オタク仲間か美少女か

 そんな日がしばらく続いて、僕はちょっといい気になっていた。

 案外イケるんじゃないか、などと思い始めたのだ。 

 それまでは、女子からは問題外の存在だと思っていたし、僕も別に女子とかかわりたいとは思っていなかった。

だが、信じられないことだけど、別世界に住んでいると思っていた凪原が僕の世界へと入り込んできたのだ。

 最初のうちはどう声をかけていいか分からず、凪原が話しかけてくるのを待っていた。

 そのうち、僕は自分から彼女を趣味の場所に誘うようになっていた。

 凪原も興味津々といった様子で応じてくれた。

 それまで通り、「倶楽部七拾年」との付き合いは続いていた。

 僕は必要に応じて、かなり気軽に断ることができるようになっていた。

 70年代SF特撮と、現代の美少女。

 僕は幸福の絶頂にいた。

 

 ところが、集会が予定されたある日のこと。

 放課後の教室へ、真坂が『透明ロボットクックロビン』入手の情報を告げに来た。

ついに、来た。

 多次元世界を渡り歩いてきた主人公が、守る義理もない「地球」の人々のため、宇宙の彼方から封印を解いてやってくる邪神の手先に立ち向かうSF特撮。

 空間転移と光学迷彩で姿を消すことのできる巨大ロボットの描写が独特なのだ。

 主人公視点のカメラワークで描かれる戦闘シーンや、亜空間から見た世界の精巧なミニチュアを、魚眼レンズで撮る手法は、今でも真似ようとしてしくじるクリエイターが多い。

 思わずガッツポーズを取った僕に、「なになになに」と凪原が近寄ってくる。

 実はね、と答えそうになったところで、凪原の陰になった真坂が、口に指を当てて首を振った。

 そうなのだ。

 最大のタブー、「女人禁制」。

 それじゃ、と逃げ出す真坂をキッと睨んだ凪原が、満面の笑顔で僕に向き直った。

「また一緒にバルビュス行かない?」

 一瞬、言葉に詰まった。

 とっさに聞き返す。

「補習は?」

 ふふん、と胸を張って見せる。

 小柄な体で。

 結構、出るとこ出てる感じがした。

 慌てて視線をそらした僕の耳に、自信たっぷりにきっぱりと言い切る声が聞こえた。

「さぼる」

 進学補習をさぼるのは、大きな目標なんかハナっからない僕にもまずいこということは分かっていた。

 だから、そこまで言われてしまうと僕もある程度は決断を迫られる。

 ……行くや、行かざるや。

 凪原の目を見ないで、僕は答えた。

「ごめん、今日は」

 集会のパートナーは、 筋肉隆々の無口男「ヨウイチ」だった。

 もともと目つきが悪い上に、畳の上に胡坐をかき、逞しい身体を乗り出してアニメだの特撮だのをじっと見つめる姿には、独特の凄みがある。

 しかも頑固だ。

 約束の時間を1分でも過ぎたら、アパートのカギを締めて帰ってしまう。

 だが、たとえそうでも、凪原の誘いを断ってまで『透明ロボットクックロビン』が見たかったわけではない。

 わざわざ補習をさぼってまで誘ってもらうのは、気が引けたのだ。

 予想外の答えだったのだろう、急に低く凄みのあるものになった声が返ってきた。

「どこへ行くの?」

 何てカンが鋭いんだろう。

 怪しまれてはいけないと、僕は努めて冷静に凪原へ向き直った。

 顔は笑っているが、目は笑っていない。

「帰るんだよ」

 声が裏返っていた。自分でも、あからさまに怪しいと分かる。

 凪原が小首をかしげて聞いた。

「どうして帰らなくちゃいけないの?」

 めいっぱい明るく問いかける声には、むしろ荒れ狂う怒りが感じられた。

 僕はとっさに答えた。

「アニメの再放送録画しに」

 言ってしまってから、しまったと思った。

 これはハードディスクがなかった80年代の言い訳だ。

 当時のアニメファンは、CMカットのため、再放送の時間に合わせて学校や職場からすっ飛んで帰宅したのだ。

「いつの時代よ」

 案の定、凪原はすぐにと突っ込んできた。

 大学の志望ランクが高いだけはある。

 僕は必死でつじつまを合わせた。

「CS有料放送撮ってるハードがすぐいっぱいになるんだ」

 自分でも、なんだそれはと思う。

 凪原もそこを突いてくるかと身構えていたが、見事に肩透かしを食らった。

「コピー何回?」

 それとこれとどういう関係があるんだろう。

 ここは考えどころだ。 

 もし間違えれば、後ろめたい思いをすることになる。 

 僕はピンチに陥ったブルース・ウィリスのように、頭の中で繰り返した。

 どうするどうするどうする雄偉、考えろ考えろ考えろ……。

「1回」

 シンプルイズベスト。

 複数回あると答えたら、1回ぐらいどうこうと反撃されるおそれがある。

 だが、それが罠だった。

「それ私に回して」

 にやりと、勝ち誇ったように片頬を吊り上げた凪原。

 何回と答えようが、結果は同じだったのだ。

 ないものを、渡せるわけがない。

 僕自身に嘘を認めさせるためのトリックだったのだ。

 仕方がない。

「じゃあ、明日ってことで」

 言い切ると、凪原は諦めのため息一つついて苦笑した。

 背中を向けて、自分の席に戻りながら手を振ってみせる。

 かくして彼女は補習に拘束され、僕は解放されたわけだ。

 かけがえのない録画のストック1回分を消費する口惜しさを噛みしめながら、僕は小走りに教室を出た。

 時計を見ると、意外に時間が経っている。

 凪原が補習に出ることを決めた以上、成し遂げるべきはたった一つ。

 探し求めた『透明ロボットクックロビン』を観ることだ。

 急がないと、「ヨウイチ」はアパートの鍵を閉めて帰ってしまう。

 

 そのアパートは、学校から30分ほど歩いたところにある。

 目印は、住宅街をしばらく歩くと見えてくる、小さな古ぼけた定食屋だ。

 僕は一度も入ったことはないが、微妙に傾いだ瓦屋根の下に薄汚れたショーウィンドウめいたものがあって、そこに丼が5つ6つ並んでいる。

 ときどき、割烹着姿のお婆さんが店の前を掃除していたりもする。

 その向かいには文房具屋とコインランドリー、閉鎖された自動車修理工場がある。

 さらに生垣のある古い平屋の角を曲がると、くすんだ色のブロック塀が続いている。

 それが途切れたところで、庭というほどのこともない雑草だらけの空間を抜けると、表面がぼろぼろにささくれだった扉がある。

 すぐ隣の、錆びついた鉄製の非常階段を登った二階の一番端、北向きの部屋。 

 そこが、「倶楽部七拾年」だった。

 慌ててドアノブを回したが、時すでに遅し。鍵がかかっていた。

 僕は、その日二度目の選択を迫られることとなったわけである。

 ……事実を伝えるや、伝えざるや。

 結局、僕は「ヨウイチ」にメールで謝った。

 事情を伝えると、部屋でどれほど待たされたかも分からないのに、寛大な許しの返信があった。

 そして翌日、僕は幸平から「よろしく」と部屋のカギを渡されることとなったわけである。

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