金魚鉢3 飾窓~蒼色金魚

 月明かりに硝子ガラスで作られた円柱がきらめく。対になった円柱の中は水で満たされ、その中で泳ぎ回る金魚たちが月光に輝く

 対の円柱の真ん中を、フクスたちを乗せた船が進んでいく。円柱をえた先には、小さな水門があった。水門が厳かな音をたてながら、開いていく。

 開かれた水門の向こうから華やかな音楽が流れてくる。目の前に広がる光景に、フクスは大きく眼を見開いていた。

 大きな水路の両側にはアールヌーヴォー調の遊郭が建ち並んでいた。それらの遊郭には美しい細工が施された大きな飾窓がついている。銀細工ぎんざいくやステンドグラス。繊細せんさいな彫刻がほどこされたものなど。飾窓の装飾は、その向こうにいる亜人の少女たちをあやしく彩っていた。

 煌びやかな衣を身にまとった少女たちが、フクスの乗る船に視線を投げかけてくる。彼女たちは色とりどりの獣耳を動かし、しゃなりと首を斜めにしてみせる。

 遊郭に吊るされた金魚の形をした提灯が、そんな少女たちを幽玄に照らしていた。

 空を仰ぐ。

 澄んだ硝子のアーケードが上空をおおっている。その硝子の中を金魚たちが巡っていた。

「本当に、金魚が泳いでる……」

 フクスの眼が大きく見開かれる。

 金魚鉢の硝子天井には金魚が泳いでいる。それがこの遊郭都市の名前の由来だという。噂には聞いていたが、本当だとは思わなかった。

 金魚が泳ぐ硝子の向こうには、夜空に綺羅星きらぼしが瞬いている。水路から硝子のアーケードを仰ぐと、夜空の海を金魚が泳いでいるような光景をみることができるのだ。

「お嬢さん、あっちのキンギョも見ものだよ。ほら、あんたが売られる遊郭の飾窓の中で、優美ゆうびに泳いでやがる」

 船頭が声をかけてくる。フクスは船頭が見つめる左手の遊郭へと顔を向けた。

 銀細工が施された細長い飾窓の中で、亜人の少女たちが擦弦楽器を奏でていた。

湖で聴いたみやびな音楽が、飾窓の向こうで演奏えんそうされている。窓がある部屋の壁には、猫を象ったランプハンガーが吊るされており、ガレのランプが少女たちを照らしていた。

 ガレのランプには金魚が描かれており、優美な手つきでソードゥアンやソーウーを奏でている少女たちを照らしている。

 茶トラ、赤茶、キジトラ、さばトラ。

 少女たちの猫耳が、演奏に合わせてゆらめいている。耳先についた飾り毛が、金魚の尾のように靡いていた。

 その中央で舞い踊る青い衣の少女がいた。飾り毛のついた蒼い猫耳が、扇のようにひらひらと動く。水色の髪についた鈴が鳴る。人形のように整った彼女の容貌ようぼうには、瑠璃色の眼が瞬いていた。その眼を細め、彼女は蒼い産毛がついた手を泳ぐようにらめかせている。

 まるで、蒼い金魚が泳いでいるようだ。

 ほうっと、フクスは狐耳をたらして彼女のまい魅入みいっていた。彼女が回るたびに、ガレのランプが彼女の衣に金魚の陰影いんえいを映し込んでいく。まるで映写機のように、衣に映る金魚はまたたくのだ。

「あれが、キンギョ……」

「そ、嬢ちゃんがこれからなるもんだ。とくに蒼猫あおねこのキンギョはめずらしいからな。この辺じゃ、一番の売れっ子だよ」

 あれが、蒼色キンギョなのね。

 蒼い猫耳少女の舞をフクスはじっと見つめていた。ぴんと狐耳をたちあげ、フクスは擦弦楽器の音に耳を傾ける。舞う猫耳少女の桜色さくらいろの唇からはかい歌声が流れてきた。

 キンギョ。

 金魚鉢では亜人の高級娼婦たちをそう呼んでいる。彼女たちの獣耳が、金魚のひれのように見えることが名前の由来らしい。

 そして、その中でも蒼色キンギョの存在を知らないものはいなかった。世にもめずらしい蒼い猫耳を持つ亜人の少女。その体は、どんな美酒びしゅよりも男たちを陶酔させるという。

 蒼い猫耳は幸福の象徴しょうちょうとされている。そのご利益にあやかろうと、政界から文学の世界まで、著名ちょめいな人々が彼女のもとへ通いめるという。

「あんたも珍しい赤ギツネだ。きっと、蒼色キンギョと並ぶ売れっ子になる」

「うん、なるつもり」

「はは、威勢のいいお嬢さんだよ。本当に」

「フクスっ」

 兄がフクスをしかりりつけた。フクスはしぶしぶ口を閉ざし、船頭との会話をやめる。

 船が、船着場に到着する。

 唐草模様の格子が美しい遊郭の門が、船着場の先にはあった。門の右側に蒼猫少女が踊る飾窓がある。蒼色キンギョを眺めながら、レーゲングスが船から降りていく。

 船から降りながら、フクスはにぎやかな飾窓を見つめていた。蒼色キンギョが衣を翻しながらこちらへ顔を向けてくる。

 瞬間、フクスは大きく眼を見開いていた。

 悲しいような、それでいて諦めているような――

 そんな冷めた色をした眼に微笑を浮かべ、蒼色キンギョはフクスをみていたのだ。

 フクスはびくりと体をこわばらせていた。何か見てはいけないものを見てしまった気がする。

 金魚鉢でも上位を争うほどの美貌と美しい体を持ったキンギョ。どうしてそんな彼女が悲しい眼を自分に投げかけてくるのだろうか。

 船着場に上がったフクスは改めて飾窓を見つめる。蒼色キンギョは 何事もなかったかのように瑠璃色の眼に笑みを浮かべ、水路を行き交う船に微笑みを浮かべていた。

 何だったんだろうか。あれは――

「フクス、行くそっ」

 先に降りていたレーゲングスが、フクスを怒鳴りつける。フクスは思わず兄を見つめていた。レーゲングスは、翠色の眼を怒らせフクスを見つめている。

「おぉ、怖いお兄さんだな。あんた、売られて正解だよ」

 後方の船から船頭の笑い声が聞こえる。その笑い声が不愉快なのか兄が顔を歪めた。

「フクスっ」

 レーゲングスは声を荒らげフクスを呼んだ。フクスは小さく溜息ためいきをついて、顔をうつむかせる。

「あれ、俺の娘なんだ。寂しがってるみたいでね。友達になってくれると、有難ありがたい……」

 兄の元へ行こうとした瞬間、船頭が呟くように囁いた。驚いて、フクスは後方の船へと顔を向ける。

「よろしくな。お嬢ちゃん」

 船頭は蒼色キンギョと同じ瑠璃色の眼を細め、フクスに笑いかけてきた。

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