第14話「止められない流れ」

第14話「止められない流れ」1

「シルト! シルトは居ませんの!?」

 屋敷の中に、怒声にも似たご息女の声が響き渡る。ほんの数ヶ月前には、ありえない光景である。

 自室に向かう足を止め、慌ててその声に応えると、ホールに居るお嬢様の元へと飛んでいく。

 これもまた見たことも無い、いたく不機嫌そうな面持ちを湛え、怒りを露わにしていた。とても、かつて病に倒れていたとは思えない、そんな気迫に溢れていた。

「お嬢様、こちらに」

「シルト! シャロンはどちらに居られるの!?」

「申し訳ございません。私もあの者の所在を探しておりますが、とんと見当がつきません」

「まさか、またカレン様のところへ……。分かりましたわ。下がりなさい」

 もう邪魔だと言わんばかりにそう吐き捨て、足早にそこを立ち去ろうとする。そんな彼女の背後に声をかけた。

「お嬢様、どちらへ?」

「あ、あなたには関係ないことですわ」

 かすかに怒気を含んだ低い声で一言を残して、さっさと立ち去る彼女を見るに、やはりその行き先は明らかだった。

 ――なるほど、あの調合部屋へ行くということか。

 憶測ではあるが、今まで引き起こされてきた騒動は、この行動によって行われてきたということに違いない。そして今、それが繰り返されようとしている。

 行動に出るならば今しかあるまい。ふところにしまい込まれたステッキを確かめると、そっとご息女の後を付いて行った。


 もう何度目になるか。重い扉を開くたびに、気の引き締まる思いがする。しかし、それは焦りにも似ているかもしれない。

 今まで自分は、自らに何かを行ったことは無い。ましてや、それを完遂させたことも無い。

 媚薬を作り出せたのは偶然ともいえた。

 小さい頃に父親に連れられ、エリス図書館の特別観覧室を訪れたとき、父にならって見よう見まねに書物を読みふけっていた。

 魔法調合の本を読んだりもしていた。そのときに、ある魔法薬に目を奪われた。

 禁断の魔法薬――媚薬というものだった。

 人に幸福をもたらすはずの魔法薬に、禁断とされみ嫌われる魔法薬があるなんて……。子供ながらにそんな感銘を受けたのを覚えている。

 それを思い出し、再び特別観覧室を訪れては媚薬のレシピを学んだ。魔法薬の調合は得意ではなかったが、自分一人で成し遂げたい……そんな思いで数多あまたの試行錯誤を繰り返し、時間を掛け、作り上げた。

 初めて、自らの手で作り出した魔法薬。それができあがったのを前に、成し遂げるべきことを確信した。

 カレン様をわたくしのお側に……。

 慣れた手つきで、薄暗い調合部屋に光を灯す。ふっと明るさを見た部屋、調合台のその向こう。棚の中で怪しく光を弾く、小さな瓶。

 足早に棚に近づき、一つ小瓶を掴み取り乱暴に封を切ると、きつい臭いも構うことなく、一気にそれを飲み干した。

 何度味わっても口に慣れない、苦味とも辛味とも例えられない味。そして、腹の底に重りが落ちるようなズンと来るこの感覚。気が沸き立ち始める合図でもあった。

「ぅっ……!」

 吐き気にも似た感覚を味わうなり、嗚咽が漏れる。

 手に持った小瓶が落ちる。そして、体中にじんわりと気が膨らみ始め、脈の律動が速くなる。

 テーブルの椅子に腰を下ろし、空になった左手を徐に自らの胸元へとあてがい、右手を下腹部へと滑り込ませる。

 気が体を満すに連れ、それぞれが敏感になっていくのが感じ取れた。その快感を追っては、各所を己が指で攻める。脳髄の奥で光が膨らんでいくように快楽の波が押し迫り、頬が上気し、吐く息に熱を帯びる。

 ――カレン様をわたくしのものに! 誰にも渡しはしない!

 胸の奥底から張り裂けんばかりに嫉妬が渦を巻いていく。やがてそれは快感と融合し、大きなオルガスムスを生み出した。

「んくぅ……っ!」

 声を噛み殺し、快楽の先に達する。目の前に光が差すように、意識が白くフェードアウトしていく。

 脱力する体を余韻に委ね、上気した息を整えるように深く息を吸い込む。その瞬間から、体中をみなぎる様に、気が満たされるのを感じた。オルガスムスに到達する以上に、この瞬間に強い快楽を覚えた。

 高揚した気分が落ち着きを取り戻すと、行為によって乱れた体裁を整え、椅子から立ち上がっては一つ深呼吸をする。体中を巡る脈動に合わせ、鼓動を打つように魔力がほとばしるのが感じられた。

 準備はできた。あとは決戦に向かうのみ……!

 意を決し、調合部屋を出ようと樫の扉を開け放つ。意気揚々と廊下に出た――そのときだ。

「……お嬢様」

 薄暗い廊下に溶け込むように、漆黒の正装に身を包んだ執事が、扉の前に佇んでいた。薄い光に反射したメガネが、彼の表情を掻き消し、吐き出された言葉が重苦しく廊下に緊張を張り巡らせた。

「シルト!? なぜここに……!」

 そこに居た執事の様子に不穏なものを感じたクレアが、思わず身を引いて身構える。その右手は、すでにステッキへと伸ばされている。戦闘体勢は整っているということか。

「レイン家に長く仕える私が、こちらの調合部屋を知らないとでもお思いですか?」

「……っ!」

「これに見覚えはございませんか?」

 懐から小瓶を取り出し、それを目の前に突きつける。そう、今しがた服用した、強い嫉妬を持って己が魔力を強化する――媚薬である。それを目の当たりにするなり、クレアは目を見張った。

 見つかってしまったことや、調合部屋での秘密裏の作業がバレてしまったことに対してではない。この執事がこうも背に冷たいものを感じるほど怒りを見せているということは、この「媚薬」に関するウラを掴んでいるからに違いない。

「……存じませ」

「存じないとは言わせませんぞ。カレン様にお伺いを立て、全てをお話しいただきました」

「……っ!」

「このようなおぞましい魔法薬を作ってまで、いったい何をしようというのですか! お命を救い頂いたカレン様ばかりか、周りの皆様に多大なご迷惑をお掛けするなど、言語道断ですぞ!」

「あなたにわたくしの何が分かるというの!? 勝手なことをなさらないで!」

「お黙りなさい! 身勝手の度が過ぎますぞ! あれほど大切にされておられたシャロンにさえ、いったい何をしたというのですか!?」

「シャロンですって……?」

 その名が出た瞬間、ふっと廊下に漂う空気が一変した。

 クレアの中で何かが弾け飛んだ。そう、命よりも大切な親友は、自分の元を離れ、愛しき人の所へと行ってしまった。それがどうしようもなく――

 ――許せなかった。

 冷気が包み込み、重苦しく圧し掛かるように辺りが緊張に見舞われる。それを発するのは、臆していた態度からがらりと雰囲気を変えた、クレアだった。

 俯き加減に肩を震わせ、握り締めたステッキが小刻みに震えていた。

 ――触れてはいけない部分を、大きく抉り取ってしまったようだ。それに気付くなり、シルトも素早く己が手にステッキを構える。

わたくしの前でシャロンのことなど……」

 ピリピリと神経を刺激するように、辺りにどす黒い魔力が覆い尽くし、シルトを刺激する。もう止められなかった。

「口になさらないでと言いましたでしょう!?」

 すっと前に構えられたステッキへと、辺りの魔力が一気に集中する。その威圧感に圧され、シルトも咄嗟に自らのステッキをクレアに向ける。

「お、お嬢様……!?」

「もう二度と言わせませんことよっ!!」

 言うが早いか胸元に突き立てられたステッキが大きくうねりを見せる。シルトが辺りと自らの身に防護魔法を施す刹那、それは爆音を轟かせながら暴発してしまう。

 屋敷が大きく揺れ動く。


 ――そして、水を打ったように静けさが訪れた。

 一瞬の出来事だ。防護魔法によって辺りの被害は免れたものの、執事は遠く後方に弾き飛ばされ、無残な姿に変わり果てては床に伏せていた。

 静まり返る廊下に足音が響く。しかばねのように身動き一つしない執事に近づき、彼を見下ろすように立ち止まる。

「もう、戻ることなんて、できませんのよ……」

 静かにステッキをしまい込み、静かにそこを後にする。

 ――もう戻ることはできない。自分が手を出した禁断の魔法薬。そして、自らの行動とその状況。

 目尻から伝い、頬を濡らすものが、シルトへのものなのか、引き返すことができなくなってしまった後悔へのものなのか、彼女自身も分からなかった。

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