幕間二 アナタダケハ、ワスレナイ

第512話 幕間二 アナタダケハ、ワスレナイ

 ――エリス=シエロ。

 彼女は王都パドロで生まれた女性である。

 爵位も持たない下級貴族の出自ではあるが文武に優れ、騎士学校の卒業時は第五席という好成績を収めていた。

 卒業後はエリーズ国騎士団に入団し、若干二十二歳で中級騎士の称号を得た。

 若手の中では、かの『氷結の騎士』――今やアシュレイ将軍の懐刀とも呼ばれるイザベラ=スナイプスに次ぐ才能と噂されていた。


 だからこそ、エリスは自分の実力に自信があった。

 流石にあのイザベラに敵うとは思っていない。

 彼女とは騎士学校で同級生だった。その別格の力量はよく知っている。

 あれこそが天才。あれに比べると自分は精々秀才だ。

 だが、それでも他の同級生――同期相手になら劣っているとは思わない。


 しかしながら、同期の中にはすでに上級騎士になった者もいる。

 自分よりもそこまで優れているとは思えない者がだ。

 その理由も分かる。

 部隊長クラスの騎士たちの多くは出自を重んじる傾向があるからだ。

 そのため、エリスは中級騎士の位を得ても、未だに下級騎士が主に担う街道の護衛任務に就かされることが多かった。


 これには憤懣を感じずにはいられない。

 エリスは常々思っていた。

 やはり上級だ。上級騎士の資格が早く欲しい。

 上級騎士になれば四将軍の目にも届く。四将軍は部隊長たちとは違った。いずれの将軍閣下も出自には拘らない実力主義者で知られていた。


 実際にイザベラなど、あの若さでアシュレイ将軍の副官に任命されている。

 他の同期たちも、早々と上級騎士となった、第二席、第三席、第七席は各将軍より大役を任されることが多かった。いずれは側近になるだろう。


 早く自分も同じステージに立ちたい。

 エリスはそんな想いをずっと抱えていた。


 そんなある日。

 とある貴族の護衛に就いた日のことだった。

 あの日、サザンに続く街道にてエリスたちは山賊に襲撃された。

 馬車は迷いもなく逃走した。そんな中、エリスはあえて殿しんがりを担った。

 山賊など所詮ゴロツキ、雑魚ばかりだ。いっそ一人で掃討してしまえば少しぐらいは成果の足しになるかと思ったのだ。


 だが、雑魚の中でたった一人だけ、怪物がいたのである。

 あの女のせいでエリスは敗北した。囚われの身になったのだ。

 そこからはまさに悪夢である。

 獣のように檻に閉じ込められ、獣のような男どもの目に晒される。

 同じように捕まった女たちは時折連れ出されて男どもの慰みモノにされる。


 その魔の手はエリスにも迫った。

 まだその手の経験もなかったこともあって嫌悪感は凄まじい。

 薄汚い手で触れようとする男のあごを渾身の力で蹴り抜いてやった。

 エリスは他の虜囚の女たちに一目置かれるようになった。


 だが、男どもはどこまでも獣だった。

 虜囚の女全員が大広場に連れ出されて、狩りに興じることもあった。

 そんな中でもエリスは必死に抗った。

 悪夢のような日々であっても心折れることなく、一ヶ月以上も戦い続けたのだ。


 ――そう。戦い続けていたのだ。



(……私、は……)


 意識が朦朧とする。

 エリスは今、横たわって小さく丸まっていた。

 定まらない視界の先には鉄格子が見える。


(……私は、あの女に連れ出されて……)


 記憶にも靄がかかっていた。

 あの憎き女の手で洞窟内の檻から連れ出されたことは憶えている。

 首輪も手錠もされたままだ。

 その後、屋外に出て別の檻に放り込まれ、そうして……。


(……顔に、何かをかけられて……)


 そこで意識が混濁して……。


『そろそろ二時間だな』


 近くから声が聞こえる。初めて聞く男の声だ。


『女が目覚めるぞ。ザーラ。構えた方がいい』


『構えるって、こいつは檻の中だよ?』


 女の声も聞こえる。あの怪物のような女の声だ。

 エリスはゆっくりと自分の体を起こした。

 そして前を見やる。

 そこには黒衣を纏う顔を隠した男と、あの女の鎧機兵の姿があった。

 途端、ぞわり、と。

 かつて一度も感じたことのない悪寒を覚えた。

 鳥肌が立ち、全身の毛が逆立つような悪寒だった。


 ――ガチガチガチガチガチッ!

 歯が鳴る。


 檻越しに立つ男が。

 あの女が乗っていると感じる鎧機兵が。


 恐ろしくて。

 恐ろしくて。

 恐ろしくて。


(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される――)


 頭の中が黒く塗り潰される。

 そして、


(殺さないと)


 歯を鳴らしながら、ギロリとエリスは鎧機兵を見上げた。


(殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと殺さないと――)


 ――殺さないと殺されるッ!

 絶叫と共に、無造作に手錠の鎖を引きちぎる。


『来るぞ』


 黒衣の男が地を蹴った。人間離れした跳躍で大樹の枝に着地する。


『リミッターが外れた生存本能のみの化け物が』


 そう告げた。

 エリスが檻を掴み、素手で鉄格子をへし折ったのはその直後だった。

 そうして――……。



「……こいつは一体なんなのさ」


 愛機の操縦席の淵に足をかけてザーラは問う。

 愛機の右腕は掌を叩きつけるようにして、一人の女を抑え込んでいた。

 女は絶叫を上げて必死にもがいている。

 そこにはまるで理性はなかった。

 ザーラは胸部装甲を解放した愛機の様子を窺う。

 小さな損傷だらけだった。特に左肩には檻の鉄棒が深く突き刺さっていた。


「生身で鎧機兵相手にここまでするのかい? 軽く三時間は相手をさせられたよ。こんなのは聞いてなかったよ。フェイ」


 男の名を呼んで睨み据える。

 枝の上に立つ黒衣の男はフードの下で苦笑を浮かべた。


「これが副作用だ」


「……副作用?」ザーラは眉をしかめた。


「あたしは洗脳薬の調合をお願いしたはずだけど?」


「心配するな。そこは注文通りだ。だが、そのためには一度心を空にする必要があった。その手段が生存本能の解放だった」


「生存本能の解放?」


 ザーラは眉間のしわをさらに深めた。


「あたしにも分かるように言っておくれよ。あたしは馬鹿なんだから」


「努力しよう。生物として最も純粋な本能が生存本能だ。それを解放するためにはまずは限界まで追い込む必要があった」


「まだ長い。三行で」


「……『殺さなければ殺される』という強迫観念で頭の中を埋め尽くした」


「それで?」


「その状態で放置する。暴れ回るが、頭の中から余計な思考もなくなる」


「うん」


「そのまま暴走し続ければ、いずれ完全な忘我状態になる。そろそろだぞ」


 黒衣の男は鎧機兵にねじ伏せられた女に視線を向けた。

 すると、


「――――――――――――――――~~~ッッ!」


 女は声にならない声を上げた。

 その後、大きく痙攣して、ガクンと意識を失った。

 ザーラは眉をひそめて、


「なにさ? 今のは?」


「生存本能の限界。まあ、精神の断末魔のようなものだ」


 黒衣の男は地面に降り立った。


「もう大丈夫だ。鎧機兵をどけてもいいぞ」


「……マジか?」


 ザーラは胡散臭そうな顔をしつつも、抑えつけていた愛機の腕を浮かせた。

 それから黒衣の男が倒れた女に近づくのを見て、自身も愛機を降りて近づく。


「今この女の精神は一時的に忘我状態になっている」


「そうなのかい?」


 ザーラは彼女の顔を覗き込んだ。

 女は燃え尽きたように気を失っている。


「ここからが本番だ」


「えらいしんどい準備期間だったね」


 黒衣の男の台詞に、ザーラが呆れた様子でツッコむ。

 しかし、男は構わない。


「こいつを起こせ」


「いや。また暴れ出しそうで怖いんだけど?」


「大丈夫だ。もう暴れることはない」


 一拍おいて、


「今から行うのはいわゆる刷り込みだ。心が一時的に空白になった状態で、欠落した生存本能が回復する前にお前の存在を割り込ませる。そうすれば――」


 黒衣の男は双眸を細めて、倒れた女を見据えた。


「記憶や知識、人格は一切そのままに、この女にとってお前は唯一無二の存在となる。自分の命よりも大切な者にな」


「うわあ。それって洗脳どころじゃないね」


 ザーラは黒衣の男に目をやった。


「けど、確かにあたしの注文通りだね。『絶対に裏切らない』とか『身内でも違和感を覚えないように洗脳したい』とかって、我ながら無茶なお願いだと思ってたんだけど、それ以上の効果だね。うん。それでこそあたしが肌を許した十八人目の男さね。要求以上をこなしてこそ一流ってことかい」


「光栄だと言っておこう。しかし、十八人とは存外多いな」


「ははッ!」ザーラはバンバンと男の背中を叩く。


「そんなに嫉妬すんなよ! フェイ! 結局そいつらはどいつも外れだったさ。あたしが二回以上も抱かれたのはあんたと師匠ジジイだけって話さ!」


 まあ、師匠ジジイの方は数えてもいないけどね。

 そう言って、ザーラは片膝をついて女を横に抱き上げた。


「そんで起こして、どうすりゃあいいんだい?」


「まずはその女に自分の名前を名乗らせろ。それから目を合わせてお前も名乗れ。出来れば偽りのない本名がいいぞ」


「了解」


 ザーラは腕の中の女の頬を軽くはたいた。

 彼女は「……う」と呻いて、ややあって瞼をうっすらと開けた。


「起きたかい。あんたの名は?」


 実のところ、捕えてから初めてする質問だった。

 すると、彼女は、


「わ、わた、しの名は……」


 ゆっくりと唇を動かす。


「エリ、ス。エリス=シエロ……」


「へえ。いい名だね」


 ニカっと笑うザーラ。

 そして、


「エリス。あたしの名は」


 一拍おいて、今度はザーラが名乗る。


「ザーラレット。ザーラレット=レガシィだ」


「……ザーラレット。ザーラ……」


 その名を呼んで、彼女――エリスは再び気絶した。


「これで完了だ」


 淡々とした声で黒衣の男が言う。


「そうなのかい? 本番は随分とお手軽なんだね」


「三時間ほどはまだ忘我状態は続くがな。それ以降は正常に戻る。お前という命よりも大切な人間が心に刻まれてな」


 そこでふと思い出すようにあごに手をやって。


「ああ。そうだな。人間相手ならもう一つアドバイスを付け加えておこう」


 エリスを抱いたまま立ち上がって、こちらを見やるザーラに黒衣の男は告げる。


「忘我状態の間に印象的な出会いや感動的なストーリーを差し込むといいぞ」


「……はあ? どういうことだい?」


 眉をひそめるザーラ。男は肩を軽く竦めた。


「最低限の整合性が取れたストーリーでいい。例えばお前が無理を通してまで山賊どもの毒牙からそいつを庇ったとかな。それがより深く強くそいつとお前を結びつける」


「へえ~。そいつはいいことを聞いたね」


 言って、エリスを強く胸に抱き寄せる。

 エリスはまだ目覚めないが「……う」と呻いた。

 ザーラは、ぺろりと舌なめずりをして、


「なら、今夜はこいつを堪能しながら夢物語でも聞かせてやることにするさ」


「……なに?」


 フードの下で黒衣の男が眉をひそめた。

 すると、ザーラはキョトンとして、


「あれ? 言ったことなかったっけ? あたしは男も女もイケる口なのさ」


「…………」


 流石に沈黙する黒衣の男。


「男の方は、あんたみたく渋くてクールでミステリアスな感じじゃないと琴線に触れないんだけど、女の方は三桁にも届くよ。あたしがなんで山賊団なんか造って女ばっか攫ってると思ってんのさ? お気に入りを見つけるためさね。まあ、趣味もあるけど、何よりあたしの本命の・・・兵団・・に入れるためにね」


「…………」


「とは言え、最近はあんたに夢中で全然女の方は食ってなかったけどね。ふふっ、あんたは師匠ジジイ以外であたしの中の『女』を久しぶりに思い出させてくれた男だってことだよ。まあ、それはともかくさ」


 一拍おいて、ザーラはエリスを見つめて双眸を細めた。


「何のためにあたしがこいつを選んだと思っているんだい。こいつは囚われてこんなに薄汚れても、ずっと綺麗なままだ。それはもう凛々しくて綺麗でさあ……」


 そこでザーラは舌を長く伸ばして、エリスの頬を舐めた。

 次いで獰猛な笑みを見せて、


「がおー」


 縦に口を大きく開けて吠えた。


「分かるよ。あんたはまだ処女なんだろ? ああ、今夜、この子があたしの腕の中でどんな風に鳴くのか。どう甘えるのか。どんな感じにおねだりするのか。おあずけしたらどうする? 拗ねるのかい? くふ、あたしだけに見せる顔。あたしだけが知る顔。くふっ、くふふっ、ああ、楽しみで仕方がないねえ」


 くふくふっと笑う。

 黒衣の男はもうかぶりを振るしかなかった。


「……まあ、お前の趣味にまでとやかく言うつもりはないが」


 周囲を見渡す。軽度でも明らかに損傷した鎧機兵。破壊された檻。地面や木々にも被害は及んでいる。


「ここまで手間をかけて洗脳したのだ。抱き潰して無駄にするなよ」


「それは随分と酷い言い草だよ。フェイ」


 エリスを抱いてザーラは歩き出す。

 そして通りすがりに黒衣の男のフードの中を覗き込んで、


「潰す訳ないだろ。これまでだって気に入った女を潰したことなんてないよ。それにエリスはあたしの副官にもなれる器さね。優しくたっぷりと愛してやるさ」


 そこで、チュっと男の頬にキスをした。


「もちろん、あんたのことも愛してるよ。あんたはあたしの兵団の中で唯一の男さ。大好きだよ。師匠ジジイ以外のあたしのもう一人のダーリン」


 そう告げて去っていく。

 遠くから「まずは湯を沸かすかね。くふふ。余すことなく体を綺麗に拭いてやるよ」と楽しげな声が聞こえてきた。

 黒衣の男は、そんなザーラの背を一瞥して嘆息した。


「困った女だ。どこまでも自由奔放な女獅子だな」


 そう呟いて、再び周囲を見渡した。

 惨状は変わらない。

 これを人が引き起こしたなど誰が信じるだろうか。


「何がなんでも生きようとする力。これが種を存続させんとする本能か……」


 生物ならば誰もが持つ力だ。

 さらに研究すれば、何かに利用できるかもしれない。

 だがしかし。


「……生存本能か」


 黒衣の男は小さく呟いた。


「一代限りの存在。次代を残せない私には、きっとこれほどの力はないのだろうな」


 その声は夜の森に吹く風と共に消えた。



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