金魚鉢8 兄妹~翠色陶器
「それで、誰も口を聞いてくれない
兄の失笑が何だか癪にさわる。話を聞いてくれていたレーゲングスをフクスは睨みつけていた。ぎょっとレーゲングスが眼を見開く。フクスはため息をつき、そんな兄から顔を
兄は自分の気持ちをわかってくれない。それが
大部屋の
「みんな、ミーオが恐いのよ……」
フクスの手には、ブーゲンビリアを
そしてフクスを
あの一件があってからというもの、ミーオは以前にも増してフクスを側に置くようになった。他のフナと
そのせいで、フクスは大部屋に戻ることさえ滅多にできない。
それに、寝るときはいつも――
ミーオの肌の感触を思い出し、フクスは頬を染めていた。
ミーオは優しく
もっと、
――私だけを、見て。
ミーオの囁きが狐耳に
自分が
「フクス、顔が赤いぞ……」
「ごめん、兄さん……」
レーゲングスに話しかけられフクスは我に返る。レーゲングスは息を吐き、安堵したように微笑んでくれた。
「でも良かったよ。お前が元気そうで。やっぱり、同じ亜人の中にいるせいかな?」
兄は自分と同じ翠色の眼を悲しく揺らしてみせる。そんな兄を見て、フクスは狐耳を垂らしていた。
フクスが金魚鉢に売られてから、兄は人が変わったように親切に接してくれるようになった。まるで幼い頃に戻ったようだ。それがフクスを売った後ろめたさから来ているとしても、フクスは嬉しかった。
「本当、お前のお
フクスが
セラドン陶器の簪は、レーゲングスがフクスに贈るためミーオに授けたものだ。
フクスを売った金を元手に、兄は事業を起こした。
本国でも伝統工芸として親しまれているセラドン陶器を扱う会社を立ち上げたのだ。この島には、セラドンの原料となる良質な陶土が
一定のセラドン陶器を一つの村から大量に購入することにより、購入価格を抑え、在庫の
海外の先進国でセラドン陶器の人気は高く、兄の会社は順調に売上を伸ばしている。
「みんな、ミーオのお陰だよ。あの子がお得意さんをたくさん紹介してくれた。蒼色キンギョは本当に凄い……」
兄の眼に優しい光が宿る。フクスはそんな兄の眼を見て心臓が高鳴るのを感じていた。
ミーオの話をするとき、兄は嬉しそうに笑みを浮かべる。
兄はミーオをよく買っている。それは、フクスに会うための建前だ。だが、兄はミーオの話をよくするようになった。ミーオのことを
「兄さんは、ミーオが好きなの?」
こくりと狐耳を傾け、フクスは尋ねる。ぎょっとレーゲングスは眼を見開き、頬を赤く染める。
「そう、見えるのか?」
フクスは狐耳を動かし応えてみせる。レーゲングスの顔に苦笑が滲んだ。
「兄さん……」
「俺は、ロリコンじゃない。お前より一つ年上の女の子になんて
笑うレーゲングスを見て、フクスは狐耳をむっと
「ミーオは、お前によく似てるんだ」
「私に」
「あぁ、特に眼がな……」
ふっとレーゲングスは、眼を伏せる。飾窓で見たミーオの眼差しを思い出して、フクスは眼を閉じていた。
蒼い衣を
そんな眼を自分がしていると兄は言う。
いつも、自分は寂しげな眼をしていたのだろうか。だからミーオは自分を側に置きたがる。
自分がミーオと同じ気持ちを抱えているから。
「あの子も、身請けできるといいんだけどな……」
兄の声が聴こえて、フクスは眼を開けていた。あたたかな感触が狐耳に広がって、兄に
「金が溜まったら、お前をちゃんと迎えに来るよ。父さんもお前に会いたがってる……」
レーゲングスは静かにフクスを抱き寄せていた。フクスの狐耳に兄の
「もう、俺の家族はお前だけになるんだな……」
震える兄の声が、フクスの狐耳に突き刺さる。
フクスが売られてすぐ、父は長年の疲労が
家は借金だらけ。フクスの母親は使用人を愛人にしている。頼りになるはずの父親は、病を抱えている。
そんな我が家の
「それに、身請けするなら早いほうがいい……」
「やっぱり、あの
「フクスの耳にも入ってるのか?」
「ミーオがちょっとおかしいから。それにオーアさんも、何だか慌ててるみたい」
声を
政府が、売春法を大きく変えるという噂が囁かれているのだ。
金魚鉢の
人間の経営する遊郭に亜人が売られれば、客を取ってもその
働きに出ても同じだ。同じ仕事をしていても、亜人の賃金は人間と違い保証されない。ほとんどの亜人が、
金魚鉢は春を売る見返りに、金と権力と手に入れた。その権力によって、金魚鉢の女主たちは亜人の少女たちを守っているのだ。
それは裏を返せば、人でない亜人が政府すらも動かす権力を持ってくることを意味している。その権力を恐れ、政府は亜人が治めている遊郭都市を直接管理しようとしているのだ。
自分に何かあっても、金魚鉢であればフクスは生きていくことができる。ここには同じ
金魚鉢に売られてから、フクスは兄が良く頭の回る人間だということを実感した。兄が心の底では自分を
金魚鉢が政府に自治を取りあげられたら、レーゲングスと会うことも出来なくなるかもしれない。
「フクス……」
兄の眼が
レーゲングスはフクスに選択を迫っている。そしてどんな答えを返せばいいのか、フクスは知っている。
でも――
「兄さん、私ここで生きてみたいわ……」
「フクス……」
「私、ここにいなきゃ……」
レーゲングスの顔を見ることができず、フクスは顔を逸らしていた。飾窓で踊っていたミーオの姿を思い出す。
悲しげなミーオの笑顔を、フクスは忘れることができないでいた。
――ここに落とされた子達は、どんな思い出死んでいったのかな?
谷底を見つめていたミーオの眼を思い出す。
ミーオが、あの谷に呑まれてしまうような
ミーオは自分を慕ってくれている。自分が金魚鉢を出て行ったら、ミーオはどうなってしまうのだろうか。あの
「いい友達が、出来たんだな……」
呟くようにレーゲングスが言う。フクスはレーゲングスの顔を見つめていた。兄は、翠色の眼を細め、笑っていた。
寂しげに眼をゆらしながら、レーゲングスは続ける。
「いや、あの子に
「兄さん」
フクスの脳裏に、暗い谷を映す、ミーオの瑠璃色の眼が煌めく。
いつも考えるのは、ミーオの寂しげな眼のことばかりだ
「俺は、あの子を抱きたいのかも知れないな……。それとも――」
レーゲングスは優しくフクスの頭を撫でる。悲しげに笑ってみせ、レーゲングスはフクスから顔を逸らした。
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