第16話「いつか見た青い空」2

 お祭りのメイン会場となる時計塔公園。その中央には、エリステルダムのシンボルタワー、エリス時計塔が鎮座している。

 数百年もの間この地にそびえ、このエリステルダムを見守り続けると共に、時を知らせ続けてきた。

 そんな時計塔を祭るお祭りを控え、公園の至るところに、出店を構えるための店舗の設営などが始まっていた。普段から人の通いがあり、賑わいのある場所が雰囲気も変わり始め、いつもとは違う喧騒が繰り広げられていた。

 その中を縫って、ルミが出店への配達に走り回っていた。

 この時期は出店への納入が増える。この忙しさの中に漂う雰囲気が、とても好きだった。これからお祭りが始まる。そんな気持ちにしてくれる。

 各出店に配達を終え、自分も雑貨店のお祭りの準備に、帰路へ就こうと公園を離れようとした、そのときだった。

「ルミ様」

 公園を出た辺りで声をかけられる。今や聞きなれた声で、耳慣れたその語り。足を止めて、そのほうを振り返った。

「あ、シャロンさん、こんにちは!」

 品の良い装いと物腰丁寧な振る舞いを見せるのは、レイン家のメイド服に身を包んだ、シャロン・フレデリカだった。穏やかな笑みを見せながら、ルミの元へと歩み寄る。

わたくしも居りますわよ」

 視線の下からそんな声が飛んでくる。そのまま視線を下に降ろす。これまた聞きなれた声と、耳慣れた語り。

「クレアさんもこんにちは」

 シャロンによって押される車椅子に乗り、明るい笑みを見せてこちらを見上げている。小さな体が尚も小さく見えてしまうようだが、彼女は健気けなげに強がって見せた。

「あら、まるでついでのような言い方ですのね」

「ク、クレア様、ルミ様に失礼ですよ」

「冗談ですわよ。……ルミさんには、大変なご迷惑をお掛けしましたもの」

 ふと表情に影が落ちる。事件が起きてから、はや四ヶ月が過ぎようとしている。

 事件のことは人々の記憶から風化しつつあったが、この事件を引き起こしていたクレアにとっては、忘れることのできない、拭えない過ちとなった。

「カレン様にも、多大なご迷惑をお掛けしてしまい、強く悔いております」

「私からも、深くお詫び申し上げます」

「大丈夫だよ。ボクもカレンちゃんも、みんなも、クレアさんを責めたりはしないよ」

「ありがとうございます。……クレア様をお救い頂き、心から感謝いています」

「うん、本当に良かったよ。あの時は、どうなるかと思ったから……」

 アトリエリストへと運ばれ、ルフィーが副作用を中和する薬を制作している最中、クレアの意識レベルが急激に低下してしまった。

 その際にカレンとティンによって応急処置が取られるも、その状態はかんばしくなく、混迷状態が続いていた。

 その後、ようやくルフィーによる魔法薬が完成し、クレアにそれを服用させることができたのである。

 しかし、それによって一命は取り留めるものの、彼女は見ての通り、二度と自らの足で立つことはできなくなってしまっていた。副作用による後遺症は、避けることができなかった。

「そういえば、今日はどうしたの? まだお祭りじゃないし」

「えぇ、お祭りが始まる前に、カレン様にお会いしようと思いまして。お祭りが始まってしまっては、お忙しいでしょうから」

「そっか。それじゃ、一緒に行こうか。ボクもこれから自分のお店に帰るところだったから」

「では、お願いいたしますわ」

 笑みを見せて軽く会釈する。それにならってシャロンも深々と頭を下げた。穏やかな表情を見せるクレアは、年相応のかわいらしい笑みを見せていた。

 こんなに可愛い子だったんだ……。敵意を振りまいていたときの強面からは、思いもしないことだ。色白で整った顔は、笑みを見せれば可憐な花のように可愛らしく、その瞳は明朗な輝きを持っていた。

 こんな子が、自らの行き過ぎた欲に駆られてしまうなんて……。それによって彼女は自らの自由を失ってしまった。こんないたいけな少女が課せられる罰としては、重いような気がしてならなかった。


 時計塔公園から南に伸びるメインストリートには、すでに色とりどりの出店が軒を連ねていた。明日にはエリス時計塔祭が始まる。いやがうえにも今から気分が高揚してしまう。

わたくし、今までに一度もお祭りに行ったことがなくて、毎年この時期になると、悲しくて仕方がありませんでしたわ」

 出店に囲まれた街並みを眺めながら、クレアが呟く。まるで、何かを隔てた遠い存在を見るように、彼女の表情は影を落としていた。

 ずっと体が弱く、長時間を表で過ごすこともできず、これまで生きてきた時間の半分以上は、ベッドの上だった。

 他の建物より背の高いレイン家の屋敷は、街並みや時計塔を見渡すことができたが、体調に配慮され、クレアの自室は一階に設けられていた。

 街並みを見下ろすこともできず、遠くから聞こえてくる祭りの喧騒が、ひどく心を揺さぶった。

 ――あそこには、わたくしの居場所なんてありませんのね……。

 窓から見えるのは、果てしなく青い空だけだった。その度に、頬を濡らした辛い記憶がよみがえる。

「でも今は、こうして、シャロンと二人で出かけることができて、わたくしは幸せですわ」

「クレア様……ありがとうございます」

「シャロンが礼をすることはありませんのよ。お礼をするのは、わたくしの方ですわ」

 そう告げると、車輪に付いたハンドリムに手を掛け、シャロンの元を離れて前方に走行する。少し先へ行ったところで、車輪をうまく操作して振り返った。

「シャロン、わたくしの魔法薬を作ってくださって、本当にありがとう。あなたは、命より大切な、私の恩人ですわ」

 そこには、健気な少女の笑顔があった。そう、一緒に遊んで過ごしたころの、あの笑顔が。

「クレア……ちゃん」

「以前、カレン様がお見舞いに来られた際に、お聞きしましたわ。わたくしの魔法薬を作ってくださったのは、カレン様ではなく、シャロンだと。シャロンが作ったレシピで、魔法薬を作ることができたと」

「……ううん、私は、自分の魔法薬が作れなかったんだ。それを、カレン様に託したんだよ。クレアちゃんのことを、助けてもらえるようにって……」

「あなたはわたくしの想像を絶するような苦労をして、魔法薬を作ったのですわ。今、私がここに居られるのは、シャロンのおかげですのよ」

「クレアちゃん……。ありがとう、クレアちゃん」

 クレアの元に寄り、彼女の体を抱き締める。

 この病弱で笑顔の可愛い、自分にそんな笑顔をくれた幼なじみから、その笑顔を消すわけにはいかない。その為に、彼女の病を治す魔法薬を作ろうと決心した。

 それから何年経っただろう。長く魔法薬を作るための勉強をし、学園では中等部に上がる際、普通科から魔法科に転向し、魔法調合を専攻した。

 やがてその努力が実を結び、学園をトップで卒業することができた。飛び級の話も持ちかけられたが、しっかりと勉強したいとそれを断り、研究に没頭したのである。

 その後、クレア専属のメイドとしてレイン家に迎えられると、研究の成果をまとめようと、兼ねてから仕上げていった魔法薬のレシピを元に、魔法薬の制作に取り掛かることとなった。

 しかし、それは数多あまたの失敗を繰り返すこととなる。そして、自分の手元で完成することはなかった。

 ――そうか私は、クレアちゃんに、認めてもらえたんだ……。

 魔法薬を作ったこと。それは、カレンによって証明されたことなのだ。それを、クレアは認めてくれた。

 今まで縛り付けられていたような、胸の奥に広がった暗雲が、スッと消え去っていくのを感じた。そして、自然とその目から涙が滴れる。

「シャロン、あなたはわたくしにとって、命よりも大切な方ですわ。ずっと、側に居てくださいね」

「私もだよ、クレアちゃん。ずっと側に居るからね」

 しばしの抱擁を解き、再びハンドルを手に、祭りの準備に勤しむ軒並みを歩き出す。

 ルミには、そんな彼女たちをうらやましく思った。お互いを信頼し合い、お互いを必要とする、そんな関係に。

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