第2話「邪魔ですわよ!」2—2
準備ができたところで、お昼を買いに近くのパン屋へと足を運ぶ。ライム雑貨店から三軒隣。いつも香ばしい薫りが食欲をそそらせ、店頭には常に焼きたてが並ぶ、パン屋ホワイトバレー。お昼時ばかりではなく、日ごろお客さんが立ち寄る人気のお店で、いつもお昼はここの物を頂いている。
その理由は、単に近くにあって美味しいからだけではない。今日もお店に入ると、カレンはそのままレジに居る女の子に声をかけた。
「こんにちは、リィちゃん」
「あ! お姉ちゃん、いらっしゃーい!」
歳のころは十二歳。リィちゃんと呼ばれたホワイトバレーの看板娘リーナは、お姉ちゃんと呼んではカレンに抱きついてくる。
「お姉ちゃんもみんなも待ってたよ。今日はルミお姉ちゃんも一緒なんだね」
実はこのまだ幼い印象を受ける
今日は自分のお店の手伝いで、こうやって可愛いピンクのエプロンに身を包み、お店番をしているのである。掛け持ちで仕事ができるほど、彼女はしっかりしていた。
「こんにちは、リーナちゃん。今日はボクもお邪魔するね」
「うん! 今日はみんな揃ってご飯だね! ママー、お姉ちゃん達が来たから、ご飯に入るねー」
店舗の奥にあるパン工場へ顔を出しては、手前の台でパンを捏ねる女性に元気な声でそう告げる。その女性は、カレン達に目を配ると、作業を他の作業員に受け渡して、店舗へと顔を出してくれた。
「こんにちは、カレンさん、みなさんも。じゃぁ、私がお店番に入るから、リィちゃんはお姉ちゃん達とご飯にしておいで」
まだ若くも柔らかな物腰でカレン達に笑みを見せる。とても優しいリーナの母親で、ここホワイトバレーの店長さんだ。店頭に陳列されたパンの中から選りすぐり、リーナに人数分の入ったパンを手渡す。いつも店長さんの好意で、お昼ご飯を頂いている。
「うん。じゃ、行こうみんな」
「いつも、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。リーナを良くして下さっていますし」
「リィちゃんには逆に、いつも助けてもらってます」
「そうね、カレンはちょっと頼りない時あるものね」
「シ、シエルっ! ……そ、それじゃ、ごちそうになりますね」
そんな掛け合いもありながら、店長にお礼を言いつつ、ホワイトバレーを後にしてはファーマシーの調合部屋へと戻る。
作業台に散らかった物を片すなり昼食の準備をし始めた。
何というか、ルミとしては先ほどまでここで繰り広げられていたことが、かなり気になって仕方がない。紅茶の準備をしつつ、カレンとシエルの様子を窺ってしまう。この場でキスをしていたこともなかったかのように、カレンはリーナと一緒にテーブルを拭いて、シエルは戸棚に機材をしまい込んでいる。普段はそんな関係だなんて、感じさせないのに……。
なんか凄いショックだった。どうしてなのか分からないけど。
「は~い、紅茶できたよー」
あんまり気にしないほうがいいかも知れない。
「じゃ、ご飯にしよう。いっただきま~す!」
リーナの仕切りで昼食会が始まった。
いつもは雑貨屋で兄と一緒にお昼を取っているが、お手伝いのときはみんなとわいわい楽しい時間を過ごしている。学校のある日はカレンやティンはお店だし、リーナは学年が違うから、大概はシエルと二人でお昼を取ることが多かった。だから、春休みに入ってからは自分の店のお店番をしつつも、一週間に一度のみんなで居られる貴重な時間だった。
「そういえば、今日は来なかったね、あの
「そうね。でも、誰かに見られてる気がしたのよね。あの
結局あの後、ティンはいろんな所を探したようだが、それらしい人物は見当たらなかったという。今日に限ってどうしたのだろう。来なかったら来ないで、逆に気になってしまうなんてどうしたものか。
「ルミ、あの
「あ、うん、いつもお店の前に居て、お客さんの後を追って、何を買ったのか見せなさい! って言ってる女の子」
「え? そんな
「だから今日は、私が返り討ちするのにお店の前に居たんだけど、来なかったのよ」
「あ、もしかしたらリィ、その人知ってるよ?」
紅茶を一口飲んだ後、思い出したかのようにリーナが声を上げる。意外な情報源だった。
「綺麗な服を着てる人だよね? リィも見たことあるよ。クレア・レインっていう人じゃないかな? お店のパン、その人の家にも卸してるんだよ」
「えっ? クレア・レイン……?」
今度はカレンが思い立ったように疑問符を掲げる。
「その
それは新学年に入る前のことだ。ある日、店にカレンを指名で、黒いスーツに身を包んだ紳士風の初老の男性が訪れたことがあった。どこかの良家に仕える執事の方だというのが分かるほど、彼は物腰の丁寧な振る舞いを見せていた。
「カレン様、どうかあなた様のお力で、我がレイン家のご息女――クレア様の病を治療しては頂けませんでしょうか?」
シルトと名乗ったレイン家の執事は、早々にそう切り出した。執事の話によれば、そのお嬢様は長年胸に病を患い、生活に支障はないが、運動や長時間の行動などはできない弱いお身体なのだという。そしてここ最近になり、症状が徐々に重くなりつつあり、ベッドに伏せることが多くなってしまったそうな。
そこで、母に
一度その少女に会い、カレンはシエルを連れて症状や状態を見ると、その依頼を引き受けたのである。
そう、その少女こそ――エリステルダムを含むグレニック地方を治める政治家の
そして、その薬はこの休みに入る前に、シエルとともに作り上げ、完成させることができた。しかし、治癒には体内での葛藤が起こる恐れがあり、クレア自身の体力が心配されたが、それを克服し、見事に彼女の病を治癒することに成功したのだ。
そのお礼として、直々にレイン氏がファーマシーを訪れ、カレンに寛大なる謝礼をしたのはエリステルダムばかりではなく、この地方でも有名な話になっていた(もちろんながらそれが宣伝効果になってか、ファーマシー経営が上々になったことは言うまでもない)。
「あぁ、あの
しかし、そのクレア自身が、一体何を思ってそんなことしているものか。ルミが言ったように、そんなことを繰り返していたら、命の恩人であるカレンに迷惑がかかるはず。その意図が全く解らなかった。
今日はまだ現れてないが、ティンにはもう一度立ってもらったほうが良いかもしれない。本人もその気らしく、腕が鳴らんとばかりに袖を捲り上げていた。
「実際捕まえて話を聞かないと分からないわね。ルミは店番お願いね」
「うん、分かったよ」
「ティン、あんまり乱暴にならないようにね……」
「分かってるわよ。それにカレン、あんたそのセリフ二回目よ」
思わずみんな笑ってしまう。なんなのよ! と返すティンに
そんな笑いの溢れた昼食の宴に、小窓からそっと中を覗き込む人影が一つ。ヒビが入りそうなほどギリギリと歯を食いしばり、爪が食い込むくらいに拳を震わせ、鬼の形相が狂いそうな怒りを表している。
「うぬぬうぅぅ~! 何なんですの、あれは!?」
窓から離れては引き千切らんとハンカチを力いっぱい引っ張って、誰にでもなく叫び上げる。そんな様子を見て街を通う人は皆足早にそこを離れていった。
「どうしてあのような方たちがカレン様とお食事をっ!」
笑いの絶えない調合部屋。そんなカレンの笑い声さえ、自分に向けられてはいない。そう考えるたびに、心の奥底から湧き上がる怒りが、腹の中を沸騰させていた。
「許せませんわ……!」
怨念を込めるかのように言い放つなり、その場を離れていった。背を丸めてブツブツと呪文を唱えるようなそんな姿に、道行く人は彼女を避けて通ったという。
「カレン様好き好き大作戦」を執行するために、クレアは戦闘準備を開始させた。これから起こるであろう、激しき接戦に備えるために……。
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