第7話「束の間の時間」2

 静まり返った室内。うっすらとレースのカーテン越しに、西日に彩られた街並みが見えた。あれからどれくらいの時間が流れたのか、ティンには直ぐ分かった。

 いつのまにか寝かされていたベッドから身を起こす。見慣れない部屋に居た。猫の足跡柄のピンクの布団。ベッドの周りには沢山のぬいぐるみ――思い出した、こんな可愛いもの尽くしの部屋は、シエルの部屋だ。ということは、ここはアトリエリストの中だ。

 そういえば、ルイはどうなっただろうか。自分がここに寝かされているわけだ、ルイだってこの家のどこかに寝かされているはず。ベッドから抜けるなり、シエルの部屋を後にした。

 屋内からはどこからも物音が聞こえず、ひっそりとしていた。そういえば、カレンやシエルはどこに居るのだろう。ここでクレア対策の道具を作っているはず。そのことが気になりつつも、ルイの居る部屋を探し始めた。

 シエルの部屋の向かいはルフィーの部屋だ。とりあえず覗いてみたが、ルイどころかルフィーさえ居やしない。そもそも女性の部屋に男性を寝かせることは無いだろう。となると、やはり残りの部屋はあそこしかない。

 そこはいわゆる客室だ。昔から、シエルの家に泊まるとその部屋を使っていた。一応の調度品が揃えられ、確りしたベッドもある。ここなら居るはず……。

「ルイ……?」

 そっとドアを開けるなり、中の様子を覗う。あまり使われてはいないものの、ちゃんと掃除の行き渡った綺麗な部屋のベッドの上には、やはりルイの姿が認められた。中へ入り、徐に近づいてそっと彼を覗き込んでみる。

「…………」

 かつての自分を見るかのようだった。痛々しい姿で、静かに寝息を立てている。額に包帯が巻かれ、頬にはガーゼが当てられている。見ていられない姿に、思わず涙ぐんでしまう。

 自分には何もできなかった。ルイが時間を稼いでいる間に、魔術を完成させていれば、こんなことにはならなかった。悔しくて仕方がない。無意識に拳を握り締めていた。そして、頬に一筋の雫が流れ落ちる。

「……ルイ、ごめんなさい。本当に……ごめんね」

 ベッドの脇に膝をついて、ルイの伏せる布団に顔を埋めるなり、嗚咽を漏らす。

 ルイがクレアに対峙していたとき、本当はクレアから逃がしたかった。この事件にルイまでも巻き込ませるわけにはいかない。

 カレンを含め、自分たちが狙われていると知ったら、彼は確実にクレアを食い止めに入る。そんな危険な目にわせたくはない。既に自分やルフィーが犠牲になっている。魔術に腕のある者が、こうも簡単にやられているわけだ、ルイだって彼女に敵うとは限らない。

 ――現実はこうだ。ティンが恐れていたことが、結果が目の前に突きつけられる。

「……私を護ってくれて、本当にありがとう」

 ルイの包帯が巻かれた手を優しく手にとって、心の底からそう告げる。

 あの時、ルイの悲鳴を聞いて、気が遠のいていったのを覚えている。一番巻き込ませたくなかった人の、一番遭わせたくない事態。

 ティンは立ち上がるなり、再びルイの顔を覗き込んだ。

「ルイ、私……あんたのこと、好きよ……」

 涙の雫がルイの頬に落ちる。そして徐に、顔を近づかせた。せめてもの償い……。

 そっと、その唇を重ね合わせる。ほんの一瞬だったかもしれない。でも、それに自分の想いの全てを乗せた。唇の残る、柔らかい感触。この一心が持つ、彼への想いを伝えたかった。

「早く良くなって、私のことを、抱きしめて……」

 ゴトンッ!

 その瞬間、何か物が落ちるような音が響き渡った。部屋の外じゃない、この中から聞こえた。しかも、すぐ背後から。

 思わずビックリしてそのほうを振り向く。そこには、ルイの様子を見に来たらしい、ルミの姿があった。その足元には、薬らしい液体が入った小ビンが転がっている。

 何か驚きのような、戸惑いのようにも見える表情を見せて、ティンに視線を向けていた。

「ルルル、ルミッ!?」

「……ティ、ティンちゃん……」

 そう言いながら、ルミは苦笑してみせる。

 急に鼓動が高鳴りを見せる。今まで平然としていたのに、突如血の巡りが早くなって、顔に熱を帯びるのが分かった。みるみる汗がにじみ出る。

 顔から火が出そうだ。いや、頭が噴火を起こすかもしれない。

 ……恥ずかしいところを見られてしまったぁぁぁぁっ!

 思わず目じりにその悔しさが溜まりこむ。こんな顔すら見せたくない。近づこうとしたルミに反応し、その脇を抜けて一目散に部屋を後にした。もう、穴があったら入りたい。なくたって掘り返して入ってやる。

「ティ、ティンちゃん!?」

 背後からそんな声が飛んでくるも気に留めるはずもなく、アトリエのドアを叩き破ってがむしゃらに駆け出す。今日は散々だ……。

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