金魚鉢10 秘密~女狐暴露

「ジィジィ……。どうして来てくれなかったの、さみしかったよぉ」

 カウチソファに寝そべるオーアが不満げに口を開く。彼女の頭をひざに乗せたラタバイは、困ったような笑みを浮かべてみせた。

「オーアは相変わらずじぃじの前だと、子供だなぁ」

「だってぇ、寂しいんだもん」

「もう、三十歳超えるじゃろうお前……」

「それとこれとは関係ない……。じぃじはじぃじなの。私はじぃじの可愛い孫なのっ!」

 ぐるりと体をうつ伏せにし、オーアはラタバイの膝に顔を埋めてみせる。苦笑するラタバイがそんな彼女の頭をでる。オーアは気持ちよさげに顔をあげ、黄土色の狐耳をたらしてみせた。

 そんな二人の様子を、こっそりとながめている者たちがいた。

「ミーオ……これって……」

「しぃ、バレちゃう…っ」

「でも……」

「見て、フクスっ……。これがオーアの本当の姿なの。普段は傲岸不遜ごうがんふそんな態度で私たちを見下しまくってるくせに、ラタバイ爺にはベタ甘えするのよあの人。大人のくせにさぁ、気持ち悪いよねぇ……」

 扉の隙間すきまから最上階にあるオーアの部屋をミーオとフクスは覗いていた。フクスは、オーアから視線を逸らすことができなかった。誰にでも毅然とした態度をとるオーアが、まるで子供のようにラタバイに甘えているのだ。

 ラタバイに甘えるオーアの姿は、普段の彼女からは想像もつかない。フクスの知っているオーアは抜け目がなく、常に勝気な笑顔を浮かべているやり手の女主人だ。

 そのオーアが、小さな子供のようにラタバイの膝に顔を埋め駄々だだをこねているではないか。

「法改正を阻止そしするための話し合いてただの口実。ラタバイ爺に会いたいから、あの人そんなデタラメ言ってるの。まぁ、話し合いは一応してるけどね」

「オーアさんて……」

「フクスと一緒。もとは名家のお嬢様だけど、亜人ってだけで一族の恥さらし。それを、このくるわの女主人にすることで、食べていけるようにしてくれたのがラタバイ爺なんだって。ちょっと、うらやましいよね……」

「ミーオ……」

 ミーオの声が弱々しい。

 彼女の様子が気になって、フクスは後方にいるミーオを見つめていた。 ミーオの眼が、じっと仲睦なかむつまじいラタバイとオーアに向けられている。その眼が、悲しげな瑠璃色にきらめいていた。

 またミーオは父親のことを考えているのだろうか?

「何してるんだ? お前たち……」

 き慣れた声がして、フクスは狐耳をびくりと立ち上げていた。廊下へ体を向けると、不思議そうにこちらを見つめるレーゲングスの姿がある。

「兄さんっ? どうして、ここにっ」

「オーアさんに呼ばれて……。てっ、お前らまさか勝手に人の部屋を覗いてるんじゃないだろうなっ!?」

「ちっ、違うっ!」

 きっとフクスを睨みつけ、レーゲングスは大股おおまたでこちらへと近づいてくる。怒っている彼に気がつき、ミーオもぎょっとレーゲングスを凝視ぎょうししていた。

「なんでいつもお前はそうなんだっ!? フクスっ! 小さいときだって、俺が友達とつるんでると勝手に部屋を覗いたりしてっ! あのとき人の部屋は勝手にのぞいちゃ駄目だって、ちゃんと教えただろうっ!?」

 元来生真面目な兄は、こうなると手がつけられない。最近は長年のわだかまりが消えたせいか、昔のようにフクスを説教することもある。

「兄さん、これはっ!」

「言い訳は聞か――」

 レーゲングスの大声を、大きな衝撃音しょうげきおんさえぎる。言葉を遮られた兄が大きく眼を見開き、固まる。

 ミーオの悲鳴が聞こえ、フクスはとっさに部屋の扉へと体を向けていた。

「何してる? お前ら……」

 額に青筋を浮かべたオーアが、開け放たれた扉の向こう側に立っていた。その背後に、乾いた笑顔をしたラタバイがたたずんでいる。

「違うのっ! オーアこれはっ!」

「ミーオ!!」

「はいっ!」

 オーアの怒声どせいにミーオは背筋を正し、大きく返事をした。

「仕事だ。フクスのお兄さんを、ここまで連れてきてくれ」

「えっ?」

「返事はっ……?」

「かしこまりました。オーアさま」

 顔に無理やり笑みを浮かべ、ミーオはレーゲングスのもとへと駆け寄ってくる。彼女は、無言でレーゲングスの腕に両手をからめてきた。

「ミーオっ……」

「いいから、黙ってついてきて……」

「でも……」

「このままじゃ、私がオーアに殺されちゃう……」

 上擦うわずった声をあげ、ミーオは潤んだ眼をレーゲングスへと向けていた。怖がっているのか、彼女の猫耳が小刻こきざみに震えている。

「兄さん、行ってあげて……」

「あぁ……」

 フクスにうながされ、レーゲングスはミーオとともに扉へと向かっていく。フクスはオーアを見た。部屋の中に佇む彼女は、フクスに笑顔を送っているではないか。びくりと狐耳を震わせるフクスに、オーアは口を開いてみせた。

 --あとで部屋に来い。

 声を出さず、オーアはフクスにそう告げる。フクスが怯えた顔をすると、彼女は笑みを深めてみせた。


 

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