オトコの闘い

 それっきり、凪原が僕を放課後に誘うことはなかった。

 日中でさえ、彼女が僕に声をかけることはなかったのである。。

 僕が近づこうとしても、女子の誰かが必ず楯になって、凪原の姿を隠してしまうのだった。

 さて、僕の心配事はもう一つあった。

 この「倶楽部七拾年」会則のことだ。

 凪原を部屋に入れてしまった以上、「女人禁制」を破った僕は除名を宣告されても仕方がない。

 だが、処分を告げるメールは幾日経ってもやってこなかった。

 ここで僕は、決断を迫られた。

 ……こちらから連絡するや、せざるや。


 僕は思い切って「サキ」にメールを返信し、部屋で待つと告げた。

 指定した時間になっても誰ひとりやってこなかったが、それは覚悟していたことだった。

 僕は、部屋の鍵を畳の上に置いて待つことにした。

 事故とはいえ、犯してしまったことには違いない自分の過ちを告げ、『透明ロボットクックロビン』のDVDを返した上で、自ら身を引くつもりだったのだ。

 やがて、あらかじめ点けてあった裸電球の明かりがじんわりと部屋の中を満たし始めた頃、部屋のドアが乱暴に開かれた。

 その態度からして、「サキ」ではなく、たぶん筋肉隆々の無口男「ヨウイチ」だろうと思ってそちらを見れば、見覚えのないダウンジャケット姿の男が部屋を見まわしていた。

 紙をワックスで立て、短く刈った側頭部には裸電球のほの赤い光にも目立つ模様が、さらに白く刈り取られている。

 見ただけでヤンキーと分かる男は、ガムをくちゃくちゃやりながら聞いてきた。

「ナバケイってのいるか」

「何ですか、それ」

 怒らせないようになるべく下手に出ておずおずと尋ねたが、ヤンキーは答えもしないで上がり込んできた。

「入るぞ」

「ちょっと待ってください」

 新しい「倶楽部七拾年」のメンバーだろうか? 伊達眼鏡もマスクもないが。

 そんな考えが頭をよぎったが、それは別の質問で打ち消された。

「ここで何してんだ」

 ビデオ見てます、としか答えようがなかった。

 だが、再生機は動いていない。 

 テレビもついていなかった。

 辞めようというときに、そんな気にはなれなかったのだ、

 だが、ヤンキーはそんなところには突っ込まず、「何の」という抑揚のない、社交辞令的な質問をしただけだった。

 クックロビン、と答えておいたが、それはマイナーな作品であるという以前に、興味のない者には何の意味もない答えだった。

 ヤンキーは「知らねえや」の一言だけ残して、挨拶もしないで部屋を出て行った。

 

 その時だ。

 何だオマエ、という声と共に、誰かが倒れる音がした。

 声には聞き覚えがあった。

 図体のでかい「ヨウイチ」だ。

 何があったのかと、ドアを少し開けて外を覗いてみると、マスクをかけた老け顔の男が、廊下に転がったままの姿勢でさっきのヤンキーに胸倉を掴まれていた。

 伊達眼鏡が廊下に転がっている。

 背格好からして、間違いなく「ヨウイチ」だ。 

 恐怖に見開かれた目は、僕を見つけたようだった。

 とっさに飛び出して、大声を上げる。

 何を言っていいか分からず、「誰か、誰か」とか叫べなかったが、それでも二つ三つのドアを開かせるだけの効果はあったようだ。

 きょろきょろと辺りを見渡すヤンキーが手を放した隙に、「ヨウイチ」は走って逃げだした。

 ヤンキーも、その後を追っていく。

 アパートの人々の視線が注がれているのに気づいてた僕は、二人の男が去った後の非常階段を慌てて駆け降りた。

 カバンの中の『透明ロボット クックロビン』をどうしたらいいのか、そんなことを考えている余裕はなかった。

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