第430話 終焉なる世界➂

 第三王女の専属メイド。ミュリエル殿下のお目付け役とも呼ばれる彼女――サリーヌ=ベッカスは、王宮内では中々の有名人だった。

 まず彼女は貴族でもなく貴族の従家の者でもない。

 王家の専属従者でありながら、市井から見出された者――それも孤児だった。

 王都の十三番街にあるベッカス孤児院の出身者である。

 両親の顔は知らない。

 赤ん坊の時に、孤児院の前に捨てられていたらしい。


 決して恵まれた人生ではなかったが、それでも彼女は前向きだった。

 孤児院には弟妹が多く、その世話に日々忙しく寂しいと感じることもなかった。

 そんな彼女がどうして第三王女の専属メイドになったのか。

 それは王女殿下に、ゲンコツを食らわせたからだ。


 あれは、サリーヌが十七歳の時だった。

 ある夏の日。サリーヌが洗濯物を取り込んでいた時。

 一人の女の子が、孤児院に迷い込んでいたのである。

 七歳ぐらいか。褐色の肌に、桜色の髪が綺麗な可愛い女の子だった。

 上質な服を着ていることから、恐らく貴族の子なのだろう。女の子は孤児院の弟たちと混じって剣術ごっこをしていた。


 ただ、その光景に、思わず洗濯物を落としてサリーヌは絶句した。

 女の子が持っていたのは木剣だったのだ。

 それも子供サイズではあったが、騎士が訓練に使うような本格的な木剣である。

 対し、弟たちが持つのはただの木の棒だ。女の子は「やあ! やあ!」と愛らしい声を上げているが、木剣と木の棒では強度が全然違う。可愛らしいかけ声のたびに、木の棒を弾き飛ばし、中にはへし折る時もあった。


 弟たちは、少し青ざめていた。

 別に女の子が騎士ごっこしてはいけないとは思わない。

 人はそれぞれだ。弟の中にも外で遊ぶよりも読書が好きな子だっている。

 それもまた、その子の個性である。


 男の子らしく。女の子らしく。自分らしく。

 どの道も否定すべきではない。

 どの道を選んだって構わない。

 子供には健やかに育つことだけを望むべきだと思っていた。

 子供たちは、元気なことが一番なのである。

 しかし、あれはいささか以上に元気すぎる。何より危なかった。


『ちょっと! やめなさい!』


 サリーヌは流石に止めようとした。

 だが、女の子は剣術ごっこに夢中になって止まらない。

 ブンブンッと木剣を振っていた。幼いというのに結構な速さだ。


『ええい! やめんか! アホ!』


 ――ゴツンッ!

 思わず、知らない女の子の頭にゲンコツを落としてしまった。

 もちろん本気の拳ではない。凄く軽い、甘噛みのようなゲンコツだ。

 しかし、女の子にとっては初めての経験だったのだろう。

 数瞬ぐらいはキョトンとしていたが、すぐに唇を尖らせる。じわじわと目尻に涙が滲んできて、数秒後にはギャン泣きした。


 それが、ミュリエル殿下とサリーヌの出会いだった。

 三日後、サリーヌは王宮に呼び出された。

 正直、生きた心地はしなかったのだが、王妃さまはこう仰ってくれた。


『あなた。ミュリエルの専属メイドになってくれないかしら?』


 王妃さまが仰るには、他のメイドたちではミュリエル殿下に遠慮しすぎて我儘を止められないそうだ。三日前もメイドたちの目を盗んで脱走したらしい。


『あの子には、あなたみたいに、ちゃんと叱れる人が必要なの』


 でもまあ、今度は体罰だけは止めてね。

 王妃さまに苦笑と共にそう告げられ、サリーヌは平謝りした。

 こうして、サリーヌはミュリエル殿下の専属メイドになったのである。

 それから十年。色々なことがあった。

 弟妹たちは、全員元気に巣立っていった。王妃さまが配慮してくださったおかげで孤児院の支援も充実し、しっかりとした教育を受けることが出来たおかげだ。


 サリーヌ自身にも大きな変化があった。

 五年ほど前に一人の騎士に告白されたのだ。

 名前はアレス=サージ。サリーヌよりも一つ年上の青年だ。

 上級騎士の一人であり、初代王妃の祖国の時代から代々王家に仕えた騎士の末裔とのことだ。まさしく由緒正しき貴族である。

 そんな生粋の貴族さまが、どうして自分などに告白するのかと困惑したが、彼の真剣な眼差しに、サリーヌは悩んだ末に受けることにした。


 ……先日。その彼に求婚された。

 あの日と変わらない真剣な眼差しで告げられて、サリーヌは「……はい」と、躊躇いつつも求婚を受け入れた。


 アレスはもう大喜びだった。

 力の限り、彼女を強く抱きしめてくれた。

 サリーヌはこの人を支えるため、仕事を辞めようと思った。

 ただ、サリーヌには心残りがあった。

 ミュリエル殿下である。

 美しく成長なされた王女殿下。けれど、あまりにも真っ直ぐで素直な性格ゆえに、誰かに騙されないかと不安になる方だった。


 彼女のことが、とても心配だった。

 これは従者としての忠義ではない。妹を想う姉の心境だった。

 誰かあの子を守ってくれないだろうか。


(……ベルニカ=アーニャさま)


 面倒見がよく姉御肌の親衛隊長。

 彼女の前では、殿下もいつもよく笑っていた。

 彼女が戻ってきてくれるのならば、きっと殿下を守ってくれる。

 そう思い、最後のご奉仕として今回の旅に従軍したのだ。

 しかし、


(ごめんなさい。アレス……)


 サリーヌは涙を流した。

 考えてもいなかった。自分が死んでしまう可能性など。

 従軍することに、彼が強く反対した意味を理解していなかった。


(ごめんなさい。あなた・・・も……)


 自分の腹部に手を当てる。

 今回の旅の途中で初めて気付いたのだ。

 まだ医師に確認は取っていないが、すでに確信もしている。

 ここには愛するアレスの子が宿っているのだと。

 自分の認識の甘さゆえに、折角宿ってくれたこの子まで巻き込んでしまった。


「……ごめんなさい」


 自然と、謝罪の言葉が唇から零れた。


「……ごめんなさい。私の赤ちゃん。馬鹿なお母さんを許して……」


 そう呟いた時。


「――――はい?」


 そんな声が聞こえてきた。


「え? ええ!? サリーヌさん? お母さんってあなたまさか……」


 続けて、驚いたような声が耳に届く。

 聞き覚えのある声だ。


(……え?) 


 サリーヌは目を開いた。

 すると、そこにいたのは、


「……ベルニカさま?」


 ――そう。行方不明中のベルニカ=アーニャだった。

 彼女は目を瞬かせて、サリーヌの顔を覗き込んでいた。

 そこでようやく気付く。

 自分が今、横になっていることに。


「こ、ここは……?」


 サリーヌは、上半身を起き上がらせた。

 ベッドではない。見知らぬ寝具の中で自分は横になっていた。

 周囲を見やると、これもまた知らない部屋だ。網をきつく結んだような奇妙な床に、引き戸らしき扉が無数に並んだ部屋だ。

 そこに、騎士服を着たベルニカがいるのだ。


「まだ起きちゃダメよ」


 ベルニカは、優しくサリーヌを寝かしつけた。


「ベルニカさま」


 サリーヌは横になりつつも、ベルニカを見つめた。


「ご無事で何よりです。ですが、ここは……」


「えっと、要点だけまず言っておくわね」


 ベルニカは苦笑を浮かべつつ告げた。


「あなたたちの大体の状況と事情は他の親衛隊の子から聞いたわ。私のためっていうのは嬉しかったけど、今となっては複雑な感じでもあったわ……」


 一拍おいて、


「とりあえず、あなたと一緒に大きな岩蛇に食べられた子はみんな無事よ。ヒョウマとライガさんが気遣ってくれて、少なくとも捕虜の扱いは受けてないわ」


「……ベルニカさま?」


 サリーヌは眉根を寄せた。


「ベルニカさまこそ虜囚だったのでは?」


「ああ~、そこら辺は……」ベルニカは自分の額に指先を当てた。「半分は本当に事実だってのがややこしいわね。あなたが落ち着いたら説明するわ。それより」


 ベルニカは、真剣な眼差しでサリーヌを見つめた。


「あなた。自分のことお母さんって呼んでたわね。もしかして」


「……………」


 しばしの沈黙。サリーヌは少し顔を赤くして「はい」と頷いた。

 ベルニカは目を見開いた。


「うわあ! 誰! 相手は誰なの! うわっ、うわあ、ミュリエル殿下のお目付け役に手を出すなんて! 私の知っている人なの?」


「えっと、アレス=サージ上級騎士です」


「うわっ! 私の先輩じゃない! いつから付き合ってたの!」


「……五年前になります。その、先日、彼から求婚をお受けしました……」


 口元を寝具――布団で隠して、恥ずかしそうにサリーヌが言う。


「……そっか」


 ベルニカは優しく微笑んだ。


「じゃあ、本当にサリーヌさんもおめでたなんだね」


 言って、自分の腹部を愛し気に撫でるベルニカ。

 サリーヌは「え?」と目を丸くした。

 ここまで優しい顔のベルニカは、初めて見たような気がする。


「ベルニカさま? 今の話は……」


「それも落ち着いてから話すわ。それより」


 表情を改める。サリーヌの知る騎士の顔だ。


「ところでサリーヌさん」


 そして彼女はこう尋ねた。


「ミュリエル殿下は、今どこにおられるの?」

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