第461話 黒意の騎士③

 静かに二人は対峙する。

 いや、ホランの方は荒い息を零している。

 体力も消耗しているが、それ以上に感情に振り回されているようだ。

 髪は乱れて双眸は充血。木刀と短剣を両手に身を低くして構えるその姿は、騎士というよりも、まるで手負いの獣のようである。

 一方、そんな彼女を前にして、


(……これは想像以上に深い闇だ)


 木刀を片手に、コウタは思う。

 エルに彼女の様子を剣で探ってくれとお願いされたが、彼女がここまで追い込まれるような問題を抱えていることは、もはや一目瞭然だった。


 ――一体、何があったのか。

 彼女のことを、ほとんど知らないコウタに分かるはずもない。

 だが、このままではまずいのは明らかだ。


 剣を交えるまでもない。

 彼女の心の負担は、とうに限界にまで来ている。

 ここで少しでも解放しなければ、間違いなく彼女は――。


「うああぁ……」


 ホランはもはや言葉も使わなかった。

 口元から微かに唾液さえも零して、全身を震わせている。

 そして――。


「うわああああああああああああああああ――ッッ!」


 地を蹴りつけた!

 やはり身体能力は相当なモノだ。

 身を低くして疾走すると、瞬く間にコウタとの間合いを詰めた。

 初手は短剣を使った刺突。狙いはコウタの腹部だ。

 完全に殺すつもりの一撃だった。

 コウタは体を半身ずらすだけで回避する。

 ホランは目測を失ってたたらを踏むが、すぐさま木刀の横薙ぎを繰り出す。

 コウタはそれも体捌きで回避する。


「うああああああああ――ッ!」


 変わらず獣のような声を上げて、ホランは両腕で凶器を振るった。

 一方は抜き身の短剣。もう一方は木刀といっても、全く加減していない一撃では当たれば負傷は免れない。

 だが、コウタに焦る様子はなかった。

 木刀で受け止めることもなく、最小限の動きでかわしていく。

 ホランは蹴りも繰り出してきた。

 やはり身体能力自体は素晴らしい。とても鋭い蹴りだ。

 しかし、所詮それは二刀が届かない苦し紛れの攻撃に過ぎない。

 当然ながら、コウタに通じるはずもなかった。


 全身で攻撃する『動』のホランに対し、コウタは『静』で応じる。

 この動きを思い出せと言わんばかりに徹底した対応だった。

 その傍らで、


「……おお」「これが我らの御子さまか……」


 焔魔堂サイドから感嘆の声が零れ始める。

 それは、聖アルシエド王国サイドからも同様だった。

 もはや、件の少年に勝つことよりも、ホランのあるまじき行動に強い苛立ちを覚えていた騎士たちだったが、少年の動きはそんな怒りも圧倒されるモノだった。


 ――まるで舞踊だ。

 誰もがそう思った。

 それは荒ぶる獣を鎮める神使の舞いだった。

 それほどまでに隔絶した力量差を、彼らは感じて取っていた。

 直前まで敵意を剥き出しにしていた親衛隊の面々さえも思わず魅入るほどである。

 少年が静かに左手を差し出すだけで、ホランは反転して地に打ち付けられた。

 まるで魔法のように見えるが、敵の重心を捉えて、相手の勢いをあらぬ方向にさらに加速させた結果の横転だ。

 ホランは、すぐさま立ち上がるが結果は同じだ。

 少年は木刀さえ使わずに、彼女の動きを完全に制していた。

 武に重きを置く姫さまが身も心も捧げたといった少年。

 確かにこれならば納得もいくと言わざるを得ない。

 騎士たちは唸っていた。


 いずれにせよ、コウタとホランの戦闘は続く。

 さらに二分ほど続いたか……。


「………う、ああ……ハァ、ハァ」


 土塗れになったホランは、広く間合いを取っていた。

 額や頬には、玉のような汗をかいている。

 激しく肩で息をし、木刀と短剣は重いのか、切っ先を地面につけている。

 あれだけ暴れ回れば、体力が尽きるのも当然だった。

 一方でコウタは息も乱していなければ、汗一つかいていなかった。

 終始、静かな眼差しでホランを見つめている。

 すると、


 ――ガシャン、と。

 おもむろに、ホランが短剣を落とした。

 握力を失ったかと誰もが思ったが、彼女は左手も木刀に添えてゆっくりと掲げた。


(……ああ、そうか)


 コウタは双眸を細める。


(……やっぱり彼女は騎士なんだ)


 体力も尽きて。

 それでも勝利を望んだ時。

 彼女が最後に選んだ力は、剣技だった。

 今にも崩れてしまいそうではあるが、それは紛れもない上段斬りの構えだった。


(きっと、何度も何度も繰り返した構えなんだ……)


 だからこそ、ここで構えたのだ。

 それだけに、コウタは内心で激しい怒りを覚えた。


 ――ここまで彼女を追い込んだ事態に。

 ――もしくは彼女を追い詰めた相手に。


(……彼女には間違いなく何かがあった。後でエルと相談しよう)


 そう心に決めて。

 まずは、彼女の怒りを受け止めなければならない。

 コウタは、初めて彼女に木刀の切っ先を向けた。


「あなたの剣を見せてください」


 そう告げる。

 ホランは無言だった。

 もう答えるだけの体力もないのかも知れない。

 けれど、


「―――ッッ!」


 呼気を吐き出して、駆け出した!

 間合いに入るともはや小細工もなく、強く踏み込んで上段斬りを繰り出した!

 コウタはその太刀に自身の木刀を重ねた。

 そして瞬時に相手の刀身を巻き取り、上空へと振り上げた。

 ホランの木刀は宙へと飛んだ。

 無防備になったホラン。後はコウタの一撃で勝負はつく。

 けれど、コウタは自分の木刀も捨てて、


「基本に忠実な見事な剣でした。あなたが何を抱えているのか、それは後で相談になりたいと願っています。けれど今は――」


 コウタは間合いを詰めた。

 相手に警戒もさせない陽炎のような歩法だ。

 コウタは、唖然と目を見開くホランの目の前に立った。


「今は少しでも心を休ませてあげてください」


 そう告げて、彼女の背後に手刀を向けて、トンと落とした。

 途端、ホランの全身から力が抜けて、コウタの腕の中に倒れ込んだ。


「どうか今は少しでも……」


 彼女を優しく抱き止めて、その背中にそう告げた。

 それからエルの方に視線を向ける。

 彼女は真剣な眼差しで、こくんと頷いた。


「――お見事でございます。御子さま」


 その時、ライガが言う。


「勝者は御子さま。我らが焔魔堂の主君である!」


 高らかにそう宣言する。

 一拍おいて、


「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!」」」


 観衆から歓声が上がった。

 いつもならこういった状況には困った顔をするコウタだが、今だけは腕の中のホランを見つめて神妙な表情を浮かべていた。

 一方、その傍らで――。



(………チィ)


 不満そうな男がいた。

 王国サイドに紛れ込むダイアンである。


(ホランの奴、もう少し上手いことやれよ……)


 裏技を使うとしても、普段の剣技に紛れ込ませてこそだ。

 逆にあそこまで必死では、ホランに何かあったと勘繰る者は多いはずだ。


(使えねえ女だな。もう少し調教しておくか)


 もっと強かに動けなければ、駒としては不足だ。

 最後の一撃といい、あの女はまだ騎士としてのプライドが残っているらしい。


(……強情な女だ。しかしよォ)


 ダイアンは、不快そうに眉をしかめて少年の姿をした化け物を見やる。


(マジでバケモンだな。つうか、俺の奴隷おんなを抱いてんじゃねえよ)


 その点でも不快に思う。

 いずれにせよ、


(俺の能力だけじゃ足りねえな。何か策が必要だな)


 今は静かに思考を巡らせるダイアンだった。









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