第9話「それぞれの気持ち」3

 苦しい。息が詰まって呼吸ができない。

 静まりきった屋内に、クレアの吐息が響き渡る。胸が締め付けられるようなそんな苦しさに、寝つくこともできず、一人部屋を抜け出してある場所へと足を運ばせる。

 屋敷に支えるメイド達が寝泊りする宿舎、その一室。体が快復してから、何度となく足を運んだ部屋だった。ドアには、名前が記されている。

 ――シャロン・フレデリカ。

 常に身近で控え、身の回りの世話をしてくれている専属のメイドだ。器量が良く、物事を卒なくこなし、クレアに関わることであればどこであろうと飛んでくるほど、彼女はクレアの身辺を担っている。クレアにとっては頼りになる存在だった。

 時は深夜を回り、十二時を指そうとしている。それにも関わらず、彼女の部屋からは微かに光が漏れている。

 クレアはそれを確認し、徐にドアをノックした。

「シャロン、わたくしですわ。開けて下さる?」

 はい、ただ今とすぐに返事がくる。あたかも、クレアを待ち受けていたかのように。

「クレア様、どうぞ中へお入り下さい」

 広く取られた部屋へと通されるなり、やや中央に置かれたテーブルに案内される。一つ席を取ると、シャロンは紅茶を差し出してくる。

 いつものことだった。

 シャロンの部屋は、他のメイド達の部屋とは造りが違い、彼女の為に仕上げられた部屋となっている。その理由は、彼女の学歴に見られる。

 シャロンはかつて、エリス魔法学園の卒業試験をトップで卒業した業績を持ち、魔法調合に関しては教師にも劣らない技術と知識を持ち合わせていた。

 そして、長年病のせいで床に伏せ、命の危機さえあったクレアの病を治癒させる為、レイン家のメイドとして支えることになったのだ。

 そう、彼女の部屋には魔法調合の為の施設が揃っている。それは彼女の部屋の半分を占めていた。それをまたぐ様に、テーブルはある。

 そして今、調合台にはでき上がったばかりらしい、薬品が詰められた小ビンが置かれてある。どうやら今までこの薬の制作に当たっていたようだ。片づけている最中にクレアが訪れた為なのか、台には道具が散らばったままだった。

「シャロン、お薬を頂けません?」

「はい、こちらに」

 たった今でき上がった、ビン詰めの薬がテーブルに差し出される。それは、ティンの攻撃を受けてしまったクレアのケガの治癒と、体力回復の為に調合したものだった。

 変わり果てた姿で屋敷へと帰ってきた日は、カレンの薬を使ったが、それ以後はシャロンが調合した薬を飲用していた。執事のシルトの意向としては、マジカルファーマシーの薬を使い続けるつもりだったようだが、それをシャロンの強い要望で、自分が作ると名乗りを上げたのだ。

 それはそうだ。元から彼女の病を治すためにここに居るわけだ。しかし、その役目はカレンに移され……今まで自分がしてきたことを否定されてしまった。

 それが悔しいわけではない。相手はマジカルファーマシーの若き店長、カレン・セイリーである。名立たる錬金術師が作り上げられなかった薬を作り出した調合師だ。自分が敵うわけはない。

 自分にはまだまだ甘い所がある。勉強不足を痛感させられていた。

 それを挽回する為に、この薬を作ると決めたのだ。

「クレア様、お体の調子はいかがですか?」

 クレアの元へと近づき、その身体を触診しながらそう訊ねる。それはまるで、母親が子供を心配するかのような……そんな仕草だった。

「大丈夫ですわ。シャロンのお薬のおかげで、大分楽になりましたわ」

「それは何よりです。私の薬で、クレア様のお体を治療することが、私の役目です」

 ふとシャロンの視線が落ち、目が閉じられ、俯き気味になってしまう。

「クレア様、大変申し訳ございませんが、ここ近日のクレア様の行動に関しまして、お聞きしたいことがあります……」

 それは当然、クレアが起こしてきた事件の数々に関することだ。

 シャロンは魔法薬の材料を調達に街へと行くことがある。その際に、店の主や道端の人々が口にする話をよく耳にしていた。

 始め、それは噂でしかないと信じようとはしなかったが、それが徐々に信憑性を帯びてくるのが、自分でも痛いくらいに感じられてきた。

 そして――あの日のことである。

 実はその日、クレアの薬を作る為の材料を調達に、丁度街へと出ていた。そう、それはその最中さなかに起きたのだ。

 野次馬に囲まれたステージの中、ライム雑貨店店長と、その対面に――意気揚々とステッキを構える、クレアの姿。

 慌てて野次馬に割って入り、クレアの元に駆け寄ろうとした。

 しかし、彼女に近づくことができなかった。

 その普段からは全く想像できない、おぞましい表情に、相手を威嚇する姿勢。

 噂に聞いていたことだが、まさか、こんなことをしていたなんて……。

「……」

 黙り込むクレアを一瞥いちべつするなり、シャロンは重い口を開く。

「なぜ、あのようなことをなさるのですか?」

「…………」

「いったい、何をなさっているのですか?」

 バツの悪そうな表情を見せるが、それ以上に口を開くつもりはないようだ。シャロンは向かいの席に座るなり、クレアの目を見る。

 既に体の傷は癒され、傷跡もなくその色白で端麗な顔は、強く不機嫌さを見せていた。

「クレア様、私にもお話しいただけないのですか?」

「あなたには関係のないことですわ」

「ですが、あのようなことを私が見過ごすわけにはまいりません。クレア様、どうかお話しください」

「ですから、あなたには関係ないですわ! あなたに話してましても、何もならなくてよっ!」

「っ……!」

 普段、こんな大声を張り上げるようなことはない。そう、体は弱く、いつも部屋の中で、ベッドから背を起こし、静かに読書を好むおしとやかな少女だった。

 とても素直で、こんな風に拒絶にも似た反応を見せたことなどは、一度もない。

 ――変わられてしまった。クレア様は、今までのクレア様ではない。

 罵声にも似たクレアの声に、思わず身を引いてしまう。今まで彼女から拒絶されたことはない。強く突き放されたように、疎外感を覚えてしまう。思わず、目尻に涙を浮かばせた。

 それに一瞥くれるなり、クレアは突然イスから立ち上がる。そして、シャロンに近づいては、こう付け加えた。

「気分が悪いですわ。よろしくて? この話は一切しないで下さる?」

「……た、大変申し訳ございませんでした」

 慌てて立ち上がり、深々とこうべを垂れて謝罪を口にする。その間、興味が失せたとばかりに主は足をドアへと運ばせていた。

 そして、力強くドアが閉じられる。出て行ってしまったようだ。シャロンは、頭を下げたまま硬直し、大粒の涙をこぼし、床の絨毯じゅうたんにその跡を作っていた。

 クレアを怒らせてしまった。しかし、それ以上に彼女は自分に話してはくれない。

 それは自分が信頼されていないからだろうか? 何か、打ち明けられないことがあるからだろうか?

 クレアは病が治って以来、まるで変貌を遂げたように人が変わった。一体何があったのだろうか? もし何か関連があるとするならば……。


 ――明日、マジカルファーマシー――カレンの元へ行くことを決めた。それがシャロン自身を、混迷の底に陥れられることになるとしても……。

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