身代わりキモオタのサスペンスな冒険

 さらに、訳のわからない話が続く。

「俺たちは、もう関わらないほうがいい。俺はお前もあいつらも知らなかったことにするし、お前も俺たちを知らなかったことにしろ」

 そう言うなり、畳の上に大粒の涙がいくつもこぼれてシミを作った。

 何かたいへんなことがあったことは察しが付くが、事情も分からないのに「はい」とは言えない。

 僕は彼女持ちの偉そうな態度を改めた。

 不細工なオタク同士という立場で、なるべく丁寧な言葉づかいで尋ねる。

「あの、さ、よくわかんないんで、その……もっと落ち着いて。何? どうした? もし、差し支えなかったら……」

「サキの指図だよ」

 吐き捨てるような口調で、声の甲高い少年の名前が出てきた。

「俺には姉貴なんかいない。お前にそう言えってメールが来たんだ。本当は、尾行されてたのはお前」

 尾行される心当たりなんかない。

 僕は一人っ子で、オタク行為は、両親も完全にサジを投げている。

 だが、そこで出てきたのは、思いがけない人物だった。

「コンビニが指示されて、お前を待たせて、マフラー着けた身体のちっちゃい女子が制服で入ってきたら、まけって言われてたんだ」

 凪原のことだ。

 でも、どうして? 

「お前に指定した時間に立ち読みしてたら、言われた通りの女子が入ってきた」

 そこで分からないことがあった。凪原が僕を尾行しているとして、コンビニの外で待ち伏せていたら?

 尋ねてみると、「ケイ」は土下座ついて謝った。

「そこんとこは謝る。来なかったら、コンビニの外を確かめてから、念のために集会所と反対方向に行くことになってた」

 もともとすっぽかされる予定だったわけだ。

 因みに、その方向は昔の遊郭があった辺りだ。

 高校生がうろついたら補導されるおそれもある。

 なるほど、凪原は絶対に近づかないだろう。

 だが、そんな僕の想像と「サキ」たちの読みは外れていた。

「入れ違いにコンビニを出たら、ついてきたんだよ。それも、10mくらいの等間隔で」

 その間隔はどうやって測ったのか、聞くのはやめた。

 遠からず近からず、といった意味だろう。

 大体、問題はそっちじゃない。

 僕にそっくりの姿を見つけて尾行しながら、凪原は声もかけなかったのだ。

 いったい、何のために?

 そこで、聞いてみた。

「どの辺までついてきたんだ」

「それは……ほら、あれだ。昔の……」

 急に口ごもって、しどろもどろに話を続けようとしながら、「ケイ」がようやく答えたのが、遊郭跡というNGワードだった。

 早い話が、風俗街である。

 これには僕もさすがに、焦って食ってかかった。

「おまえなあ!」

「仕方ないだろ!」

 つかみかかりそうになった僕だが、オタクなりに真剣なまなざしで見つめ返されて頭を冷やした。

 言い分を聞けば、凪原の追跡を振り払うための努力は尽くしたらしい。

 その思い切った行動には、難癖の余地はなかった。

「レンタル屋のアダルト系にまで入ったんだぞ。制服着て」

「一発で追い出されたんじゃないか?」

「あの子じゃなくて、俺がな……」

 普通の女子ならそこで引くだろうし、そうでなくても、店員とひと悶着起こせば、関わり合うのを避けて逃げると踏んだのだった。

「そこまでして……」

 たかが70年代の特撮やアニメを見るためだけに危険を冒すオタクがいるとは。

 僕が言葉に詰まると、「ケイ」が穏やかな口調で引き取った。

「いいんだよ、あんな所のレンタル屋、二度と行かないから」 

 それで、と僕はおずおず続きを聞いた。

 意外に骨のあったオタク少年は、咳払い一つするや、低く唸ってから話し始めた。。

「店の外に出たらもう、人、人、人でさあ」

 いわゆる帰宅ラッシュだ。遊郭の方角には駅があり、いつも今頃、その辺りは道行く人でごった返す。

 凪原をまくには絶好の環境だ。

ところが、ことはそう簡単には運ばなかったらしい。

「右行ったり左行ったり、10人くらい追い抜いてさ、もういいかなと思って振り向くと、何人か間に挟んで向こうにいるんだよ、絶対」

 探偵やっても務まるんじゃないだろうか。

「下手に横道入ると余計に見つかるからさ、とにかく人に紛れて走るしかなかったんだ」

 絶対、不審者に見えたと思う。

 何かやらかして逃げてるみたいな。

 警官なんかに職務質問されたら完全にアウトだったろう。

 僕にとっても。

 よう、と肩なんか叩かれて、知り合い面して顔見られて、後で「なんでマスクして眼鏡かけて帰るの?」なんて聞かれた日には……。

「仕方ないから、思い切って入ったんだ。ほら……あの……」

 話が元に戻ってきた。

 遊郭跡だ。

 つまり風俗街。

 レンタル屋のAVコーナーと違って、つまみ出す店員はいない。

 いるのは、ヤバいビデオとかヤバいオモチャとか売る店の呼び込みとか、ヤバい薬の売人とか。

 女子相手なら、薬にヤバい撮影がセットでついてくる。

 とにかく関わったら人生が終わる類の連中だ。

 凪原もバカではない。

 自分の将来を考えたら足を踏み入れたりはしないだろう。

 普通に考えたら。

「それで?」

 僕は先を聞いた。

 凪原がそこで帰ったなら問題なし。

 帰らなかったとしても、不謹慎な話だが、それはそれで正直嬉しかった。

 そこまでして追ってきてくれるのだから。

 事態は、嬉しくも僕が心配した方だった。

「走って通り抜けようと思ったんだけど、途中で引き返したんだ。振り向いたら、誰もいなかったから」

 それは帰ったってことじゃないんだろうか。

 いや、あるいは……。

 そこで起こっていたのは、さらに心配していた事態だった。

「悲鳴が聞こえたんで駆けつけたら、あの子がデカいのに囲まれててさ」

 凪原に比べたらたいていの男はデカい!

 僕や「ケイ」の背が低いのだ。

 ちょっと太ってて。

「まだ5時台なのに、あいつら酔ってる感じだった。なんかチャラチャラつけて破れた服着てる感じの」

 そんなところに、女子が制服着て行ったら、商売していると思われても仕方がない!

 凪原は頭よくてあの性格だから、いやらしい言葉でからかわれても冷たくあしらったのだ、たぶん。

 それが男たちの怒りか、あるいは欲望に火をつけたのだろう。

「なんてところに逃げ込んだんだよ!」

 さっきまでは涙ぐましささえ感じた努力も、ことココに至っては許しがたい落ち度にしか思えなかった。

 玄関に転げ落とすくらいの勢いで掴みかかったが、「ケイ」は物凄い勢いで抵抗した。

 逆に僕が突き飛ばされて、畳の上に転がされたくらいだ。

 立ち上がって僕を見下ろしている顔は、暗い電球の下でも分かるくらい紅潮していた。

 目の周りや頬の青痣が、くっきりと見えた。

 あ、と思ったときには、靴を履く「ケイ」の後姿しか見えなかった。

「俺、ここ辞めるわ」

 言葉をかける間もなく、ドアが乱暴に閉じられた。

 

 そして次の朝。

 学校の門に着いたら、凪原が待っていた。

 僕を見かけるなり、「ちょっと」と囁いて僕の腕を掴んだ。

 登校する生徒が向かう中央玄関から外れた、校舎の陰まで引きずって行かれた。

 マフラーに半分埋まった顔をうつむけて、聞き取りにくい声で「ありがと」とつぶやく。

 事情はだいたい察していたが、とぼけて「何のこと?」と聞いてみた。

 顔を上げた凪原の目元が笑っていた。

「優しいんだね。怪我はない?」

「あのくらい、なんとも」

 怪我なんかあるわけがない。

 凪原を守って男たちと大喧嘩したのは、僕と同じオタクの「ケイ」なのだ。

 違うところは、たった一つ。

 そんな思いをしてまで、僕は70年代アニメや特撮を鑑賞する仲間たちを守れるだろうか?

 昨日、そこに思い至らなかった僕が、そこまでさせる「倶楽部七拾年」が見限られたとしても、それは仕方のないことだった。

さて、そこで問題も一つ。

 僕に感謝して微笑んでいる凪原。

 ……真実を告げるや、告げざるや。

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