第520話 枝葉と新芽②

「――ザーラッ!」


 対峙する森の中で。

 真っ先に動いたのはエリスだった。

 身構えるリーゼを無視して、馬の仮面に刺突を繰り出す!


 ――ギンッ!

 突き出された短剣の切っ先は鋼のような硬度の腕に弾かれた。


「服の下に籠手を仕込んでるわ!」


 エリスはザーラにも情報が伝わるように叫ぶ!


「ザーラ! こいつは強い! 私が食い止めるから!」


 そう言って、エリスは次々と斬撃を繰り出した。

 馬の仮面――メズは左右の腕を動かしてそれらを弾いた。


「ザーラはその子を確保して!」


「――させぬ!」


 メズは拳を突き出した!

 エリスは横に体をずらして拳を回避した。

 彼女の長い髪が、拳圧で弾かれるように揺れた。


「くッ!」と呻きながらも、再び斬撃を繰り出すエリス。

 息もつかせない連撃でこの場から引き離そうとする。

 メズは後退しつつも、両の拳を構えて迎え撃った。

 襲い来る刃を弾き、拳を撃ち出す。

 剛拳を回避しながら、エリスは叫んだ。


「泣き言でごめん! こいつ本当に強い! 長くは持たないから!」


「泣き言なんかじゃないさ。ありがとよ。エリス!」


 ――ゴンッ!

 ザーラは胸の前で拳同士をぶつけた。

 女獅子の眼差しはリーゼを睨み据えている。

 リーゼもまた短剣を構えて、ザーラを見据えていた。


(確かにこの組み合わせしかないね)


 あの馬仮面は強い。

 恐らくは全力・・のザーラと互角と見ていいだろう。

 そして、この少女の実力はエリスとほぼ互角だ。

 技量的はこの少女――リーゼの方が上。戦闘経験値においてはエリスに分がある。

 結果的に互角の勝負になるとみた。

 そうなると、戦況は拮抗することになる。


 それはマズイ。

 馬車の方の連中にはフェイがついている。

 山賊どもが全滅したとしても、しばらくは抑えてくれるだろう。

 だが、それでもここで無駄に時間を潰すのは悪手だ。馬車の連中を抑えても、さっきの牛仮面が戻って来る可能性もあった。


(エリスが馬男を抑える間にあたしがこいつを捕らえる。こいつを人質にして馬男を黙らせて撤退する。それがベストさね)


 それをエリスは瞬時に判断したのだ。

 やはり、エリスを選んで正解だったと確信する。

 頼れる副官としても、夜の愛らしい相手にしてもだ。

 いずれにせよ、ここからは時間との勝負だった。


(まずは速攻でこの子を黙らせるとするかね)


 ザーラは重心を低くした。

 と、その時。


(――ッ!)


 視界の端に信号弾が映ったのだ。

 リーゼは信号弾を背にしていたため、気付いていない。

 あれはフェイからの連絡だった。


(撤退の信号弾。しかも黄色かい)


 黄色は今のアジトを捨てての撤退。

 予備のアジトにて合流するというものだ。

 ザーラとフェイ、エリスのみで取り決めている合図だった。

 ということは、山賊どもはここで切り捨てるという意味でもある。


(……どうやらフェイの方もヤバい状況みたいだね)


 ――公爵令嬢一行。

 標的としては大当たりではあるが、どうにも一筋縄ではいかないようだ。

 ザーラは考える。

 フェイの判断はいつだって正しい。

 自分の男であることも差し引いても、全幅の信頼を寄せている。

 そんな彼が指示した以上、撤退はする。

 だが、このまま大人しく退かせてくれるとも思えない。


(そうさね……)


 表情は変えずに、ザーラはリーゼの顔を見つめた。


(ここは一つ賭けに出るかね)


 この少女はザーラの琴線に触れる相手だ。

 目的を達する道具としてもいいが、凛々しく綺麗な女は大好きなのだ。目的を別にしても手に入れたいと思っていた。

 だが、それは『絶対に』とまでとは思わない。

 別に標的を変えて仕切り直すことも選択肢としてあるのだ。


(失敗したら惜しいとは思うけど、この賭けも悪くないね)


 ザーラはそう判断した。

 そして、


「悪いがお嬢さま」


 ザーラは、ギシリと拳を固めた。


「少し痛い目に遭ってもらうよ」


 そう宣言して、リーゼに向かって加速する!

 リーゼも駆け出した。

 やはり勇敢な娘だ。

 ザーラは鉄拳を繰り出した。リーゼはそれの攻撃を、重心を低くして回避、そのまま短剣を薙ぐが、ザーラは横に跳躍してかわした。

 そしてすぐさま反撃。

 両の拳、両足、さらには頭突きも。

 素手のザーラは全身を駆使して猛攻に入った。


「――クッ!」


 対するリーゼは防戦だ。

 すべてのスペックでザーラの方が上回っていた。

 むしろ、リーゼはよく凌いでいた。


(大したもんだよ。けど、頃合いだね)


 拳を繰り出しながら、ザーラは双眸を細める。

 そろそろ相手はこの速度に慣れ始める頃だ。


(――悪いね! 少しだけ使うよ! フェイ!)


 心の中で、いつも自分を心配してくれる男に詫びを入れる。

 直後、ザーラの眼帯を中心に彼女の顔に血管が浮かび上がる。

 不気味なことに、わずかに緑がかった血管だ。

 そこからザーラは一気に加速した。

 これまでは比較にならない人間離れした速さだ。


「―――な」


 リーゼは目を剥いた。

 そして放たれるザーラの水平蹴り!

 リーゼは咄嗟に短剣を盾に蹴りを受け止めた。ゾッとするような重さ。自身も後ろに跳躍することで衝撃を逃した。しかし、ほとんど吹き飛ばされる勢いだ。


「本当に大したもんだよ」


 ザーラは不敵に笑う。


「やっぱりあんたは欲しいねえ」


 そう告げて、どうにか着地したリーゼに、ザーラは即座に追いついた。

 容赦なく拳を突き出す!

 リーゼは再び短剣を盾にしようとする――が、


(―――え)


 息を呑む。

 ザーラが直前で拳を開いたのだ。

 掌の中には小瓶があった。

 それがリーゼの目前で解き放たれて、無色の液体が零れ始めている。


(――毒ッ!)


 リーゼはそう判断する。

 このままでは目をやられる。しかし、もう回避できる距離ではなかった。

 そこでリーゼは前へと踏み込んだ。

 液体を自分から頬に浴びた。これで目を潰されることだけは回避する。

 次いで、短剣を薙いだ。狙いはザーラの胴だ。ザーラは少し驚いた顔をしつつも、やはり人間離れした反応で後方に跳躍し、短剣を回避した。


「見事な決断力だね。ますます気に入ったよ――と」


 その時、ザーラに向かって何か大きな物体が飛び込んできた。

 ザーラはそれを受け止める。

 それは逆さになったエリスだった。息はしているが、完全に目を回していた。


「ご、ごめん。もう限界……」


 逆さまにザーラに抱きかかえられながら、エリスは言う。

 ザーラは苦笑を浮かべて、


「気にすんな。よく持たせてくれたよ」


 言って、頭を後ろにしてエリスを肩に担ぎ上げる。

 同時にメズがその場に現れた。


「――リーゼさま! ご無事でしょうかッ!」


 メズはすぐさまリーゼの元に駆け寄った。

 リーゼは「大丈夫ですわ」と答えようとするが、強い眩暈を起こしてふらついた。


「ッ! リーゼさまッ!」


 メズは、そんな彼女を支えた。

 リーゼの呼吸は徐々に荒くなり、発汗が激しくなっていた。

 メズはザーラを睨みつけた。


「おのれッ! 貴様ッ! リーゼさまに毒を!」


「ああ~。安心しな。馬づらさんよ」


 ザーラはカカっと笑った。


「確かに毒だけど弱毒性・・・さ。もともとその子を攫うことがあたしの目的だったからね。殺すつもりのクスリなんか使わないよ。けどさ」


 そこで双眸を細める。


三時間ぐらいは・・・・・・・安静にさせた方がいい・・・・・・・・・・。いくら弱毒といっても毒は毒。下手に動かすと結構悪化する可能性もあるからね。ああ、それと副反応でしばらく発熱も起こすから、まあ、付きっ・・・切りで・・・見てあげることさね・・・・・・・・・。さて」


 ザーラは、パタパタと片手を振った。


「その子をGETできなかったのは残念だけど、代わりなら探せばいるしね。その子は諦めて退かせてもらうことにするよ。まあ、その子のことはお大事にね」


「……貴様」


 メズは仮面の下でギリと歯を鳴らした。

 リーゼの様子がおかしいのは明らかだ。これ以上、戦闘が長引けば、リーゼの体調がさらに悪化することは容易に想像できる。


「そんじゃあ、もう会うこともないだろうけど、じゃあね」


 そう告げて、ザーラはエリスを抱えて走り出した。

 メズには追うことは出来なかった。

 ただ歯だけを強く軋ませている。

 ザーラはそのまま走り続けた。

 瞬く間に、リーゼたちの姿を置いてけぼりにする。


「……ザーラ」


 ザーラの肩の上でエリスが力なく呟いた。


「……ごめん。私、役に立てなかったわ……」


「何言ってんだい!」


 森の中を走りながら、ザーラは笑う。


「むしろ想像以上だったよ! 流石はあたしのエリス! あんたにはこの後、ちゃんとご褒美をあげなくちゃね!」


 言って、パァンっとエリスのお尻を叩いた。

 エリスは「ひゃんっ!?」と叫んだ後、赤くなって何も言わなくなった。


(さて。仕込みは済んだ)


 ザーラは思う。

 後は賭けに勝てるかだ。

 三時間後。果たしてどうなっているのか……。


(出来ればもう一度会いたいね)


 リーゼ=レイハート。

 美貌も、実力も、肩書きも。

 どれをとっても申し分のない最高の人材だった。

 我ながら、自分の引きの強さには感服する。

 折角、これほどの人材を引き当てたのだから、やはり手に入れたいところだった。


(だから頑張っておくれよ)


 ザーラは一度だけ後方に目をやった。


(あんたが血塗れになってもあたしは気にしないからさ。あたしの可愛いリーゼ。どうかうまい具合に連中を皆殺しにしておくれよ)



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