金魚鉢2 亜人~遊郭都市
ぴしゃんと、
「フクスっ」
「ごめんなさい。レーゲングス兄さん……」
しゅんと、赤い狐耳をたらしフクスは
「お前は亜人とは言え
そんなフクスの狐耳に厳しい兄の言葉が響く。
彼を見つめる。フクスと同じ
くくっと小さな笑い声が聞こえる。
驚いて前方を見つめると、船を漕ぐ
兄が船頭を睨みつける。船頭はぎょっと眼を見開いて、何事もなかったかのように前方へと顔を向けた。
気まずい
フクスは、情けなくなって顔を俯かせていた。
船頭の嘲笑はもっともだ。
フクスは、水路を覗いてみる。
顔をあげるとフクスの眼に金魚の提灯が飛び込んできた。提灯は、水路を取り巻く
この先にある、金魚鉢への道筋を示すものだ。
金魚鉢。
金魚鉢はその遊郭都市の名だ。
金魚鉢は、島で1番大きな
アーケードの硝子天井を泳ぐ金魚に
金魚鉢には、キンギョと呼ばれる亜人の
フクスは、水面に映る狐耳を眺めた。この耳だけは、いつ見ても好きになれない。自分を生んだ母親は嫌なことがあるとこの耳を引っ張り、フクスに辛く当たった。
自分が亜人であることが、母は気に食わなかったのだ。
亜人はここ数百年、世界中で産まれている人間の
亜人は普通の人間から突然生まれてくる。異常気象や、核兵器の使用による遺伝子の
「お嬢さん。あんたの売られる場所が見えてきたよ」
船頭に声をかけられ、フクスは顔を前方に向けていた。水路が終わり、凪いだ瑠璃色の湖面がフクスの視界いっぱいに広がった。
蒼い月光と、光り輝く
その様子はまるで、楽園のようだ。
「あそこが苦界だなんて、信じられない……」
フクスは、美しい都市に見とれていた。
――金魚鉢は、亜人少女たちの苦界。一度入ったら二度と出られず、美しい
この島に住む者なら誰もが知る、金魚鉢の風評だ。だが湖面に浮かぶ遊郭都市は光輝き、暗い影を
「そうだ、フクス。お前が行くところは苦界なんかじゃない。高官方も政治の話し合いの場として使う、大切な場所だ。お前はそんな方々のお相手が出来る幸せな場所にいけるんだよ。亜人であるお前には、
「下半身の相手が、主だがね」
レーゲングスの言葉を聞いて、船頭が笑う。兄は、船頭を
「おぉ、怖い。実の妹を売り払った金であんた、金魚鉢の女を買う訳じゃないよな? そう言う奴が、亜人の娘を売る野郎には溢れるほどいるもんだ……」
冷たい船頭の嘲笑が、レーゲングスに向けられる。レーゲングスは気に食わない様子で顔を
こんな奴、売られる他に価値はない。
そう、父を説得していた兄の姿をフクスは思い出していた。首を縦に振らなかった父を説き伏せたのは、そんな兄の姿を見たフクス自身だった。
兄は妾だったフクスの母が気に入らないらしい。前妻が亡くなり、その
その上母が産んだ自分は亜人だ。亜人が親族にいることは、恥以外の何者でもない。
母に抱きしめられた記憶が、フクスにはない。父だけがときおりフクスの頭を優しく
そして、フクスに言う。
――お前が亜人じゃなかったら、みんな幸せなのにな。
その言葉を繰り返し聞かされたフクスは、金魚鉢に行くことを自ら決断した。
亜人の自分がいなくなれば、借金に苦しむ家族の重荷は和らぐだろうから。
「私、あそこに行くのが楽しみよ。兄さん」
兄に微笑んでみせる。
レーゲングスは驚いたように眼を見開いて、嘲笑を浮かべてみせた。
「まったくお前は
兄の言葉は、まるで言い訳のようだった。
違う。この人はフクスを売り飛ばす言い訳を探しているのだ。実の妹が亜人といっても、売り飛ばすとなったら世間は良い顔をしないものだ。売る人間には罪悪感も生じる。
兄はフクスを売るもっともな理由が欲しいのだ。
「兄さんは、少し頭の作りが弱いのかしら……」
笑みを深め、レーゲンスに言葉を返す。兄は眼を見開き、固まった。船頭の軽快な笑い声が船上に木霊する。彼は船を漕ぎながらフクスに笑ってみせた。
「
「ほんと、可愛げのない妹をもってとっても光栄だよ……」
船頭の言葉に、兄が苦笑を浮かべてみせる。
どこか悲しげに見える兄の眼を見て、フクスは胸が痛むのを感じていた。
そっと、フクスは狐耳に手をやる。兄が幼いころ、耳によく花を飾りつけてくれたことが脳裏を過ったのだ。
無邪気に笑いながら、幼いレーゲンスはいつもフクスの狐耳を優しく撫でてくれた。
幼い兄はフクスに優しかった。成長するにつれ、兄はフクスに冷たい眼差しを向けるようになったのだ。
父の言葉が、フクスの狐耳に響く。
――お前が亜人じゃなかったら、みんな幸せなのにな。
金魚鉢は亜人を必要としている。亜人をいらないと思う人間はいないだろう。
家にいるよりずっと良い。
少なくとも、あそこには自分の居場所があるのだ。
フクスは立ち上がり、湖面に浮かび上がる遊郭都市を見つめる。船が近づくたびに、擦弦楽器が奏でる心地よいメロディが狐耳に鳴り響いた。
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