てるように言った。
「暴走族って、騒々しい。あんな音させて、どこがカッコいいの?」
「同感だな。下手くそが改造すると、あんな音にしかならない。無駄に重くなって、走行の性能も落ちる」
思わず本音を口にした。安豊寺は無視。おい、この嫌われ方は、さすがに不本意だぞ。
住宅地を巡る坂道の下のほうから、ヘッドライトが現れた。五台、か。突っ込んでこられたら厄介だが。
「おまえら、下がってろ」
言いながら、師央と安豊寺を追いやる。どこかの邸宅を囲う塀に背中を預ける形だ。
あっという間に、五台のバイクに囲まれた。五台とも全部、真っ赤に塗りたくられたハーレー。ボディに緋炎のロゴがスプレーされている。
いかつい体格の男が五人、ハーレーを降りた。メットを脱いだやつが一人いる。顔を知ってる。幹部だ。
「よぉ、銀髪。昨日はうちの下っ端どもが世話になったな。あんなレベルじゃ退屈だっただろ? ってことで、骨のあるのを連れて来たぜ」
無駄に律儀な男だ。報復しに来たんだろう? バイクで突っ込んでくれば話は早いのに、わざわざ挨拶付きの決闘とは。
「どけ、邪魔だ」
「邪魔だってんなら、どかしてみな?」
「痛い目を見るぜ」
「そりゃこっちのセリフだ」
「忠告するが、銃はやめとけ。足が付きやすい」
「何言ってやがんだ、あぁ? ダラダラおしゃべりしてる時間はねぇんだよ。やれ」
幹部が顎をしゃくった。三人の男が飛びかかってきた。遅い。そして、バラバラだ。
一人目のナイフをかいくぐって、そのみぞおちに肘を叩き込む。体勢を沈めた流れに乗せて、回し蹴り。二人目の脚を払う。三人目の拳の軌道を上腕でそらす。前のめりの敵の体に、膝をぶち込む。ダメージの浅い二人目の腰を踏む。
これで三人とも、しばらく起き上がれない。あと二人。
前進して、幹部との距離を詰める。跳躍。かかとを頭上に落とす。ヒットする直前、勢いを殺した。でなきゃ、こいつの命がない。幹部は声もなく沈んだ。あと一人。
振り返って、舌打ちする。刃渡りの長いナイフが光っていた。安豊寺を狙っている。オレは飛び込んだ。角度が悪い。敵へのカウンターは望めない。ナイフの正面に、左腕を差し出した。
焼け付く痛みが上腕に走った。体勢を崩しながらも、敵を突き飛ばす。
「煥先輩!」
背中の後ろで安豊寺が叫んだ。敵が視線を動かした。オレから、師央へと。
「危ねぇっ!」
敵がナイフを振りかざして、師央に突っ込む。師央は右手を突き出して、目を見開いて立ち尽くしている。
瞬間、オレは目を疑った。師央の手のひらの正面、何もない空間に、光が集まる。
敵が師央に襲い掛かった。その瞬間、障壁を形作る光がクッキリと見えた。敵が弾き飛ばされながら悲鳴をあげる。ヘルメットが煙を上げて焼け焦げた。異臭が混じる。たぶん、髪が焼けた匂いだ。
師央が、へたり込みそうになった。オレは駆け寄って、その腕をつかんだ。
「おまえ、今、何をした!?」
「
「オレの能力を、どうして?」
「見よう見まね、です」
オレは唇を噛んだ。師央には謎が多すぎる。考えがまとまらない。考えても仕方がない。今は、現実だけを見るほうがいい。
「まずはここを離れる。走れ。とりあえず、安豊寺の家を目指す」
危険を感じたら、進路を変えればいい。勘だが、今日の襲撃はこいつらだけだと思う。
そもそも、良識ある住宅地で仕掛けること自体、失策だ。今ごろ、誰かが通報してるだろう。伸びてるこいつらは、警察に回収される。
オレは、自分と安豊寺のカバンを拾った。安豊寺の足に合わせて、坂を駆け上がる。
傷の痛みが拍動している。でも、たいした深さの傷じゃない。このくらいなら、すぐにふさがる。
走るうちに、完全に暗くなった。やがて、安豊寺の自宅の明かりが見え始める。そのころには、早歩き程度のスピードになっていた。
安豊寺はせわしない呼吸をしている。一度耳につくと、ひどく気になった。色っぽいように聞こえて、焦る。そんな呼吸の仕方、するなよ。
オレは、安豊寺と師央に訊いた。つっけんどんな口調になった。
「歩くか? もう襲撃はないと思うぞ」
安豊寺と師央は足を緩めた。二人とも肩で息をしている。安豊寺がまた、オレに手を伸ばそうとした。見下ろすと、サッと手を引っ込めた。
「あ、あの、ケガ、大丈夫、ですか?」
息の多いしゃべり方に、ドキッとした。安豊寺の黒い前髪が汗に濡れている。軽く開かれた唇。真剣な表情の目。
オレはそっぽを向いた。師央と目が合いかけて、足元を見た。
「これくらい、慣れてる。安豊寺は無傷だろ?」
「はい」
「じゃあ、いい。気にするな」
「気に、しますっ。ちょっと、腕、貸してっ」
オレの左腕に安豊寺の手が触れた。ザワッと、寒気に似たものが背筋に走る。触れてくる手を払いのけようとして、左腕がビクリとする。安豊寺が小さく首をすくめた。
いけない。払いのけて、傷付けては、いけない。
でも、苦手なんだ。触れられるのも、触れ合うのも、他人の体温や柔らかさも。
安豊寺の黒髪が近い。いい匂いがした。一瞬で息が詰まった。安豊寺がオレを見上げた。夜の中に輝く青い目に射抜かれた。
「じっとして。すぐに治すから」
安豊寺がオレの左の上腕に手のひらをかざした。しなやかな形の手だ。それが不意に、ふわりと発光する。
「この光って、安豊寺、あんたも能力者なのか?」
安豊寺の手から淡い青色の光があふれ出して、オレの腕を包む。温かい。やわやわと、湯の中をたゆたうみたいに。
しゅわしゅわと炭酸が弾けるような感触とともに、傷口がふさがって痛みが消えていく。
安豊寺が歯を食いしばっていた。眉間にしわを寄せている。
「煥先輩の嘘つき。こんなに、痛いじゃないですか。傷、ズキズキして、ヒリヒリして。なのに、平気なふりしてたなんて。嘘つきです」
青い光が、すぅっと消えた。安豊寺がオレの腕から離れた。その瞬間、ふっと吹き抜けた夜風が、思いがけず冷たい。
「傷が、治った」
「これがわたしの能力、
安豊寺は制服のリボンをほどいた。カッターシャツのボタンを一つ外して、襟の内側に指を差し入れる。鎖がのぞいた。細い指が鎖を引くと、ペンダントトップが現れた。金でも銀でもないメタルに守られた宝珠。夜の中でも、冴え冴えと青い石。
オレの胸で、白獣珠が鼓動している。同じリズムで、青い石の内側に淡い光が脈打っている。
「
「そうです。青龍の力を秘めた宝珠、青獣珠です。わたしは青獣珠の預かり手として、傷を癒すチカラを持っています。でも、限界があります。痛みを引き受けられる範囲の傷しか治せません。致死的な傷は、痛すぎて耐えられない」
安豊寺は右手で、自分の左の上腕をつかんだ。
「オレの傷、痛かったか?」
「痛かったです」
うつむいた安豊寺が弱々しく見えた。ごめんと、つい謝りそうになった。オレのせいじゃないのに。
「頼んでない。大したケガでもなかった」
「大したケガです!」
「オレにとっては、日常茶飯事だ。ケンカばっかりだからな。箱入りのお嬢さまには、想像もつかないだろ」
「そういう言い方、嫌いです! わ、わたしは別に、あなたのためじゃなくてっ、自分の自己満足のために、治しただけだから! だって、わたしのせいでケガしたみたいで。そ、そんなの、見てるだけで、痛いから……」
言葉尻がすぼんでいく。
安豊寺の声が聞こえたんだろう。屋敷の門衛がこっちへやって来た。
「お帰りなさいませ、お嬢さま」
オレは中年の門衛に安豊寺のカバンを渡した。
「物騒な連中と鬼ごっこしてきた。門を入るまで、見送らせてくれ」
門衛がオレに軽い疑いの目を向けている。そりゃそうだろう。見るからに崩れたオレの格好。お金持ちのお嬢さまを見送るには不釣合いだ。
「失礼ですが。お名前を頂戴してよろしいでしょうか?」
オレは、使いたくない名乗りを使った。
「伊呂波煥。白虎の伊呂波だ」
奇跡の根源、四獣珠。人が願いをいだくとき、願いに見合う代償を差し出すならば、四獣珠は願いを聞き入れる。願いは叶えられ、奇跡が実現する。
四獣珠には、四聖獣の力が宿っている。青は東方の青龍。白は西方の白虎。朱は南方の朱雀。玄は北方の玄武。四つの選ばれた家系が、四獣珠を預かっている。預かり手は当代に一人。その者は必ず異能を授かる。
白虎の伊呂波というオレの名乗りに、門衛は背筋を伸ばした。予想どおりだ。こいつは四獣珠の事情に通じている。オレの家の門衛がこんなふうだった。
門をくぐるまで、安豊寺は無言だった。さよなら、と師央が手を振った。その後になって、安豊寺はようやく声を発した。
「待って!」
門の格子の向こうから、青い目がオレをとらえた。人形みたいに整った顔が少しこわばっている。
「煥先輩、今日、ご、ごめん、なさい。わたし、生意気ばっかりで、口ばっかりで。足手まといにしかならなくて。何も、できなくて。役に立てなくて」
急に何を言い出すんだ? オレは左腕を掲げてみせた。
「できるだろ。役に立ってる。安豊寺のおかげで、無傷だ。兄貴に叱られなくてすむ」
安豊寺は目を丸くした。それから、小さく微笑んだ。唇の両端が持ち上がって、頬にえくぼができた。
オレは、息が止まる。初めて、まともに安豊寺の笑顔を見た。ただそれだけなのに、驚いて、ドキリとして、目をそらす。
「煥先輩、あともう一つ。わたしのこと、鈴蘭って呼んでください。わたしは先輩のこと、下の名前で呼ぶから。それに、安豊寺だと、青龍に縛られてるみたいで」
同じなんだ、と気付いた。オレが白虎を名乗りたくないのと同じだ。
「わかった、鈴蘭」
呼んでみて、また息が止まって、騒ぐ胸に戸惑って、鈴蘭に背を向ける。意味がわからない。名前を呼ぶだけで胸が苦しい。普段は、誰の名をどう呼ぼうと平気だ。亜美さんも寧々も、下の名前で呼んでる。
鈴蘭。その名前だけ、どうして? まるで何か特別なチカラを持つみたいに。
黙っていた師央が口を開いた。
「ぼくは、知ってました。鈴蘭さんも能力者だってこと」
「未来で見てきたからか?」
「直接は見てません。だって、__は__、__から」
「話せないなら話すな。半端な情報は、かえってイライラする」
オレの八つ当たりに、師央はまじめにうなずいた。そして、話のトーンを変えた。
「おなかすきましたね。夕食、何を作りましょうか?」
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