第15話「拭えない過ち」2

 混濁する意識の中、ふと身が軽くなる。まるで、誰かに抱かれているかのように、それはとても気持ちの良いものだった。

 徐々に意識がよみがえり、白く明るい光が目に入った。

「クレアちゃん、大丈夫?」

 頭にやわらかい物を感じる。目を開ければ、悲しげで心配そうな表情を見せる、シャロンの顔が見えた。クレアを膝枕して、ずっと様子を見ていてくれたようだ。

 かすかに目に入る風景。そこは、小さいころによく遊んでいた、シャロンのいた教会だった。

「シャロン……わたくし、また倒れてしまったのかしら……」

「ごめんね、クレアちゃん。私が側に居たのに、何もできなかったよ……」

「そんなことありませんわ。こうして、側に居てくれることが、すごく嬉しいですわ」

 神妙な面持ちを湛える、シャロンの頬をそっとなでる。シャロンはそんな小さな手に自分の手を重ね、ゆっくりと口を開いた。

「私ね、クレアちゃんの病を治してあげたいの。魔法調合師になって、薬を作って、クレアちゃんを助けてあげたい」

「シャロン……」

「だからそれまで、ずっと側に居てね、クレアちゃん……」

「ありがとうシャロン。あなたはわたくしの大切な人ですもの。もちろん、ずっと側に居ますわ」

 涙を浮かべるシャロンの表情にそう投げかけると、ふと意識が揺らいだ。その意識の片隅で、シャロンが笑みを見せて、ぜったいだよと、答えるのが聞こえた気がした。


 いつにも増して、慌しい喧騒がアトリエの中に舞っていた。

 クレアを居住区の一室に運び込むなりベッドを用意し、そこに彼女を横にさせる。それとともにルミによって運ばれたシャロンを別室のベッドに横にさせると、カレンによる手当てが始められていた。

 アトリエの調合部屋に機材が並べられ、材料をかき集めて、シエルのサポートを受けてルフィーによる調合が開始された。

 クレアが運び込まれ、ルフィーの診断を仰ぐやいなや、彼女はためらいなくこう告げたのである。

「媚薬による副作用よ」

 媚薬による副作用――以前に図書館の特別観覧室にて、媚薬の可能性を示唆した際、もう一つの可能性に気づいていた。

 禁断の魔法薬と称される理由は、服用した者への副作用にあったのだ。

 その副作用とは――

「使用することで魔力を引き上げた分、生命力を奪っていくのよ」

 つまり、使い続ければ、すべからく死が訪れるということである。魔力の増強は服用者の生命力を使い、強制的に魔力の底上げを行っているのである。

 大人でさえ、多く服用すれば衰退が免れない危険な魔法薬である。元から体の弱いクレアが使用したとなれば、その回数が多かれ少なかれ、命の危険というのは避けられない可能性だった。

 クレア襲撃によって入院を余儀なくされ、その後に退院を果たすと、改めて媚薬というものを調べ始めた。

 特別観覧室内の書物でさえ、その存在が記された文献は少なかったが、調べを進めていくにつれ、「禁断の魔法薬」について書かれた書物を見つけ出すことができた。

 ――そう、まさにその文献に記されていたのである。

 そしてそこには、その「毒」を中和する魔法薬の存在も明らかにされていた。しかし、魔法薬の名前こそあったものの、そのレシピに関しての記述はなく、今度はその魔法薬のレシピを求めて再び文献を漁ることとなった。

 その発覚から解毒剤の制作に至るまでの間に、かなりの時間を要してしまい、その間に次々とクレアは事件を起こしていく。その度に使われていく媚薬。

 早くしなければ取り返しの付かないことになってしまう――だが、その危惧も現実のものとなってしまったのだった。

 もっと早い段階で制作に入れたなら、こんな事態にはならなかったはず……。この現状が悔やまれる。

 いつも以上の忙しさと喧騒を湛え、作業は開始された。


 この部屋に来るのは何度目になるか……。しかし、目の前にあるベッドへと身を沈めるのは、先ほどまで療養していた最愛の人を襲った、かたきである。

 正直、憎い。しかし、敵を討とうにもその者は瀕死に陥り、その思いもかなわない。

 先ほどまで気丈に振る舞い、強靭な魔術を放っていた少女は、血の気が引いて青白い表情を湛え、か細い息を吐き出して生死をさまよっている。

 いくら敵とはいえ、この状況を目の当たりにしては、そんなことができるはずもなかった。

 ティンは心にし掛かるような、重いため息を吐き出した。

「シャ、シャロンさんっ!」

 廊下から悲鳴めいたカレンの声が飛んでくる。あわただしい物音が響き、突如にドアが開け放たれた。

 痛みに顔をゆがませ、荒い息を吐き出しては、重い足取りで部屋へと入ってくる。シャロンの胸辺りには、さらしのように幾重にも包帯が巻きつけられていた。

「シャロン、動いちゃだめじゃない!」

「クレア様……クレア様に」

 引きずるように足を動かし、ベッドに横たわる主の元へと近づこうとする。そんな様子に思わずティンも立ち上がり、シャロンの体を抱き支える。

「クレア様のところへ……」

 ティンに支えられ、ふらつく足をクレアへと進める。

「クレア様……!」

 ベッドの前まで来ると、その場に膝を突いて、クレアの様子を伺う。名前を呼びかけるも、それに応える様子はない。

「クレアちゃん……どうして、こんなことに……っ!」

 幼なじみの手を取る。生命力を失いかけているその小さな手は、やや暖かさを失っていた。彼女の命が、風前のともしびであることが、痛く身に染みるように分かった。

「どうして、体が壊れるまで、あんなことをしていたの……?」

 言葉と共に肩を震わせ、想いの丈が頬を伝って布団にこぼれ落ちる。彼女は今、かつての病床の頃に戻ってしまったかのように、ベッドに身を沈めている。

 こんな姿をまたも見ることになるなんて、思いもしないことだった。

「クレアちゃん、ずっと側に居るって言ってくれたじゃない!」

 シャロンの声が部屋にこだまする――その時、シャロンの手に、かすかに握り返される感覚があった。それに気づき、クレアの様子を伺う。

「シャ、ロン……」

 その息こそか細いが、薄く目を開け、しっかりと幼なじみの姿を捉えていた。シャロンの手を力なく握り返し、小さな声を返してくる。

「クレアちゃん……!」

「シャロン……わたくし、また倒れてしまったのかしら……」

「ごめんね、クレアちゃん。私が側に居たのに、何もできなかったよ……」

「そんなこと、ありませんわ……。こうして、側に居てくれることが、すごく嬉しいですわ……」

 ふと、握る手に力が抜けていく。そして、彼女の瞳から、徐々にその光が失われていくのが分かった。

 慌ててその手を握り返す。

 もう、二度と自分の手から離れないようにと。

「シャロン……わたくしは、ここまでのようですわ……」

「え……クレアちゃん?」

「……わたくし、シャロンと居られたことが、とても、幸せでしたわ」

「クレアちゃん……そんなこと言わないでよっ」

 クレアの目元から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

 そして、笑みを見せた――笑顔を教えてくれた、クレアがそこに居た。

「愛していますわ。わたくしの大好きな、シャ、ロン……」

 彼女の手が力なく滑り落ちる。瞳は閉じられ、流していた涙は途切れていた。……その表情は、愛情に包まれて安堵の笑顔を見せる、はかなげな少女のようだった。

「クレアちゃんっ!!」

 シャロンの悲痛な叫びが響き渡る。しかし、それに応える声はなく、木造の部屋に吸収されていくのみだった。


 ――歯車を失ったそれは、もう戻ることはできなかった。

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