第514話 放浪の騎士、再び②

(……な、何よ、これ……)


 時間は少し遡る。

 エリスはその光景に言葉を失っていた。

 二十人以上の武器を持つ荒くれ者に囲まれた状況。

 投降か逃亡を図るかと思っていたが、レイハート嬢たちが選んだのは戦闘だった。

 その時はエリスも内心で嘆息していた。

 状況が読めないところはまだ子供だと言える。

 いや、騎士候補生として悪漢に屈したくないという矜持か。


 いずれにせよ、後輩たちは選択を誤った。痛い目を見ることになる。

 同じ学校の先輩としては流石に心が痛んだが、それもすぐに振り払う。

 何故なら、自分はザーラと共に生きることを選んだからだ。


 ザーラレット=レガシィ。

 彼女は悪人だ。

 山賊どもの頭目をしているのだから、それは疑いようもない。

 エリスの生き方とは相いられない人物である。

 けれども、


(…………)


 エリスは微かに頬を朱に染めた。

 ザーラには恩義・・がある。

 山賊に囚われて、それでも今まで無事だったのは彼女のおかげ・・・・・・だ。

 だからこそ、彼女に対してだけは嫌悪感がなかった。

 山賊に囚われたのは彼女と戦って負けたのが要因ではあるが、それも自分が彼女よりも弱かったせいだと割り切っていた。


 そして今は――。


(…………)


 そっと片手を胸元に当てる。

 思い出すのは、昨夜のザーラの笑顔ばかりだ。

 記憶は曖昧だが、自分は昨夜、とうとう山賊どもの手に落ちかけていたらしい。

 ザーラの留守中に山賊どもが暴走したとのことだ。


 朦朧とした意識。全身に力も入らない。どうやら薬を盛られたようだ。

 しかし、運よくザーラが早く帰還してエリスを救出してくれたということだ。

 ザーラはエリスを自室に連れて行き、久しぶりに湯浴みをさせてくれた。

 ザーラ自身も裸になって髪を梳かしてくれて、まだ動けないエリスの身体を湯で濡らしたタオルで丁寧に拭いてくれた。

 そして、


『……あんたが好きなんだ。あんたが欲しい』


 力強い腕でエリスを抱きしめて、ザーラはそう言った。

 それは初めての経験だった。


 愛を告げられたことも。

 ましてやそれが同性であることも。


 エリスは困惑した。

 けれど、彼女の腕を振り払うことは出来なかった。

 躊躇いつつも、こくんと頷いてエリスが彼女のことを受け入れた時。

 ザーラは本当に嬉しそうに笑った。

 背骨がへし折られるのではないかと思うぐらい強く抱きしめてきた。

 まあ、その後の愛の営みも激しすぎて壊されるかと思ったが。

 ザーラが少し意地悪なのもその夜に知った。


(……私は)


 なんてことはない。

 結局のところ、愛した人が悪人で。

 たまたま女性であったというだけのことだ。

 ザーラは、エリスにとって誰よりも何よりも大切・・だった。

 だから、昨夜ザーラの腕の中で、


『実はあたしには自分の兵団兼ハーレムがあんだよ。一人を除いて、全員あたしが口説き落とした女ばかりさ。あの子たちはいずれエリスに紹介するからね。あんたにはあの子たちを率いてあたしの右腕になって欲しいんだ』


 などととんでもないことを言われても、嫌いにはなれなかった。

 その後に、彼女が考えている計画を聞いてもだ。

 あの豪放な笑顔は本当にずるいと思う。


(本当に仕方のない人。けれど)


 ちらりと、ザーラの方に目をやった。


(ザーラのためなら、私は悪で構わない)


 エリスは覚悟していた。

 忠義は捨てた。騎士の誇りも不要だ。後輩を打ちのめすことも躊躇わない。

 そう覚悟していた……のだが、


「……なあ、エリス」


 不意にザーラが声をかけてくる。

 不敵な笑みこそ崩してなかったが、彼女が緊張していることは分かった。


「ありゃあ本当に学生かい? 今の学生ってあんなレベルなのかい?」


「……私に聞かれても分からないわよ」


 エリスはそう返した。

 戦闘が開始して、山賊たちは一斉に躍りかかった。

 雄たけびというよりも歓喜の叫びを上げる男たちは本当に獣のようだった。

 それだけレイハート将軍のご息女が極上の獲物に見えるのだろう。

 それは分かる。あのご令嬢は本当に綺麗だった。

 黄金色にも見える蜂蜜色の髪。この状況であっても凛と咲き誇る立ち姿。圧倒的な美貌も相まって、彼女が立つ場所には光が差し込んでいるようにさえ見える。


 しかし、獣どもにはその後光も意味を成さないだろう。

 山賊どもの多くは彼女の方に向かっていた。


(彼女には重要な役割がある。いざとなったら私が保護しないと)


 ザーラの計画には、レイハート嬢が必要だった。

 騎士候補生である以上、公爵令嬢であっても武芸の心得はあるはず。

 見たところ、それがお稽古レベルでないことも分かる。

 山賊ども相手でも、しばらくは持ち堪えるだろう。

 体力が尽きかける頃合いを見計らって、エリスが出るつもりだった。

 だがしかし、


 ――ガッ!


(……え?)


 エリスは目を瞠った。

 一番手で駆けていた男が仰け反って吹き飛ばされたのだ。

 公爵令嬢が全身をしならせたような蹴りを以て、男のあごを射抜いたのである。

 その後も、二番手、三番手を蹴り倒す。さらに自分を両腕で抱えこもうとした男の両肩を掴んで上に跳躍。弧を描いて反転すると、男の遥か背後で身を低くして着地した。


 山賊どもも、エリスさえも唖然とする。

 深窓のご令嬢が、いきなり女豹のような俊敏な戦士に変わったのである。

 だが、驚愕すべきはご令嬢の方ではなかった。

 比較にならないほど警戒すべき相手がもう一人いたのだ。


 ――ズダンッ!

 山賊の一人が頭から地面に叩き伏せられた。

 エリスはそちらを見やり、背筋に悪寒が奔った。


(あの子……一体何をしてるの?)


 愕然とした表情を見せるエリス。

 それはもう一人の騎士候補生。黒髪の少年だ。

 直前の話をちらりと聞いたところ、どうやら公爵令嬢の恋人のようだ。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 あの少年の戦い方は常識から逸脱してた。


「う、うわあああッ!」


 絶叫を上げて振り下ろした山賊の短剣。それに対し、少年は半身に体をずらすだけで刃を回避。すれ違いざまにトンと山賊の短剣を握る手に触れた。

 途端、山賊は体重が数倍になったかのように顔面から地面に突っ込むのだ。


 黒髪の少年は、山賊の群れの中を無造作に歩く。

 山賊どもは恐怖から次々と短剣を突き出すが、結果はどれも同じだった。いや、中には逆に体重がなくなったかのように宙に飛んでいく者もいた。


「……とんでもないね。あれは……」


 ザーラが呻く。


「昔、師匠ジジイに同じ目に遭わされたことがあるよ。相手の重心、すべての力の流れを掌握すれば出来るって師匠ジジイは言ってたけど、あいつ、まだ学生なんだろ?」


 小さく嘆息した。


「完全に見誤ったよ。かなり強いどころの話じゃない。公爵令嬢の護衛ともなるとあんな怪物が就くんだねェ」


「……ザーラ」


 エリスはザーラを見やる。


「流石にあれはまずいわ。どうすればああなるのか全く分からないけど、あれの相手は生身じゃ絶対無理よ。山賊たちが全滅する前に鎧機兵を喚び出すわよ」


「いや。それはやめた方がいいね」


 腕を組んでザーラは言う。


「あの坊やもお嬢ちゃんもずっとこっちを警戒してる。あたしらが鎧機兵を喚び出そうとしたら、すぐさまこっちに突っ込んで来るよ」


 こっそり数人ぐらいは待機させとくべきだったかね。

 続けて、そう呟く。


「なら、どうするの?」


 エリスは焦りを抱いた表情で尋ねた。


「逃げるの? いざとなったら三十秒ぐらいは稼いでみせるけど」


「それも却下だね。つうか、あたしがあんたを捨て駒にする前提で話すなよ」


 ザーラは微苦笑を浮かべた。それから、どんどん仲間が減っていく訳も分からない事態に、半狂乱で暴れる山賊どもを見やり、


「まあ、あいつらはここでもう切り捨てるけどさ。けど、あんたは別さ。大丈夫。あたしにはまだ秘策があるから」


「……そう」


 エリスは再び騎士候補生たちに目をやった。

 少年少女の一挙手一投足を警戒する。


「だったら私はあなたを信じるだけよ。ザーラ」


「ん。あんがとさ。エリス」


 ザーラは腕を組んだまま、不敵に口角を上げた。

 そうして、ちらりと森の奥に視線を向けて、


(確かにあたしは雑な女さ。だからと言って、流石にあんたはあたしを過保護に扱いすぎるよって思ってたんだけどねえ……)


 内心で苦笑を浮かべた。

 そして、


(けど、あんがと。やっぱり大好きだよ。フェイ)


 心の中でそう告げた。


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