金魚鉢  短編版

猫目 青

金魚鉢1 回想~硝子天井

 ぴしゃんと硝子の天井の中で金魚が跳ねた。フクスは、赤い狐耳を動かし足元を見つめる。

 自身が駆ける硝子の天板の下は水で満たされており、その中を真っ赤な金魚たちが泳ぎ回っていた。

 金魚が天板の中で跳ねるたびに、水の跳ねる音がフクスの耳に轟く。そのたびに、フクスは赤毛に覆われた狐耳を動かしてみせた。

 そんなフクスの耳に可憐な少女の笑い声が響き渡る。その笑い声にまじって花火の轟音が聞こえてきた。

 前方に視線をやると、自分の手を繋ぎ駆ける少女の姿が映り込む。

 蒼い猫耳を嬉しそうに動かしなら、ミーオは笑っている。彼女が駆けるたび、蒼猫耳あおねこみみを覆う水色の髪がたなびいた。

 ける彼女の後ろ姿は、艶やかな金魚のようだ。彼女の纏う衣は花のように幾重いくえもの布が折り重なり、レースとしゃで飾りつけられている。その衣のすそが、金魚の尾ように優美にゆらめいている。

 高らかに彼女が凛とした笑い声をはっする。その笑いにられるように、花火の音がどぉんどぉんと響き渡る。

 人々の悲鳴と、逃げまどう足音が硝子の天井の下から聞こえてくる。

「壊れるね! 壊れるね!! 金魚鉢が壊れていく!!」

 ミーオ弾んだ声が狐耳に響き渡る。花火の光を受けて緑に輝く猫耳を動かし、ミーオはこちらへと振り向いた。瑠璃色るりいろの眼が蠱惑的に細められてフクスを捉える。

 フクスの手をゆっくりと放し、ミーオはくるくると体を動かしてみせた。

「楽しいね! 楽しいね、フクス!! みんな、みんな壊れていくよ……」

 うっとりと眼を瞑り、つま先立ちになった彼女は舞を踊る。彼女の背後で花火があがり、轟音が鳴り響き、硝子天井の下に立ち並ぶ遊郭を吹き飛ばしていく。フクスたちのいる硝子天井のアーケードにひびが生まれ、水と共に金魚たちが外へと流されていく。

 ゆらゆらと揺れるミーオの衣は、水の中を舞う金魚のよう。その背後で大輪の花火が花開く。

 赤、黄、青、緑。

 夜空にひるがえる色とりどりの火花は、まるでつやかな衣のようだ。フクスは、金魚鉢の飾窓かざりまどを思い出していた。

 遊郭都市、金魚鉢。

 この島で一番大きな湖に浮かぶ春を売る都は、今まさに終わりのときを迎えようとしている。

 この都市に捕らわれていた遊女たちの手によって――

 水路が張り巡らされた遊郭都市『金魚鉢』の飾窓には、フクスたちのような亜人あじん――けものに似た耳を持つ人間の突然種――の少女が衣をなびかせ、船に乗った客を誘惑ゆうわくしていた。

 お気に入りのギンギョ――金魚鉢では亜人の高級娼婦をこう呼ぶ――が見つかると、客は船頭せんどうに賃金を持たせ、館の港から目当てのキンギョがいる遊郭へとやって来るのだ。

 フクスは昨日のことのように、この金魚鉢にやってきた夜を思い出すことができる。

 色鮮やかな闘魚とうぎょたちの泳ぎ回る水路を、飾窓の明かりが鮮やかに照らしていた。銀細工でおおわれた飾窓には、闘魚のように鮮やかな獣耳を持つ少女たちが陳列ちんれつされていた。その中に首をななめめに傾け、婀娜あだとした眼差しを送る少女の中に蒼色キンギョのミーオがいたのだ。

 ミーオは、蒼い猫耳が美しいキンギョだった。猫のランプハンガーに吊るされたガレのランプが優しくミーオを照らしていた。金魚が描かれたランプの明かりを受けて、ミーオの眼は美しい瑠璃色の光彩を宿していたのだ。

 ミーオの瞳に宿る瑠璃色を見た瞬間しゅんかん、フクスはひゅっと背筋が寒くなった。ミーオはその眼をすっと細め、フクスに微笑んだのだ。

 その微笑みが、なんとも鮮やかで、悲しげで――

 フクスはその日から、ミーオの眼から視線が離せなくなった。

「フスク、壊れてるよ! フクス! 水路の水が、みんなを流していくよ」

 はずんだミーオの声を聞いて、フクスは我に返る。ミーオは舞をやめ、硝子の天井の下に広がる金魚鉢を眺めていた。

 フクスも硝子屋根の下を見つめる。轟々ごうごうと狂ったようにうねる水渦みずうずがいくつも出来上がって、水路の水を濁流に変えていた。 

 その濁流の中に、少女たちを買いに来た男たちがいる。亜人の少女たちがいる。

 男たちは悲鳴をあげながら、少女たちは嬌声きょうせいをあげながら、荒れ狂う水に流されていた。

「あぁ、私たちが殺すんだね……」

 弱々しい声を吐いて、彼女はじっと溺れる少女たちを見つめていた。

「殺すんだ、私が。私たちのエゴのために殺しちゃうんだ……」

 ミーオが笑う。瑠璃色の眼が涙に滲んでいた。

 あぁ、あのときと一緒だとフクスは思った。ミーオがフクスに初めて見せた眼差しを、おぼれる少女たちに向けている。悲しげな眼で少女たちを眺めている。

「ミーオ、私たちは立ち止まっちゃいけないよ」

 そんなミーオを見て、フクスは凛とした声をあげていた。

 ミーオが、顔をあげこちらを見つめてくれる。涙ににじんだ彼女の眼は、悲しげに煌めいていた。

「こんな子たちをつくらないために、私たちは金魚鉢を壊したんだから。私たちが、望んだことなんだから……」

 もう、そんな悲しい眼を向けないで。

 一番伝えたい言葉を言うことができず、フクスは俯く。フクスの翠色すいしょくの眼からは、大粒の涙が流れていた。

「フクス……」

 ミーオが、手を差し伸べてくる。その手が、フクスの白い頬に触れる。

「泣かないで……」

 フクスの両頬を、蒼い産毛が生える手で包み込んでくれる。ミーオはフクスに近づき、流れる涙を舌ですくった。

「ミーオ……」

「一緒に、来てくれるよね」

「うん」

 不安げなミーオに、フクスは笑顔を返していた。ミーオの顔に笑みがほこる。互いの手を握り合い、2人は硝子屋根の上を走っていく。

 爆音がする。遊郭が吹き飛ばされる。人々の悲鳴があがる。花火が夜闇を彩る。

 その中を、2人の亜人の少女たちが笑い合いながら駆けていく。

 駆けながら、フクスは空を仰いだ。

 花火が綺麗きれいだ。

 この金魚鉢に初めて来たときも、花火のような月光と綺羅星きらぼしが夜空を彩っていた。その夜空の下を、ミーオと手を繋いで駆けた。

 フクスの記憶がさかのぼっていく。

 ミーオと初めて会った夜の出来事を、フクスは思い返していた。

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