第460話 黒意の騎士②
――焔魔堂の御子と、聖アルシエド王国の騎士。
コウタとホランの二人は、武舞台となった中庭にて対峙していた。
「では」
焔魔堂の一同の中から一人の人物が現れる。
ライガ=ムラサメである。
「不肖ながら、立会人は、このライガ=ムラサメが務めさせていただきます。宜しいでしょうか。御子さま」
「あ。はい。よろしくお願いします」
と、答えるコウタ。
ライガは「は。確と承りました」と言って頭を垂れると、王国の一同――その最前席に座るエルの方にも視線を向けた。
「王女殿下も宜しいでしょうか」
「ああ。頼む」
と、エルも頷いて承諾する。
騎士たち――特に親衛隊の面々は少し不満そうな顔だったが、殿下が承諾されたので反論を述べるような者はいなかった。
「お前も不満はないな。ホラン」
「……は」
エルがそう尋ねると、ホランはそう答えた。
やはり声に覇気がないような気がするが、エルは「分かった」と首肯した。
それを確認してからライガは、
「では、御子さま」
視線を主君――コウタへと向けた。
コウタも頷くと、一人の焔魔堂の戦士が近づいて来た。
彼は純白の大きな布を取り出すと、それを両手で掲げ、コウタの前で片膝をついた。
大仰な対応にコウタは内心で頬を引きつらせつつも、
「ではお願いします」
そう告げて、右手に持った異形の長剣――
純白の布の上に
この剣は、元々試合に使うつもりで持ってきたのではない。
長老衆の強い要望で、ここまで携えていたのである。
言ってしまえば、魅せる演出らしい。
コウタ自身は意味があるのか疑問に思ったのだが、見物に来た人にはけっこう良かった演出らしく、「「おお……」」と感嘆のような声も聞こえた。
これでコウタの手には、木刀だけが残った。
一方、対戦相手のホランの手にも木刀が握られている。
彼女は短剣も腰に携えているが、これは騎士の嗜みというものだろう。抜くことはないと思われる。
これですべての準備は整った。
ライガが数歩ほど下がった。
そして――。
「ではこれより御前試合を開始する」
厳かな声で宣言する。
途端、ホランが駆け出した!
どよっと王国サイドがざわついた。
エルも少し驚いた顔で目を見開いている。
一対一の公式試合だ。
ここは礼儀として、まずは互いに名乗り合うところなのだ。
しかし、ホランは名乗る素振りも見せなかった。
暗い眼差しを見せて、コウタの喉元を狙って刺突を繰り出す――が、
(…………え?)
ホランは目を瞬かせた。
不意に、地を蹴っていた足の感触が消えたのだ。
次いで、今度は青い空が見えた。
「――――な」
ホランは目を見開いたまま、ドンと強く尻餅をついた。
痛みを感じるが、それ以上に唖然とする。
地に座ったまま顔を上げると、そこには困った顔の和装の少年がいた。
「えっと、ベースさんでしたか?」
和装の少年――コウタは言う。
「これは試合です。他国の礼儀は知りませんが、騎士ならば、やはり名乗りは欠かせないと思います」
「…………ッ!」
ホランはギリと歯を軋ませた。
(女を奴隷に堕とすような男がッ!)
憎悪の眼差しをコウタに向ける。
その底知れない敵意に、コウタも少し驚くが、
「ボクの名はコウタ=ヒラサカ。エリーズ国の騎士見習いであり――」
木刀を自然体に構えて、彼女に名乗る。
「焔魔堂の御子をしています」
ある意味、仕切り直しのための言葉だ。
しかし、ホランには届かない。
あろうことか、彼女は土を掴むと、コウタへと投げつけたのだ。
「――おい!」「ふざけるな!」
観衆がざわつき始める。
特に、焔魔堂の戦士たちは全員が殺気じみた気配を放ち始めていた。
御子さまに対して何たる不敬な行いか!
長老衆の中には、静かな怒りを見せている者もいる。
一方、王国サイドの動揺も激しい。
「――待て!」「何をしているのだ! ベース騎士!」「なんで副隊長!?」
ゴルドを筆頭にベテラン騎士たちも、親衛隊も顔色を変えていた。
これも明らかに騎士として恥ずべき行為なのは言うまでもない。
エルも険しい表情を浮かべている。
だが、コウタ自身は少しも動揺することもなく目潰しの土をかわした。
「うわあああああ――ッ!」
ホランは跳ね上がるように立ち上がると、再びコウタに襲い掛かった!
両手で構えて木刀を振り下ろす!
鋭い斬撃だ。
だが、それはあまりにも無様だった。
優れた膂力のみに頼った剣。そこには剣技の残滓さえもない。ただ凶器を振り回すだけのゴロツキの剣だった。
「…………」
当然、コウタには届かない。
コウタは剣を交えることもなく、体捌きのみで木刀の嵐をかわした。
「うあああああああああああああ――ッッ!」
ホランは血走った瞳で、とうとう短剣まで抜いた。
観衆がさらにざわついた。
「――待てッ!」
こればかりは、ライガも表情を変えて割って入ろうとする。
――が、
「……待ってください」
コウタがそれを止めた。片手をライガに向ける。
「もう少し彼女に付き合いたいと思います」
「……ですが、御子さま」
忠義者である――いや、忠義者だからこそライガは反論するが、
「大丈夫です。負けるつもりはありませんので」
有無を言わせない主君の言葉に「……は」と頭を垂れ、一歩下がった。
コウタは「ありがとうございます」とライガに告げた後、木刀と短剣の二刀流になったホランを見つめた。
彼女は、獣のような荒い呼気をしてコウタを睨み据えている。
「……ホラン=ベースさん」
コウタは、彼女の名を呼んだ。
二刀を構えたまま、ホランは微かに肩を震わせる。
「あなたが何を想い、何を目的でこの試合に出たのかは分かりません」
ですが、と言葉を続けて、
「あなたが今、心の奥底にとても辛いものを抱えていることは察することが出来ます。きっと本来だったら、とても洗練されていたはずの剣がここまで乱れてしまうほどに。ですから、その辛さが少しでも和らぐのなら」
コウタは木刀を構えることなく、ゆっくりと前に進み出す。
そして、
「あなたの力をすべて吐き出してください。ボクは決して逃げませんから」
焔魔堂の御子はそう告げた。
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