金魚鉢13 水路~金魚花火
夜空を金魚が泳いている。
レーゲングスは、金魚鉢のアーケードを仰いでいた。月光を受けて、
蒼色キンギョ。世にも珍しい蒼猫として産まれた少女は、金魚鉢に売られた妹の面倒を見てくれている。この遊郭都市金魚鉢において、上位を争う
妹と1歳しか年の違わない少女にレーゲングスは親しみを覚え、何かと彼女の世話になるようになった。今の仕事も、ミーオが得意先を紹介してくれたからこそ上手くいっている。彼女は、自社で扱っているセラドン陶器を他の遊郭の女主たちにも勧めてくれた。
会社が
自らを人柱として家を救った妹を買い戻す。それがレーゲングスの目標であり、妹への
そんな妹が金魚鉢を出ることを拒んでいる。
「どうしたお兄さん。蒼色キンギョにお相手をしてもらったのに、てんで浮かない顔をしてるじゃないか?」
前方で船を漕ぐ
船頭は、蒼色キンギョと同じ色の眼をしている。レーゲングスはこの眼が苦手だった。
瑠璃色の眼に心の奥底まで見透かされている気がする。この眼に、全てを
ミーオに見つめられているときも、同じ気持ちになる。
じっとミーオはレーゲングスの眼を覗き込むことがあった。まるで何かを問いかけるように、ミーオは自分を見つめてくるのだ。
眼にたゆたう瑠璃色から、レーゲングスは眼が離せなくなる。得体のしれない不安が胸中を駆け抜ける。
「俺は、蒼色キンギョが恐いのかもしれない……」
レーゲングスは、船頭に笑っていた。船頭はレーゲングスの顔を見つめ、苦笑を
「あいつは、死んだ母ちゃんによく似てるんだ……。心を許さない相手に本音は告げない。だから、俺もあいつが恐いよ。兄ちゃんと一緒だ」
「やっぱり、娘さんなんですね」
「あぁ、一応な。12の頃にここに売り飛ばした。でも、捨てた気になれなくてな。本職の花火師と
「妹が、それとなく教えてくれました。それに蒼色キンギョに見入ってる妹に、あなた何か言ってましたよね。蒼色キンギョもあなたを見つめていた……。
そして、船頭も同じ瑠璃色の眼でミーオを見つめていたのだ。
「お前さんたち兄妹は、本当に
「心?」
「なぁ、どうして花火は美しいと思う?」
船頭が空を仰ぐ。レーゲングスは上方を見つめた。硝子越しに広がる暗い闇空がレーゲングスの視界を
「心の闇、ですか……?」
「その闇に気づかない奴もいる。だから俺は花火をあげるんだ。闇があいつを呑んじまわないように……」
船頭の声は、かすかに震えていた。彼の眼に涙が
ミーオの心に闇が巣食っている。
この親子に何があったのかレーゲングスにはわからない。ただ、その闇は自分の中にも
フクスを想うたびに、レーゲングスは自分の闇を思い知る。
家にいた頃と違い、フクスはよく笑うようになった。彼女が笑うたびに翠色の眼が煌き、唇が美しく
出会うたびに妹は女へと変わっているのだ。
男を
フクスを売った自分に対する怒りなのか、それとも――
「俺は蒼色キンギョが憎いのか……」
思いが言葉になる。
「蒼色キンギョの親にその告白はないだろう……」
「なんでも話せって、あなたの眼に脅されてるんですよ」
翠色の眼を細め、レーゲングスは苦笑した。船頭は眼を
「今夜あたり、
「それは見ものですね……」
レーゲングスは再びアーケードの硝子天井を仰いだ。暗闇を泳ぐ金魚たちが月光に照らされ虹色の輝きを放っている。
「花火みたいだな……」
レーゲングスは笑っていた。不意に、セラドン陶器の
無邪気に微笑む妹を見たのは、何年ぶりだろうか。この金魚鉢は
その影にはいつも、蒼色キンギョがいる。
「フクス、俺と会ってもミーオの話ばっかりするんですよ。本当に嫌になる。俺のほうが、あいつと長くいるのに……」
「重症だねぇ、あんた。それなのにあの嬢ちゃんを手放したわけか」
「突き放さなさなくちゃ、気がすまなかったんです……」
ふっと眼を伏せ、レーゲングスは亡くなった母親に想いを
レーゲングスの母は、父の愛人であるフクスの母親を呪いながら死んだ。フクスが産まれてから父は本妻の母のもとではなく、愛人であるフクスの母のもとに入り浸るようになった。
そんな愛人の家に、レーゲングスは何度か連れて行かれたことがある。
古い寺院を
出会った瞬間、レーゲンスは少女の頭部に生える愛らしい狐耳に夢中になった。 声をかけると柔らかな頬に
こんなに愛らしい少女が自分の妹であることが、レーゲンスは信じられなかった。フクスに出会うたびレーゲンスは柔らかな狐耳を撫で、その耳に花を飾った。
母にフクスの話をするたびに、母はレーゲングスを
そして、フクスに笑うことができなくなった。亜人の子とフクスを
レーゲンスは父に見捨てられた母を、裏切ることができなかったのだ。
その母ももういない。
じんと目頭が熱くなる。レーゲンスは硝子天井から眼を放し、服の
「
「はい」
苦笑する船頭にレーゲンスは、微笑みを返していた。水路を泳ぐ
夜に起きる街が
「何だ?」
船頭が声をあげる。黒い鉄製の船が
「おい、ぶつかる気かっ!」
船頭は、
レーゲンスは慌てて立ち上がる。船が波に大きくゆられ、体が
船は速度を落とさない。真っ直ぐこちらへと向かってくる。
「クソっ!」
船頭は船を
木製の船の側面に、鉄製の船の先端がのめり込む。船が大きくゆれ2つに割れる。船の先端にいた船頭が水路に放り投げられる。
レーゲンスは船の縁を片手で持ち、もう片方の手を船頭に伸ばしていた。
ぱんっと銃声がした。船頭の頭から血が噴き出した。ぱんっと、また銃声が鳴る。船頭に伸ばしたレーゲンスの手から血が吹き出る。
「あぁ!!」
生暖かい水の中で、レーゲンスは明るくたゆたう水面に手を伸ばしていた。
――フクス。
妹の名を呼ぶ。だが、口からは銀色の気泡が
ひらひらと、闘魚が泳いでいる。レーゲングスの視界を色とりどりの闘魚が塞ぐ。
その中にいた蒼い闘魚がレーゲングスの眼前をクルクルと巡っていた。
半透明な
まるで蒼色キンギョみたいだ。
薄れる意識の中、レーゲングスはある光景を思い出していた。
飾窓の中で踊る蒼色キンギョを、じっと見つめていたフクスの姿を思い出す。寂しげな彼女を、フクスは悲しそうな眼差しで見つめていたのだ。
フクスは自分と同じものを、ミーオから感じ取ったのだ。亜人として恵まれない境遇に生まれ、愛されることさえ
あのときからフクスは、蒼色キンギョに囚われてしまったのかもしれない。そしてミーオもフクスの中に同じものを感じている
2人を引き離せるはずがない。
レーゲングスは蒼い闘魚を見つめながら、微笑んでいた。
意識が遠のいていく。暗くなる視界に蒼い闘魚を映しこみながら、レーゲングスは静かに瞼を閉じていた。
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