第13話「決戦前夜」3

 ファーマシーが開店時間を迎えるやいなや、ドアに据えつけられたカウベルが店内に鳴り響いた。

 ルイの様子見に行っているティンに代わり、シエルの指導の下、店内の清掃や商品の陳列を施し、ようやくカウンターのイスに腰を落ち着かせようとした矢先だった。

 慣れない仕事で緊張しながら、できるだけの笑みをもってシャロンは早速の来客を迎えた。

「いらっしゃいま――」

 しかし、彼女の営業スマイルは一瞬にして崩れ去り、お迎えの言葉も半ばで断念せざるを得なかった。

 そこに居たのは、漆黒の正装に身を包み、シンプルな丸いメガネの奥には、利発そうで強い光を宿した目、白くなり始めた立派なあごひげを湛えた、初老の男性――レイン家に長く仕える執事、シルト・クランベリアである。

「シ、シルト様!?」

「シャロン……!? なぜこちらにるのだ!」

 その場に居合わせる店員のシエルへの挨拶も通り越し、メイドの姿を認めるや開口一番に言い放つ。

 シルトがこの店に来るのは二度目だった。初めて訪れたのは、お嬢様の薬を依頼しに来たときである。そのときに店番をしていたのは、シエルではない、確か髪の長い女の子だったはず。

 今日、そのの姿は店内に見られず、あろうことかそこにいたのは、昨日から屋敷の仕事を放り投げ、行方を眩ましていたお嬢様専属のメイドではないか。

 不穏な動きをしていたかと思えば、屋敷を抜け出してこんなことをしていたとは……。

 しかし、そんな憤慨を押さえ込み、落ち着きを装い、シエルに向き直った。

「シエル様、お伺いして早々、お見苦しいところを……大変申し訳ございませんでした」

「シ、シルトさん……どうなされたのですか?」

 手前に礼儀を持つシルトがこうも取り乱すとは、シャロンばかりかシエルさえ身を引いてしまった。

「昨日から行方を眩ませていた私どもの使用人が、こちらにお世話になっているとはつゆ知らず、大変なご迷惑をお掛けいたしました」

 それを察したか、丁寧な口調を用いては礼儀正しく深々とこうべを垂れる。

「……して、シャロン、なぜこちらに居るのだ?」

 身を起こすなり、次いでシャロンへ質問を投げる。どこか静かに怒気を帯び、気迫のある声が店内に響くようだ。

「ク、クレア様が……」

「お嬢様? ……なるほど、お嬢様と仲違なかたがいをするや、自らが行動に出たか」

「な、何を仰せられて……」

「いくら白を切っても、私は尻尾を掴んでいるのだぞ」

 じりじりとシャロンに迫る。シルトとしては、好都合であった。

 捨て子でありながら、歴史長い誇り高き貴族家系であるレイン家に足を踏み入れるなど、代々レイン家に仕え、レイン家と共にあったクランベリア家の長男、シルトにはとても許しがたいことだった。

 レイン家に仕える使用人は、代をさかのぼり、長く付き合いのある良家の者たちが占めている。

 つまり、平民はおろか、身寄りのない者が転がり込んでくる所にしては、はなはだ場違いだ――とシルトは考えている。

 無論、シャロンがメイドとして迎えられた理由は、クレアたっての願いだったからである。

「シルト様、いったい何を……」

 執事がシャロンを見る目は、どこまでも冷徹で、いつも哀れむような視線だった。

 そんな目が嫌いだった。

 その目はいつも、シャロンに「お前がここに居ることを許しはしない」と語っているようだった。

 それがいつにも増して、怒気を帯び、突き抜かんと鋭い眼光を放ち、睨みつけてくる。恐怖せずにはいられず、目尻に募ってくる。

「シエル、シャロンさん、どうしたの?」

 途端、調合部屋へと続く扉が開き、店主が顔を出した。メモ帳を手にしているところを見ると、店内に不穏な空気が流れていることに気づいたか、様子を伺いにきたらしい。

「これは、カレン様。ご機嫌麗しゅう」

 今までの態度など、まったく無かったかのようにカレンへ振り返り、礼儀正しく深々とお辞儀をする。そんな態度に、シャロンは悔しくて堪らなかった。

「カレン様、お嬢様のご振る舞いに、多大なご迷惑をお掛けしましたことを、深くお詫び申し上げます」

 再び深々と頭を垂れる。それを見たシャロンが右に倣って右の如く、慌てて頭を下げる。

「大変なご無礼をお許しください。本日はカレン様に、こちらの物をご鑑定頂きたく、お伺い致しました」

 ふところに手を伸ばし、小瓶を一つ取り出す。屋敷の古い調合部屋から持ち出した、例の魔法薬である。相変わらず混沌とした色を湛え、異様な雰囲気をかもし出している。

「こ、これは……なんでしょうか?」

 カレンも思わず身を引いて伺いを立ててしまう。それから発せられる物が、妙にカレンの魔力に触れ、ピリピリと痛むように警戒を放っていた。それから、これが只物ではないと察したのである。

「そこにいるシャロンが作り上げたものです」

 貫かんと視線を投げかけ、シャロンを指差す。

 しかしながら、名指しされたシャロンとしても、その魔法薬にはまったく見覚えはなかった。そんな危険な様子を呈した魔法薬など、作り出すはずもないし、作り出す目的なども無い。

「わ、私ではありません! 私は作っておりません!」

「では、他の誰がこんな物を作るというのか! 魔法調合を行うことができるのは、お前しか居ないではないか!」

「そ、それは事実ですが、私ではありません! 信じてください、シルト様!」

「ま、待ってください! これ、もしかしたら……媚薬なんじゃないかな?」

 店内に響き渡る怒声に嫌気が差し、思わずカレンが割って入った。しかし、カレンの口を吐いた言葉に、シャロンが強く反応する。

「ま、まさか! そんなはずは……」

 疑問を禁じえない。それが例え「媚薬」だとしたならば、ある可能性を拭えないからだ。

「……これを作ったのは、クレアさんです」

「カレン様といえ、ご冗談を。お嬢様は魔法調合ができません。このような物を作れるのは、シャロン以外にはいません」

「いえ、この魔法薬は、クレアさんが作ったという確信があるのです」

 そう、その可能性こそ、この「媚薬」が存在しえるということである。疑問符を掲げるシルトを構うことなく、シエルが言を繋げた。

「お母様が、クレアさんの魔力を増強させている原因を探しに、エリス図書館へと行きました。そこで、クレアさんに襲われてしまったのです」

「……ま、まさか」

「お母様は地下の特別観覧室で襲われたのです。クレアさんも、特別観覧室の許可証を持っているのではありませんか?」

「た、確かに、シエル様の仰せの通りです。お嬢様は許可証をお持ちですが、なぜお嬢様がこれを作る必要があったのですか?」

「それは私たちにも分かりませんが、私から言えることは……クレアさんはカレンに、強い憧れを抱いているようです。それがクレアさんをかき立てて、媚薬を作ってしまったのではないかと……」

「その、媚薬とはいったい何でございますか?」

 今度はそんな質問を投げかけてくる。どう答えればいいものやらと悩んだが、簡潔に答えたほうが分かりやすいだろう。

「媚薬というのは、意中の相手を強制的に射止める為の魔法薬です。クレアさんはそれを服用し……カレンの周りに居る私たちを襲っているんです――あなたたちは邪魔だと」

「な、なんという……。重ね重ね、ご迷惑をお掛けしまして、大変申し訳ございませんでした。シルト・クランベリアが代わりまして、お詫び申し上げます」

 謝罪を述べるなり、幾度目かのお辞儀をする。シエル自身そんな説明をするも、なぜこんなことになってしまっているのか、考えるだけむなしくなってしまうのだった。

「それに、シャロンさんがこちらに居るのは、理由があるんです」

「それはいったい……?」

「シャロンさんもまた、クレアさんに狙われているんです。カレンに弟子入りをしたことが、クレアさんには許しがたかったようです」

 説明するシエルの言葉に、シャロンは強く胸打つものを感じた。クレアに拒絶されたときのことが、鮮明によみがえってしまう。

 それをかき消すようにグッと強く目を閉じる。そして思い出したのは、ベッドの上で明るい笑顔を見せる、クレアのことだった。

 ……そう、私はクレアちゃんの笑顔を取り戻さなくちゃならない。その為に私は今ここにいるんだから。

 閉じた目を開き、そこにある現実を見る。

 クレアを止めなければならない。それが今、自分に課せられた、成すべきことだ。

「シルト様、このことを知らせずに、黙って屋敷を出てしまったことを、お詫び申し上げます。この処罰は心してお受けいたします。そして、必ずや、クレア様を説得し、これ以上の被害を食い止めるよう約束いたします」

 右手を胸元に沿え、強い意志と共にそう告げる。その目には、強く鋭い光が灯され、力強さを持っていた。

「……いいだろう。お前にチャンスを与える」

 しばし思案するように顎ひげをなでるなり、そんな答えを返してくる。しかし、やはりその瞳には、シャロンに期待するような希望の眼差しは見られなかった。

「ありがとうございます」

「事は重大になりつつある。早急に対処しなければならない。私のほうでも動くとしよう」

「シルト様……クレア様は常に強力な魔術をお使いになられています。くれぐれも、お気を付けくださいませ」

 店を後にしようときびすを返すシルトに、恐れ多くも進言する。

「ふん、私の心配などしなくとも良い。自分の心配をするのだな」

 そう告げると、ではごきげんようとカレンたちに頭を下げてファーマシーを後にした。

 それを見送るも、シャロンには、シルトが襲われてしまうのではないかと思えてならなかった。レベルの高い魔法使いを一瞬で射止める威力。シルトが敵うはずもない。

 そうなる前には、クレアを止めなくては……。


 賑わいを見せるメインストリート。ファーマシーから少し歩いたところで、懐に手を伸ばした。

 媚薬ではなく、その指には硬く細長い棒状の物が握られた。

 ……まさか、久しぶりにこれを使うときが来ようとは……。

 懐かしいような、それでいて複雑な心境が胸を覆う。これを使うのは非常に久しい。

 若いころ、エリス魔法学園で教鞭きょうべんをとっていたとき以来か……。もう何十年になる。父の後を継ぎ、レイン家の使用人として就いてからは、まったくといって使っていない。

 ……久しぶりに使う相手が、お嬢様とは皮肉なものだ。

 主のご息女に刃を向けるとこになるのは心苦しいが、もはや止むを得まい。

 止めるにはこれしかない。レイン家の執事は自分に言い聞かせるように意を決した。


 ――刻一刻と決戦へのとばりが明けていく。

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