金魚鉢12 恋敵~愛憎遊戯

「ねぇ、レーゲングスさん。私は土下座をしろって言ってるんじゃないの、足をめろって言ってるの」

 くすくすと可憐かれんな笑い声が聞こえてくる。憎たらしいその声を聞きながら、レーゲングスは顔をあげていた。

 床にいつくばる彼の前には、豪奢ごうしゃなベッドに腰掛こしかけたミーオがいる。瑠璃色の眼を妖しく輝かせ、ミーオはレーゲングスの頭に裸足らそくを乗せていた。

 その足で、ミーオはレーゲングスのあごすくう。

「お話があるって言うから何かと思ったら、フクスを返して欲しい? 何かいつもいつもあなたは同じことしか言わないね。これだから、女を知らない男はつまらないのよ」

 たのしげに眼をゆがめ、ミーオはレーゲングスの口元に爪先をチラつかせてみせる。

「ほら、舐めて……。でないと、今度はフクスに会わせてあげないよ……」

 レーゲングスはとっさにミーオを睨みつけていた。それでもミーオは泰然たいぜんとこちらに笑みをよこすばかりだ。ゴクリとつばを飲み込み、レーゲングスはミーオの足を両手で持つ。

「あっ……。何か、舌使い上手くなってる……」

 ミーオの甘い声が、耳朶にまとわりつく。その声を振り払うように、レーゲングスはミーオの柔らかな足に舌をわせていった。

「凄い……こんなに……上手くなって……。本当に……お兄さんは童貞?」

 フクスの言葉にレーゲングスは舌をとめる。顔をあげると、愉しげにこちらを見下ろす瑠璃色の眼があった。

「フクスを、抱いたことがあるんじゃないの?」

 ミーオの唇から、吐息とともに言葉がれる。

「あの子……抱いてあげるとね……凄く感度がいいの。まるで、誰かに抱かれていたことがあるみたいに……。本当、誰があの子をあんな淫乱いんらんにしたのかしら……?」

 自身の体に指を這わせ、ミーオは言葉を続けてくる。ねっとりとしたその声音に、レーゲングスは言いようのない苛立いらだちを覚えていた。

「やめて、くれいないか……」

 鋭く眼を細め、レーゲングスはミーオをにらみつけてみせる。

「たしかに、俺はフクスに冷たかった。でも俺はあの子を、そんな風にあつかったことは一度もない……」

 フクスの笑顔が脳裏を過る。その笑顔をわずらわしいと思ったこともあった。

 でも今では、レーゲングスにとって彼女はかけがえのない妹なのだ。その妹を、侮辱くつじょくされることだけは許せない。

 例え、相手がフクスをまもってくれている蒼猫でもだ。

うそばっかり」

 すぅっとミーオの眼が細くなる。冷たい眼差しをレーゲングスに送りながら、ミーオは言葉を続けていた。

「フクスを嫌らしい眼で見てるくせに……。あの子を、本当は抱きたいんでしょ? だから私からフクスを取り上げたいんでしょ? あの子を捨てたくせして、手放したとたんそれが惜しくなっちゃったんでしょ? あなたは――」

「ふざけるなっ!」

 わらうミーオの言葉を、レーゲングスの言葉がさえぎる。立ち上がり、レーゲングスはミーオを睨みつける。猫耳を小さく震わせ、ミーオはレーゲングスに剥いた眼を向けていた。

「俺は、あの子を一度だってそんな眼で見たことはないっ。あの子は、たった一人の俺の妹だ。家族だ! だから取り戻したいだけだっ! それ以上の感情をフクスに抱いたことなんて、一度だってない! 俺のことはどう扱ってもいい! でも、フクスを侮辱することは、君でも許さない!!」

 レーゲングスは怒号をミーオにぶつけていく。そんなレーゲングスを唖然あぜんとミーオは見上げていた。

 色のない、不気味な眼で。その眼差しに、レーゲングスは震撼しんかんする。

「言いたいことは、それだけ?」

 レーゲングスを不思議そうに見つめながら、ミーオは首を傾げてみせる。眼を見開くレーゲングスをたのししげに眺め、ミーオは続けた。

「あなたが何を言ったって、もう無駄むだだと思うな。フクスはもう私のものだもの。身も心も、私だけのものなの……。だって私たち毎晩愛し合ってるんだから……」

 うっとりと眼を伏せ、ミーオは自身の体を愛しげに抱きしめてみせる。そんなミーオを見て、レーゲングスは戦慄せんりつを覚えていた。

「君は、何を言ってるんだ?」

「そのままの意味よ、お兄さん……。だって。フクスは娼婦しょうふになるんですもの。手ほどきが必要でしょう? それを、私がしてるだけ。毎晩、毎晩。丹念たんねんに、愛を込めて……」

 妖艶ようせんなミーオの言葉に、レーゲングスはひざをついていた。そんなレーゲングスに笑顔を向け、ミーオは言葉を続ける。

「私が毎晩、フクスにしていることを私にしてくれるのなら、あの子を返してあげてもいいよ……。でも、それはあなたの知ってるフクスかしら……?」

 ミーオが立ち上がる。彼女は、レーゲングスの頬を両手で包み込み、顔をのぞき込んできた。

 瑠璃色の眼が、レーゲングスの目の前にある。その眼が妖しい煌きを宿している。

「教えてあげる……。私とフクスが毎晩何をやっているのか? それでもあなたは、フクスを取り戻したがるのかしら?」

 ふっくらとした唇が、レーゲングスのそれにてられる。唇からただよう甘い香りに、酔ってしまいそうだ。

「やめろ……」

 それでもレーゲングスは、喉から声をしぼり出していた。ミーオの顔を両手で持ち、自分の顔から引きがす。

「何よ、その態度……」

「俺にロリコン趣味はない。どうせなら、もう少し育ってからさそってみろっ」

 不機嫌なミーオにレーゲングスは言い放つ。レーゲングスの視線は、ミーオの小さな胸に向けられていた。ミーオはレーゲングスの手を振り払い、立ち上がってみせる。

きょうざめっ。なんでこんな人がフクスのお兄さんなのかしら? 童貞だしっ!」

「童貞は余計だっ!」

 レーゲングスに背を向け、ミーオはベッドへと移動していく。そんなミーオにレーゲングスは言葉を放っていた。

「でも、フクスはあなたに会いたくて仕方がないのよね……」

 ぽすりとベッドに腰掛け、ミーオは弱々しく言葉を放ってみせた。

「ミーオ……?」

「あの人は、来てくれないのに……」

 うつむくミーオの眼が悲しげに伏せられる。レーゲングスはその眼から視線が離せなかった。

 妹が、フクスがときおり見せていた眼と、よく似ていたから。

 そっとレーゲングスは立ち上がり、ベッドに近づく。腰をかがめ、彼はミーオの顔を覗き込んでみせた。

「なに?」

 怪訝けげんそうなミーオに答えることなく、レーゲングスは彼女の頭を軽くでてみせる。ミーオの頬が桜色に染まるのをレーゲングスは見逃さなかった。

「なっ!?」

「優しくされるのは、れてないんだな……」

 苦笑しながら、レーゲングスはミーオの頭を撫で続ける。猫耳を優しくんでやると、ごろごろとミーオがを鳴らす音が聞こえた。

 そっと猫耳の房飾ふさかざりを指で弾き、レーゲングスはミーオの頭から手を放す。

「反則……。こんなの……。童貞のくせに……」

「童貞は余計だ……」

 俯くミーオの顔は、林檎りんごのように赤い。そんなミーオに笑顔を送りながら、レーゲングスは言葉を続けていた。

「じゃあ、そろそろ俺は行くよ。もう、遅いからな」

 そっときびすを返し、レーゲングスは部屋の扉へと向かっていく。

「また、来る?」

 ぽつりと、そんな彼に頼りない言葉がかけられた。振り向くと、ミーオがこちらをじっと見つめている。潤んだ瑠璃色の眼がすがるようにレーゲングスの姿を映していた。

「来るよ。フクスを取り戻すまで、何度でも。君が嫌がってもね……」

「最悪な人」

 微笑むレーゲングスの言葉に、ミーオは笑顔を浮かべてみせた。







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