第9話「それぞれの気持ち」2

 オイルランプが照らされる部屋。未だベッドに横たわる兄の姿を見るなり、何度目か分からない溜め息を吐いてしまう。

 見るに無残な姿。慌てて用意した新しい服に着替えさせるも、その衝撃を物語るに十分な傷害を負っている。頭や体、腕や脚、至るところに純白の包帯が巻かれていた。

 ――きっと、ティンが倒れたときのカレンの気持ちは、こんな気分だったに違いない。

 世界でも高水準と言われる治安の良さを誇るエリステルダムで、こんなことが起きるなんて、異常に等しかった。噂は風に乗り、街中を覆い尽くしている。主婦が道端で井戸端会議を開くには格好の話題だろう。

 しかし、公園の掲示板や新聞が伝える情報には、この関連の記事は小さく、被害者名を載せるもクレアの名を見ることは相変わらずにできずにある。

 当然ながら、議員のむすめが問題を起こしていることを公然にできるはずもなく、事象のみをつづるにとどまっている。

 そんなことが、どうしようもなくいきどおりを感じてしまう。

「ルミ、今日は泊まっていきなさいよ。私の部屋で良かったら」

「あ、うん。……ありがと」

 ステッキの完成後、体調が戻って直ぐに、ルミはシエルとともに、アトリエリストに足を運んでいた。当然ながら、兄の状態が心配だったし、兄をアトリエリストに預けたままにする訳もいかず、それからずっとここへ居座り、兄の様子を窺っていた。

「お兄ちゃん、大丈夫かな……」

 どこか上の空になってしまう。シエルを一目するが、再び俯いてイスから立ち上がる気にもなれやしない。

「ルミ、大丈夫よ。ルイさんはきっと目を覚ますわよ」

 いつの間にか背後に立って、肩に手を添えては、言い聞かせるようにそう返される。

「あなたが信じてあげなくちゃ、誰が信じるのよ」

「ありがとう、シエルちゃん」

「私も信じてるから」

 一つ頭を撫で、そうつけ加えながら部屋を出て行こうとする。そんな心遣いに、彼女の優しさを感じた。

「そうそう、お風呂空いてるから、先に入って」

「うん。……ねぇ、シエルちゃん」

 ノブに手を掛けた彼女を思わず止めてしまう。不安な気持ちを、少しでも紛らわせたい。そんな思いから、ルミは口にした。

「……お風呂、一緒に入って良いかな?」

「ぶはっ!」

 そんな突拍子もない誘いに、シエルは噴き出してしまう。思わず鼻元を押さえてしまっていた。


 カコーンと洗面器の音が響き渡る。

 アトリエリストの奥にあるバスルーム。ルミやカレンの家を含める、一般的な家庭のバスルームとは造りが違い、軽く十人は入れるほど格段に広く、珍しく総タイルの内部はよく響き、井戸から水圧を利用して汲み上げられる水は、蒸気ボイラーを通して温まり、蛇口を捻れば湧き出し、湯船のお湯は常に入れ替わる。

 さすがは一流錬金術師宅のバスルーム。カレンたちは来る度に感嘆の声を上げてしまう。

 が、今はそんな気分にもなれず、ルミは広い湯船のすみっこに膝を抱えて俯いてしまっている。

 方やシエルは――

 ……カカカカ、カレンとも(最近では)入ったことないのにっ!

 大いに焦りつつ顔を真っ赤にして、絶え間なく流れ出る鼻血に手を添えては、チラチラとルミを見やっている。

 ……わ、私より凄いわね……。

 体型に自信のあったシエルとしては、ルミの意外なほどの身体的な肉付き良く引き締まった身体が、なまかしく見えてしまった。実践魔法と体術を合わせた戦術を持ち、肉体的に躍動するには理に適っている体型だろう。

 そんな観察をしていることに気づくなり、なおさら鼻血が止まらなくなってしまうのだ。

「ねぇ、シエルちゃん」

「は、はひっ!」

 突然声をかけられ、慌てて視線を背いてしまう。何をやってるんだろう……。

「シエルちゃんは、お兄ちゃんのこと、好きだったよね?」

「えぇっ!?」

 今度は何を言い出すものか、思わず意識が吹っ飛びそうになる。

「どど、どうして、そのこと知ってるのよ!」

 実を言うと、カレンとシエルがルイに想いを寄せていることは、本人達が口にすることはなく、むしろ彼に接する二人の行動にてそれが顕著に表れるのである。それがルミを始めティンやリーナにはもはや筒抜けになっていた。

「お兄ちゃんに会うと、凄くおしとやかになるよね」

「な、なななな……っ」

「分からないわけないよ。シエルちゃん、そういうところは素直だもん」

「あああああのねっ! そそ、そんなことより、わわわ私はカレンのことが大好きなんだからっ!」

 思わず立ち上がり、ルミに指を差すなりしどろもどろにそう突っ返す。言っていることはまたこっ恥ずかしい台詞ながら、そんなことは気にするでもなく、じっと見上げるルミの視線に気づくやいなや、タオルを巻いているわけでもない素っ裸をお披露目していることに気づき、慌てて湯船に鼻辺りまで一気に沈み込んだ。

「な、何なのよ一体」

「うん。……実はね」

 シエルから視線をはずし、俯いては徐に吐き出す。

「ティンちゃん……お兄ちゃんのこと、好きなんだよ」

「はぁ!? ……ど、どうしてそんなこと分かるのよ」

 どうして分かるのよ――ルミとしてはその瞬間を目にしている。

 キスをしていた。それがただの行為じゃないことは、見れば分かる。

「ティンちゃん、お兄ちゃんに……キス、してた」

「な、なななな、ななな……」

 まるでそれしか言えないように口走りながら、ルミの衝撃的な告白に気の遠くなる我が身を必死に堪えた。

「なんですってぇぇぇぇ――――っ!」

 しかしそう叫びあげるなり、顔面を蒼白させてぶくぶくと泡を吐きながら湯船に沈み込んでいく。

「ちょ、ちょっとシエルちゃん!? 大丈夫!?」

 湯船の底で漂うシエルを慌てて抱き上げ、お湯から引き上げては肩を揺さぶる。

「はっ!」

 と思いきや、奇声を上げて今度は逆にルミの肩を掴んで揺さぶりかける。

「ちょっとルミ! それは確かなことなの!?」

「あっぁあぁ、う、嘘じゃないよ! だ、だって、ボク見たんだもんっ」

「えっ!? み、見たって、何を?」

「……ティンちゃんが、お、お兄ちゃんに、キスしてた、ところ……」

 ほのかに頬を染め、視線をそらしてはためらいがちにそんなことを言う。シエルとしてはそんな彼女の仕草に虚言ではないことを察することはできたが、そんな事実を許すことはできなかった。

「何を見たって言うのよ! 正直に言いなさいよ! 言わなかったらあなたの身を保障しないわよっ!」

 奮起のあまりなおさらルミの肩を揺るがし、とてつもないことを口走る。目が血走り、野犬も逃げそうな鬼面を見せつけて、もはやルミに喰らいつかんとしていた。

「わ、わわゎ、ほ、ホントだよっ! ボクが見ちゃったんだもん! ってか、シエルちゃん恐いよ!」

「あぁぁありえないわ! ありえないのよぉぉぉぉっ!」

 ドボーン! と豪快な音を立てながら、シエルは再び湯船の底に沈んでしまう。ルミと一緒にお風呂は束の間になってしまった。

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