一幕:突然之来訪者

「あなたが……伊呂波、煥……?」

 夕暮れどきを川沿いで過ごすのが好きだ。五月に入って、気候も温かくなった。


 柔らかい草の上に引っくり返る。空は半分、オレンジ色。東のほうは冷めた色をしてて、白い半欠けの月が引っ掛かってる。


「上弦の月、waxing moonか」


 オレは、つぶやいてみる。体の内側と右耳から、自分の声が聞こえた。左耳はイヤフォンを着けてる。イヤフォンが流す轟音には、まだ詞がない。そろそろ詞をつけなきゃいけないんだが。


「こんなんじゃ陳腐、だよな」


 思い付かない。オレの日常はひどく乾いてて、刺激がないわけじゃないけど、下らない。


 隣町との境目には大きな川が流れてる。川沿いは、芝生敷きの広場だ。平日の昼は、年寄りや主婦の散歩コース。休日になれば、子どもらの遊び場。


 でも、昼間だけだ。西日が差し始めると、変わる。すっと、ひとけがなくなる。


 川沿いは不良がたむろしますよ、暴走族が集まってくるから良い子は行っちゃダメですよ、近くを通るときも絶対に気を付けなさい。そう言われてる。


 つまり、西日が差し始めると、主役交代。オレみたいなのが、川沿いの芝生を占領する。


 噂ってのは、ある意味、便利だな。噂のおかげで、この時間帯のこの場所は、誰も近寄ってこないから気楽だ。


 オレは昔から、パッと見、怖がられていた。制服を着るようになって、ますますだ。


 生まれつき、銀色の髪、金色の瞳。首に掛けた銀の鎖のネックレス。両耳に着けたリングのピアス。着崩したブレザーの制服は、肩章が付いてるせいで軍服っぽい。その堅苦しさが嫌いで。だから、まじめに着たくない。


 オレが通うのは、じょうよう学園高校。オレは二年生になったばかりだ。


 襄陽には、スポーツ特待生もいれば優等生もいる。芸能系のコースもある。いろんな生徒がいる学校だが、いちばん有名なのは、オレたちのことか。瑪都流バァトルと呼ばれる集団で、オレの兄貴がそのリーダーで。


 白い目でじろじろ見られることも、そのくせ目が合った瞬間にそっぽ向かれることも、、もう慣れた。そして、妙なやつらに襲撃されることにも。


「やっぱ今日もいやがった! 瑪都流の銀髪野郎! 最強って肩書、いただきに来たぞ!」


 肩書なんて、名乗ったことない。


「返事しろや、銀髪の悪魔!」


 そんな通り名も、名乗ったことない。


 左耳のイヤフォンが鋭いギターを鳴らして、フィニッシュを待たずに、オレは音楽プレイヤーの電源を切る。


 オレが立ち上がるのよりも先に、気配がある。鋭く空気を切り裂いて飛来する、気配。オレはとっさに、草の上を転がった。


 銃声は、スパンと軽かった。オレの頭があった場所に、BB弾が、草を散らして土に埋まり込んでいる。


 改造エアガンか。またかよ。うんざりしながらも、オレは素早く起き上がる。


 オレを襲撃してきたのは、三人。意外に少ない人数だ。でも、手慣れてる。夕日を背に、土手の上からの狙撃。オレンジ色の光がまぶしい。連中はシルエットになっている。顔が見えない。男二人、女一人ってことだけは、わかる。


 改造エアガンを構えてるのは、女だ。威勢のいい啖呵が切られた。


「あたしらの先輩、あんたら瑪都流に潰されたんだよね。覚えてるでしょ、先月の」


 先月、オレたちは、この町に居着いてた暴走族に襲撃された。ケンカが強いとかバイクが速いとか、危ういことをやる度胸があるとか、とにかくイキリたがるばっかりの連中で。


 襲われたら反撃するしかないじゃねぇか。そして、ケンカするからには、負けてやる理由なんかないだろ。


 オレの右脚を狙って、BB弾が飛んできた。難なくかわす。


「敵討ちってわけじゃないけどさぁ、あたしたちもも自分らの目と手で確認したいし?」


 女の狙撃の腕は悪くない。でも、オレに当てようなんて思うなよ。相手が悪いぞ。確認したいのは、たぶん、オレの実力のことだ。普通の戦闘力と、普通じゃない能力と。


 男二人も銃を構えた。たぶん、女のと同じ改造エアガン。射程距離と殺傷能力を上げてある。銃刀法違反ってレベルだと思う。


 男のうち一人、背の低いほうが笑った。


「いつも、あんた一人で戦うんだって? んで、ハンパなく強いんだって? マジなら見せてほしいんだよね。銀髪の悪魔が、悪魔って呼ばれる理由」


 悪魔、か。オレの戦闘能力が人並み外れているから? それとも、相手を打ちのめすときは、徹底してるから?


「あまり派手なケンカはしたくない」


 ザワッと逆立つ銀髪。手のひらが熱く光り始める。夕日のオレンジ色を切り裂くような、冴え冴えと冷たく白い光だ。オレの目の前で、白い光は凝縮して、障壁を形づくる。これがオレの能力、障壁guardだ。


 背が高いほうの男が口笛を吹いた。


「なるほどねぇ。それが噂の異能ってやつか。こっちは銃三丁だからね。いくら銀髪の悪魔でも、素手じゃないよね」


 言うが早いか、三人は発砲した。


 ピシ。ピシピシ。


 手応えは、ごくごく軽い。淡く発光する障壁が、BB弾を受けた。着弾点だけ、一瞬、チカリとまたたく。BB弾は、焼き切れるように粉砕した。残骸が芝生に落ちる。


 ピシピシと軽い音が連なる。おもちゃの銃弾は、狙いだけは完璧だ。左胸と頭部。でも、無駄だな。本物の銃弾でさえ防ぐオレの障壁をおもちゃの鉄砲で破ろうなんてのは、無鉄砲もいいところだ。


 脚のバネをたわめる。一気に飛び出して、距離を詰めるために。このまま突っ込んで、一撃ずつで沈めてやる。抵抗するなよ。ケガさせるのは好きじゃないんだ。


 そのときだった。横合いから声が割り込んだ。


「あなたたち、何をしているの!」


 女の声。よく通る声だった。キレイな響きに、一瞬、気をそがれた。姿を見た。襄陽の制服を着ている。着方がまじめだから、進学科か?


「って、おい、こっちに来るな!」


 女が、すたすたと近寄ってくる。オレと連中の間に割り込むみたいに。


 そして、ほぼ同時に。

 人が、現れた。


「え?」


 オレと連中の、ちょうど間あたりに。女が歩いて行こうとした先に。

 その場の全員が、固まった。

 忽然と現れた、そいつ。オレと同い年か少し年下くらいの男だ。


「な、何なんだ?」


 栗色の髪に驚かされた。兄貴と同じ色だ。というか、オレの家系の髪の色だ。オレを除く血縁全員の。


 裂けて汚れた服には、すすや血が付着している。火薬の匂いを感じた。まるで、たった今まで戦場にでもいたみたいだ。


 でも、なぜ、いきなり? 目の錯覚? じゃないよな。ここにいる全員が見た。見て、驚いて、固まっている。


 そいつはうつむいていた。胸元に何かを握りしめている。


 沈黙。


 そいつが動いた。はぁ、と大きな息をついた。そして、顔を上げた。

 オレとそいつの目が合った。


 ドクリ、とオレの心臓が騒ぎ出した。


 似てる。切れ長の目。通った鼻筋。額や顎の形。兄貴に似てる。それだけじゃない。兄貴よりももっと、オレ自身に似てる。


 不意に、オレの胸でペンダントが熱を持った。ドクドクと、高鳴る鼓動に似たリズムで打ちながら告げる――因果の天秤に、均衡を。


 そいつが、まばたきをした。声を発しようとして、咳をした。それがひどく人間くさくて、オレは光の障壁を消しながら腕を下ろした。


 そいつが再び口を開いた。オレを見つめて、言った。


「あなたが、伊呂波いろはあきら?」


 銀髪の悪魔でもなく、瑪都流の最強戦士でもなく、肩書なしのオレの名前を、そいつは呼んだ。


「確かに、オレが伊呂波煥だが?」


 そいつの顔に、パッと笑みが広がった。キラキラした笑顔ってやつだ。子どもっぽいくらい純粋そうな顔。犬だったら尻尾を振りまくってるはずの。


「会いたかった!」

「は?」


 何なんだよ? オレ、いつ、こんなのに懐かれたっけ?


「会いたかったんです、パパ!」

「なっ、パパ!?」

「ぼくは、未来を変えるために! パパの時代へやって来たんです!」

「い、意味わかんねぇ!」

「パパ!」

「ちょっ、おい、来るな!」


 そいつは屈託なく飛び付いてこようとした。バカか? オレに気安く触るな。飛び付かれる直前、そいつの額を右手だけで押し返す。


「パ、パ……」

「誰が?」

「あなたが」

「誰の?」

「ぼくの」

「おまえ、いくつだ?」

「十五歳、高校一年生です」

「オレは高二だ。ガキはもちろん、女を作るつもりもない。いろいろ無茶があるだろ」

「ですから、ぼくは未来から……」

「黙れ」


 頭痛ぇ。何なんだよ、こいつ?


「状況の説明を……」

「黙れ」


 オレは、飛び付いてきそうなそいつを押さえたまま、ため息をついた。


 と。

 感じる。気配と音を。


「パ……」

「だから黙れ。来る」


 バイクのマフラー音は、まだ遠い。足音が近い。オレは振り返った。赤い特攻服の連中が、いた。ざっと数える。十三人。


 オレの背後から忍び寄る予定だったらしい。それより先に、オレが気付いた。連中は開き直った。走って距離を詰めてくる。手に手に武器を持っている。あの悪趣味な赤は、隣の町のやつらだ。暴走族と名乗ってイキってるやつら。


 厄介なことになった。エアガンの連中と、赤服の連中。挟み撃ちかよ?

 と思ったら、違った。


「煥、あいつら面倒だぜ! 気を付けろ!」


 エアガンの連中のうち背の高い男が、オレに注意を促しながら駆けてくる。少し遅れて、残りの二人も。全員、襄陽の生徒だ。


 優等生風の女が声をあげた。


寧々ねねちゃん! またこんな危ないことしてたの!」


 エアガンの女が反応する。


「お嬢こそ、首突っ込んでくるなんて。てか、こっち来て!」

「えっ、えっ、何? あれ、わりくんも一緒なの?」


 背の低い男が優等生風の手を引いた。


あんぽう、こっちだ! 危ねえって言ってんだよ!」


 三人は知り合いらしい。


 オレは背の高い男に向き直った。顔を見たことある気がする。


「キョトンとするなよ、煥。去年も今年も同じクラスだろうが! じゅんいちだよ、尾張順一」

「あ、そう」

「クールだな、相変わらず」

「エアガンぶちかましてくる相手に、愛想ふりまくか?」

「すまんすまん。こいつらに乗っかってみた。敵討ちごっこというか」

「迷惑だ」


 ケロリとした表情と口調。ああ、思い出した。移動教室がある休み時間に起こしてくれるやつだ。


「煥、さっきのは謝る。てか、謝らせてください。その上で話があるんだけど、後でな」


 順一が顎をしゃくった。指し示した先で、赤服の連中が、間合いを挟んで立ち止まった。真ん中の男がリーダー格らしい。ニヤニヤしながら口を開いた。


「瑪都流の銀髪野郎にれっの残党! 締めてぇやつらが揃ってやがる! ラッキーだな、おい!」


 順一がニヤリとして、ささやいた。


「共同戦線ってことで、いいか?」

「信用できるんだな?」

「おれら、むしろ瑪都流に入れてもらいたい。後から詳しく話す」

「兄貴に話せ」

「了解」


 赤服のリーダーが吠えた。


「内緒話してんじゃねぇよ! 今からテメェらを潰すって言ってんだよ!」


 隣町の赤服の連中とは、何度も戦ってる。ケンカをふっかけられるんだ。オレが「瑪都流の銀髪野郎」だという理由、それだけで。


 順一が烈花の女にエアガンを渡した。


「寧々、後ろから援護しろ。おれの銃も使え。たかひろも寧々に銃を渡せ」

「了解。寧々、お嬢を守ってろよ」

「わかってる」


 オレは、栗色頭の謎のやつを振り返った。


「おまえも、ここでじっとしてろ」

「あ、えっと、あの、これは?」

「ただのケンカだ」

「ケ、ケンカ?」


 そいつは目をパチパチさせた。よく見たら、目の色もだ。兄貴と同じ、赤みがかった色。伊呂波の家系の目の色だ。

 オレの背中に、手が触れようとした。迫る気配にとっさに反応して、払いのけた。軽すぎるような手応え。


「痛っ」


 女の声。しまった、と気付く。オレに触れようとしたのは、あの優等生風の。


「お嬢、大丈夫!?」

「大丈夫、ビックリしただけ。でも、いきなり暴力的なことをするなんて。あなた、ちょっと失礼ですよ!」


 小柄な女がまっすぐにオレをにらんだ。


「今のは、すまん。ただ、オレに触ろうとするな。苦手なんだ」


 にらんだ目が、くるっと表情を変えた。驚いた、みたいな。


「謝るんだ」


 不良なのに、という副音声が聞こえた気がした。オレは不良だと名乗ったことはない。勝手にまわりがオレにレッテルを張る。


「とにかく、足手まといだ。そこでじっとしてろ」

「ケンカするんですか? 暴力的なことは、道徳に反してます!」


 驚いた目が、またオレをにらんでくる。忙しい女。しかも面倒くさい。


「この状況じゃ、戦うのは避けられない。見たくなきゃ、下向いてしゃがんでろ」

「あなたねぇ、人に向かって命令口調? 友達なくしますよ?」


 友達? 最初からいねぇよ、そんなもん。瑪都流だからって理由の仲間意識を共有できる相手は一応、数人いるが。


「小言は後で聞いてやる。今は時間がない。バイクの援軍が来る前に、ここのやつらを倒す。援軍も多くはない。暴れるぜ、烈花」


 低く言い放てば応える、吠えるような三人の鬨の声。


 体を動かしてる間は、いい。研ぎ澄まされたトコロに行ける。オレが、本当のオレになる。退屈な日常が消える。


「行くぜ!」


 オレは地面を蹴った。

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