第15話「拭えない過ち」1—2

「シャロン……!?」

 昨日から行方をくらましていた専属のメイドに、思わず驚愕を見せる。

 昨日、シャロンに向けて放った魔術はルミによって掻き消されてしまった。あのとき、本来であればシャロンを連れ帰り、屋敷に監禁しようと考えていた――カレン様に二度と会わせぬようにと。

「そういうことでしたのね……!」

 しかし今、シャロンはカレンたちと共に行動をしている。……許すまじきは、シャロン・フレデリカ。握り締めるステッキが震えだし、強大な魔力を生み出し始めた。

「クレア様、これはどういったことでしょうか?」

 しかし、それに構うことなく、シャロンはクレアの元に近づいた。手を伸ばせば、すぐ届くほどの距離。そう、何ヶ月か前までは、その距離……。

「シャロン、どうしてあなたがカレン様のお側に居られるの!?」

 シャロンの胸元にステッキが押し付けられる。渦巻くような強靭な魔力が、ステッキに集中しているのが痛いほど分かる。昨日と同じだった。

「私は、弟子入りを認めていただいたので、ここに居るのです。……私の大切なクレア様の、お命をお救いくださいました、カレン様に」

「シャ、シャロン……」

 構えられたステッキが徐に下ろされていく。そんな瞳には、戸惑いに似た影が落ちていた。

 ――私の大切なクレア様。

 そんな言葉にひどく心が締め付けられ、胸が苦しくなるのを覚える。無意識に肩が震えだし、思わず身を引いてしまう。

「……お答えください、クレア様。なぜ、このようなことをなさるのですか?」

 怒りのような、物悲しいような表情を湛え、後退あとずさりする主に同じ質問を繰り返す。そんな表情が、尚もクレアの感情を大きく揺さぶる。

 ――そして、クレアの口から、思わずこぼれ落ちた。

「あなたがわたくしを捨てたからに決まっていますわっ!!」

 クレアの怒声が響き渡るやいなや、シャロンの手のひらが彼女の頬を捉えていた。パンッという切れの良い音がくうを渡り、声以上に辺りへと響く。

 まるで時が止まったかのように、クレアは左頬に強く感じる痛みに混乱を引き起こしていた。じわりと目尻に浮かび上がる涙に、自分が目の前にいる幼なじみによって叩かれたと思い知らされた。

 ……こんなことは、初めてだった。

「た、叩きましたわね!? ……お父様にも叩かれたことありませんのに!」

「クレアちゃん!!」

 気が付けば涙が頬を濡らしていた。そして、自分よりも遥かに身長の低い、「希望の光」をくれた己が主を抱きしめる。今できることの精一杯の行動だった。

「ダメだよっ。ダメだよこんなことしたら! クレアちゃんが悪者になっちゃうよっ!」

 次から次へと溢れ出る涙が頬を伝う。縛り付けられるかのように締め付けられる心が、痛いほどに悲鳴を上げているのが分かった。

「クレアちゃん、お願いだからこんなことはやめて。そのステッキをしまって!」

 シャロン自身も、ここに繰り広げられる現実に強く心を痛めていた。

 命を救ってくれたカレンにひどく憧れ、彼女と親しい者たちを次々と襲い、そして、命よりも大切な存在と認めた幼なじみを拒絶した。

 これ以上になくクレアは今、手の届かないほどのどん底に居る。

 ……せっかくその命が助かったのに、こんなことをしてまで、それを棒に振る必要なんてない。

「これ以上クレアちゃんの手で、人を傷付けたりしないで!」

 悲痛な叫びが、辺りに木霊す。自分には、こんなことしかできない。もう離すものかと、華奢な体を深く抱き込んだ。

 ――しかし、その腕はクレアの元から引き離されていた。

 眩い閃光を放つやいなや、爆音を轟かせ、公園の緊張を打ち破った。

 自分の前から、クレアの姿が離れていく。抱きしめていた腕がむなしく宙をさまよい、力なく垂れ下がる。やがて、背に強い衝撃を受け、ティンやルミを見上げるように彼女たちの足元に倒れこんだ。

 胸辺りの感覚が鈍っていたが、鋭い痛みが突き刺さるように襲ってくるのを感じる。何が起こったのか、まったくもって理解が追いつかなかった。

「シャロンっ!?」

 ティンの声が飛んでくる。その姿は目に見えるが、ひどく遠くから聞こえてくるようだった。

「大変だわ! カレン、手当てしてあげて!」

 カレンの返事が届くと、視界にその姿が見える。今にも泣き出しそうな不安な表情を湛えていた。

 そして、手当てに取り掛かる。着ているメイド服の上着を脱がされた。

 ……そうか、胸に魔術を打たれたんだ。

 なぜか冷静にそんなことを考えてしまう。視界には見えないが、もはや上着は機能しないほどにダメージを受けているに違いない。

「……よくもこんなことしてくれたねっ!」

 ルミの怒声が再び響き渡る。そんな彼女の握るステッキは震え、これ以上に無く強い魔力を放っていた。

 そういえば、初めて会った場所も時計塔公園だった。そしてやはり、ファーマシーのお客さんとトラブルを引き起こしていた。

 以来、クレアと出会うたびに、何かしらの事件が勃発している。

「シャロンさんにまでこんなことするなんて!」

 怒りに震えるステッキを構える。全身に渦巻く魔力を一点に集中させた。

 今までの事件とは、意味合いが違う。カレンの周りに居る、親しい者たちを襲ったのではない。

 ――クレアはついに、自らの「大切な人」に手を掛けてしまったのである。こんなことは、あってはならないことのはず……。

「もう……絶対に君を許さない!!」

 魔力を秘めたクリスタルが強く発光する。そしてルミがステッキを振つければ、轟音を立て、膨大な魔力を秘めた魔術が発動した。

 許せるはずもない。自分の為に尽くしてくれている彼女に、こんな仕打ちがあったものか。

 怒りが魔術へと反映され、ルミ自身さえ見たこともない大技が繰り出された。空間を捻じ曲げるかのように甲高い音を響かせ、それはクレアへと一直線に吹っ飛んでいく。

「っ……!」

 それに反応するやいなや、クレアも身構えてステッキを振りかざす。そして素早い動きで、ティンたちを餌食にしてきた魔術を繰り出す。それもまた、かつて病床に身を委ねていた者が、繰り出すとは思えないほどの魔力を誇っている。

 威力ある者同士が激しくぶつかり合うように、それは空間で衝突し、互いを餌食にしようと凄まじい葛藤が渦巻き始める。

 稲妻を放ち、強い閃光を走らせ、爆音を轟かせながら、爆風をき散らしてそれは掻き消されていた。目の前で繰り広げられた、そんな光景に思わず圧倒されてしまう。

 ――これは半端な戦いではない。

 背筋に冷たいものを感じ、額に冷や汗がにじみ出る。ルミもティンも、固唾を飲んでステッキを握り直した。

「それで終わりじゃないわよっ!」

 間を絶やさず次いでティンが動き出す。先ほど頭上に掲げた魔術を再び作り上げた。

 天高くステッキを掲げ、小さな光の玉を生み出し、辺りに風を巻き起こしながら周囲に広がった魔力を吸い上げて、風船のように膨れ上がっていく。

「あんたには借りがあるからね」

 それは次第に稲光を放ちだし、緊張とともに重厚な威圧感が公園の空気を支配した。ティンの眼光が鋭い光を放ち、クレアを睨みつける。

「ルイのお返しをさせてもらうわよ。……覚悟しなさい!」

 言うが早いかステッキを振り下ろす――ことはできなかった。

 かつて病に冒されていたレイン家のご息女は、胸元に手を当て、脂汗をにじませながら苦しそうに肩で息をしていた。それはまるで、病の再発を思わせるような様子だった。

「待ってティンちゃん! なんだか、様子が変だよ……?」

 不穏な様子にルミが近づこうとした、そのときだった。

 短く嗚咽おえつを漏らすと、両手で口元をふさぎだす。しかし、それは小さな彼女の手の隙間をい、一筋の線となってこぼれ落ちた。

 数滴落ちたそれは、彼女の足元を赤く染めていた――鮮血だった。

 クレアが体勢を崩し、膝を突く。その途端、ふさいでいた手が力なく離され、その口から大量に吐血される。

「クレアさん!?」

 慌ててルミが駆け寄る。倒れ込みそうな華奢な体を抱え込み、クレアの様子を伺った。

 口元は鮮血でまみれ、顔面は今までに無く蒼白し、まるで生気を失ったかのように、彼女は力がなくなっていた。そんな姿に衝撃を覚える。これはただ事ではない。

「みんな! クレアさんをルフィー先生の家に運んで!」

 咄嗟の判断でルフィーの家に運ぶことにした。ルフィーならこの症状を診てくれるに違いない。

 ティンがクレアを背負い込むなり、慌ててアトリエリストへと動き始める。

 皆、慌しく動きを見せる中、クレアは遠くなる意識にさまよいながら、小さくつぶやいた。

「……もう、ここまでですのね」

 誰の耳にも届くことなく、空に掻き消され、彼女は気を失った。

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