金魚鉢13 水路~金魚花火


 夜空を金魚が泳いている。

 レーゲングスは、金魚鉢のアーケードを仰いでいた。月光を受けて、硝子天井がらすてんじょうを泳ぐ銀魚ぎんぎょが蒼く煌めいている。初めて飾窓かざりまどで見た彼女は、あの銀魚のように蒼く美しかった。

 蒼色キンギョ。世にも珍しい蒼猫として産まれた少女は、金魚鉢に売られた妹の面倒を見てくれている。この遊郭都市金魚鉢において、上位を争う高級娼婦こうきゅうしょうふである彼女は、まだ15歳のあどけない少女だ。

 妹と1歳しか年の違わない少女にレーゲングスは親しみを覚え、何かと彼女の世話になるようになった。今の仕事も、ミーオが得意先を紹介してくれたからこそ上手くいっている。彼女は、自社で扱っているセラドン陶器を他の遊郭の女主たちにも勧めてくれた。

 会社が軌道きどうに乗れば、金魚鉢に売った妹を取り戻すことができる。亜人であることを理由に、自分は腹違はらちがいの妹をさけずんできた。 だが、妹は自ら売られることを望み、借金に苦しんでいた我が家を救ってくれた。

 自らを人柱として家を救った妹を買い戻す。それがレーゲングスの目標であり、妹へのつぐないでもあった。

 そんな妹が金魚鉢を出ることを拒んでいる。

「どうしたお兄さん。蒼色キンギョにお相手をしてもらったのに、てんで浮かない顔をしてるじゃないか?」

 前方で船を漕ぐ船頭せんどうがこちらを見つめている。かさの下に隠れた瑠璃色の眼が楽しげに細められていた。

 船頭は、蒼色キンギョと同じ色の眼をしている。レーゲングスはこの眼が苦手だった。

 瑠璃色の眼に心の奥底まで見透かされている気がする。この眼に、全てをあばかれているような不安な気持ちにとらわれるのだ。

 ミーオに見つめられているときも、同じ気持ちになる。

 じっとミーオはレーゲングスの眼を覗き込むことがあった。まるで何かを問いかけるように、ミーオは自分を見つめてくるのだ。

 眼にたゆたう瑠璃色から、レーゲングスは眼が離せなくなる。得体のしれない不安が胸中を駆け抜ける。

「俺は、蒼色キンギョが恐いのかもしれない……」

 レーゲングスは、船頭に笑っていた。船頭はレーゲングスの顔を見つめ、苦笑をにじませていた。

「あいつは、死んだ母ちゃんによく似てるんだ……。心を許さない相手に本音は告げない。だから、俺もあいつが恐いよ。兄ちゃんと一緒だ」

「やっぱり、娘さんなんですね」

「あぁ、一応な。12の頃にここに売り飛ばした。でも、捨てた気になれなくてな。本職の花火師と船頭掛け持ちして様子をちょくちょく見にきてるわけよ。よく分かったね……」

「妹が、それとなく教えてくれました。それに蒼色キンギョに見入ってる妹に、あなた何か言ってましたよね。蒼色キンギョもあなたを見つめていた……。さみしげだったな、あの眼……」

 飾窓かざりまどで舞っていたミーオの眼差しを、レーゲングスは思い出す。悲哀ひあいに満ちた彼女の眼差しは船頭に向けられていた。

 そして、船頭も同じ瑠璃色の眼でミーオを見つめていたのだ。

「お前さんたち兄妹は、本当にかんが良い。あんたの妹さん、ミーオの心を見抜いてやがる……」

「心?」

「なぁ、どうして花火は美しいと思う?」

 船頭が空を仰ぐ。レーゲングスは上方を見つめた。硝子越しに広がる暗い闇空がレーゲングスの視界をおおう。闇はあらゆるものをみ込んでしまうような錯覚を抱かせる。見つめていると、そこに光が欲しくなる。

「心の闇、ですか……?」

「その闇に気づかない奴もいる。だから俺は花火をあげるんだ。闇があいつを呑んじまわないように……」

 船頭の声は、かすかに震えていた。彼の眼に涙がまっている。

 ミーオの心に闇が巣食っている。

 この親子に何があったのかレーゲングスにはわからない。ただ、その闇は自分の中にもわだかまっているものなのだ。

 フクスを想うたびに、レーゲングスは自分の闇を思い知る。

 家にいた頃と違い、フクスはよく笑うようになった。彼女が笑うたびに翠色の眼が煌き、唇が美しくつやめく。

 出会うたびに妹は女へと変わっているのだ。

 無邪気むじゃきに微笑んでいた妹は、いつの間にか違うモノになろうとしている。

 男をまどわす娼婦にフクスは近づいているのだ。フクスに出会うたびに、レーゲングスは得体えたいの知れない怒りに取りかれる。

 フクスを売った自分に対する怒りなのか、それとも――

「俺は蒼色キンギョが憎いのか……」

 思いが言葉になる。

「蒼色キンギョの親にその告白はないだろう……」

「なんでも話せって、あなたの眼に脅されてるんですよ」

 翠色の眼を細め、レーゲングスは苦笑した。船頭は眼をせ空を仰ぐ。

「今夜あたり、うるわしの蒼色キンギョのために花火を上げるつもりだ。そうだな、セイロン陶器みたいなあざやかな翠色の花火がいいかなぁ」

「それは見ものですね……」

 レーゲングスは再びアーケードの硝子天井を仰いだ。暗闇を泳ぐ金魚たちが月光に照らされ虹色の輝きを放っている。

 うろこを輝かせながら、光の軌道を残して金魚たちは硝子の天井を泳ぎ回る。

「花火みたいだな……」

 レーゲングスは笑っていた。不意に、セラドン陶器のかんざしを見つめながら微笑んでいたフクスを思い出す。

 無邪気に微笑む妹を見たのは、何年ぶりだろうか。この金魚鉢は苦界くかいと呼ばれている。そこでフクスは花のような笑みを咲き誇らせるのだ。

 その影にはいつも、蒼色キンギョがいる。

「フクス、俺と会ってもミーオの話ばっかりするんですよ。本当に嫌になる。俺のほうが、あいつと長くいるのに……」

「重症だねぇ、あんた。それなのにあの嬢ちゃんを手放したわけか」

「突き放さなさなくちゃ、気がすまなかったんです……」

 ふっと眼を伏せ、レーゲングスは亡くなった母親に想いをせていた。

 レーゲングスの母は、父の愛人であるフクスの母親を呪いながら死んだ。フクスが産まれてから父は本妻の母のもとではなく、愛人であるフクスの母のもとに入り浸るようになった。

 そんな愛人の家に、レーゲングスは何度か連れて行かれたことがある。

 古い寺院を改築かいちくした屋敷の庭には、大きな瓔珞木ようらくぼくが植えられていた。その木の枝に座り込み、幼いフクスは枝かられ下がる赤い花のふさをじぃっと眺めていたのだ。

 出会った瞬間、レーゲンスは少女の頭部に生える愛らしい狐耳に夢中になった。 声をかけると柔らかな頬に笑窪えくぼをつくり、自分と同じ翠色の眼を細めてくれた。

 こんなに愛らしい少女が自分の妹であることが、レーゲンスは信じられなかった。フクスに出会うたびレーゲンスは柔らかな狐耳を撫で、その耳に花を飾った。

 母にフクスの話をするたびに、母はレーゲングスをひどののしった。罵ったあと、私を裏切らないでと母は泣きじゃくる。涙に濡れる母の顔を見て、レーゲンスは強い罪悪感を覚えたのだ。

 そして、フクスに笑うことができなくなった。亜人の子とフクスをさけずむと、母はとても嬉しそうにみにくい笑顔を浮かべる。

 レーゲンスは父に見捨てられた母を、裏切ることができなかったのだ。

 その母ももういない。

 じんと目頭が熱くなる。レーゲンスは硝子天井から眼を放し、服のそでで眼をぬぐっていた。最近妙に涙脆なみだもろくくなった気がする。

感傷かんしょうに浸るのも、ほどほどにしなよ」

「はい」

 苦笑する船頭にレーゲンスは、微笑みを返していた。水路を泳ぐ闘魚とうぎょがぴちゃんと跳ねる。その音を合図に、船頭は船の前方へと顔を向けた。水路を行き交う船はすっかり減っていた。楽器の音色も、キンギョたちの婀娜あだとした歌声も聴こえない。

 夜に起きる街が静寂せいじゃくに包まれている。その静寂を破るように、無粋ぶすいなエンジン音が船に近づいてきていた。

「何だ?」

 船頭が声をあげる。黒い鉄製の船が水飛沫みずひまつをあげながら、こちらにき進んでくる。

「おい、ぶつかる気かっ!」

 船頭は、すさまじいスピードでこちらに向かってくる船に叫んでいた。

レーゲンスは慌てて立ち上がる。船が波に大きくゆられ、体がかしいでしまう。思わずレーゲンスは船のへりを掴んでいた。

 船は速度を落とさない。真っ直ぐこちらへと向かってくる。

「クソっ!」

 船頭は船をあやつっている長棒を水底につけ、船を大きく横にらした。だが黒い船は方向を変え、レーゲンスたちが乗る船の側面に激突する。

 木製の船の側面に、鉄製の船の先端がのめり込む。船が大きくゆれ2つに割れる。船の先端にいた船頭が水路に放り投げられる。

 レーゲンスは船の縁を片手で持ち、もう片方の手を船頭に伸ばしていた。

 ぱんっと銃声がした。船頭の頭から血が噴き出した。ぱんっと、また銃声が鳴る。船頭に伸ばしたレーゲンスの手から血が吹き出る。

「あぁ!!」

 たれた手から激痛が生じ、レーゲンスは悲鳴をあげていた。レーゲンスは船の縁から手を放してしまう。水面に叩きつけられ、水飛沫をあげながら水中へと没していく。

 生暖かい水の中で、レーゲンスは明るくたゆたう水面に手を伸ばしていた。

 ――フクス。

 妹の名を呼ぶ。だが、口からは銀色の気泡がれるばかりだ。

 ひらひらと、闘魚が泳いでいる。レーゲングスの視界を色とりどりの闘魚が塞ぐ。

 その中にいた蒼い闘魚がレーゲングスの眼前をクルクルと巡っていた。

 半透明なひれを翻しながら闘魚は水中で優美に泳ぐ。

 まるで蒼色キンギョみたいだ。

 薄れる意識の中、レーゲングスはある光景を思い出していた。

 飾窓の中で踊る蒼色キンギョを、じっと見つめていたフクスの姿を思い出す。寂しげな彼女を、フクスは悲しそうな眼差しで見つめていたのだ。

 フクスは自分と同じものを、ミーオから感じ取ったのだ。亜人として恵まれない境遇に生まれ、愛されることさえいとわれた自分と。

 あのときからフクスは、蒼色キンギョに囚われてしまったのかもしれない。そしてミーオもフクスの中に同じものを感じている

 2人を引き離せるはずがない。

 レーゲングスは蒼い闘魚を見つめながら、微笑んでいた。

 意識が遠のいていく。暗くなる視界に蒼い闘魚を映しこみながら、レーゲングスは静かに瞼を閉じていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る