第429話 終焉なる世界②

 その頃。

 焔魔堂の里。ムラサメ邸は騒然としていた。


「……どういうつもりだ」


 ムラサメ邸の主人。

 厳格ではあるが、怒りなど滅多に見せないライガが激怒していたからだ。


「何故、お前たちは御子さまをお一人で行かせた」


 声を荒らげることはない。

 だが、その静かではあるが激しい怒りに、ムラサメ邸を警護していた部下たちは地に両手をつけて身を竦ませていた。


 この場所は、ムラサメ邸の庭園の一角だ。

 そこで、ライガの部下たち――十数人の黒装束の人間が平伏していた。

 広い場所を望んでライガはここに来たのだが、部下たちから聞かされたのは、まさかの御子さまの不在の報だった。

 流石にこの報ばかりは、看過できる範疇にはない。


「……お前たちは……」


 ギシリ、と拳を固めた。

 部下たちは、ますますもって委縮した。

 と、その時だった。


「お待ちください。ライガ殿」


 不意に声を掛けられた。

 すると――。


「……ヒョウマ殿か」


 サカヅキ家の次期当主。

 ヒョウマ=サカヅキが、そこにいた。

 黒い和装に鋼の籠手。腰に刀を差した若武者姿である。


「……すでに来てくださっていたとは」


「当然です」


 ヒョウマは微笑を浮かべた。


「御子さまをお守りすることが我らの使命ですから」


 ライガは御子さまの警護に、自分の手兵のみならず焔魔堂本殿にも応援を申請していたのだ。その際に選んだのがサカヅキ家だ。

 互いの妻たちが友人同士ということもあって、ライガはヒョウマと親しかった。若手屈指と呼ばれるその実力もよく知っていたので、彼に増援を頼んだのである。

 しかし、肝心の御子さまがご不在とは……。


「申し訳ない」


 ライガは、かなり年下のヒョウマに深々と頭を下げた。


「すべては私の失態です。御子さまを迷いの森にお一人で行かせてしまうとは……」


「いえ。御子さまのご事情は、すでにお聞きに?」


「ええ」


 ヒョウマの問いかけに、ライガは頷いた。


「部下たちから粗方は。ですが、いかにお側女役たちの危機だとしても、お一人で行かせることは……」


 ライガはそう呟くと、ヒョウマは「いえ」とかぶりを振った。


「御子さまにとって、お側女役の方々はそれだけ大切だということでしょう。私はむしろ不敬ながら御子さまに共感を抱きました」


 一拍おいて、


「仮に妻の危機ならば、私も同じく駆け出したことでしょうから」


「…………」


 ライガは無言だ。


「恐らく、それはライガ殿も同じではありませんか?」


 これにもライガは何も返さない。

 ただこれは肯定の沈黙だった。

 ヒョウマ、ライガに限らない。

 この場にて平伏する男たちもそうだった。

 焔魔堂の男にとって、自分の女とは何よりも大切なのである。


「愛する者の危機には駆け出さずにはられない。御子さまは、正しく我らの王であるということです。それに」


 ヒョウマは言う。


「御子さまは必ずお帰りなると仰ったそうです。その言葉を、アヤメ殿ももう一人の少女も信じておられる。ならば、臣下の我らも信じようではありませんか」


「……ヒョウマ殿」


 ライガは、青年を見据えた。

 そうして、ややあって。


「……情けない。確かにその通りであった」


 ライガは嘆息した。


「我らは御子さまの臣下。ならば主の言葉を信じずにどうするのか」


 ライガは「すまぬ。ヒョウマ殿」と告げた。


「私は御子さまをお守りすることばかりに固執していたようだ」


「いえ」


 ヒョウマはかぶりを振った。


「それは、ライガ殿が使命に真摯である証です。私こそ若輩の身でありながら、ライガ殿ほどのお方に無礼な口を聞いたことをお許しください」


 そう言って頭を下げた。


「何を仰るか。おかげで目が覚めた」


 ライガは、ポンとヒョウマの肩を叩いた。


「やはり、あなたを呼んで正解だった。アヤメはいざ知らず、ここには幼いお側女役殿もいる。彼女を御子さまに代わってお守りせねば」


「……ふふ。あの幼いお側女役殿ですか」


 ヒョウマは、少し困った笑みを笑った。


「それに関しては、私以上にやる気になっている者がいるのです」


「……? それは一体……」


 ライガが眉根を寄せたその時だった。


「ヒョウマ~」


 遠くから、そんな声が聞こえてきた。

 聞き覚えのある女性の声だ。


「ああ。来たようです」


 ヒョウマは、かなり困ったような顔をして声の方に視線を向けた。

 腕を振って走ってくるのは、彼の妻であるベルニカだった。

 ただ、ライガは少し驚いた。

 ベルニカが白い騎士服を着ていたからだ。

 腰には短剣を差している。

 確か、彼女をこの里に連れてきた時の姿だ。


「妻は御子さまやアヤメ殿、小さなお側女役殿とも顔見知りだったそうです」


 ヒョウマは小さく嘆息した。


「今回の正体不明の侵入者の話を立ち聞きしまして、護衛なら自分も行くと言って聞かなかったのです」


「……それは……」


 ライガは、何とも言えない表情を見せた。


「妻には極力大人しくさせるつもりです。正直なところ、お側女役殿の話し相手になればと思い、同行させました。どうかお許しください」


 ベルニカには甘いヒョウマとしては、そう頼むしかなかった。

 ライガは「……ううむ」と少し唸るが、「まあ、よいでしょう」と承諾する。


「奥方殿は私の妻の友人でもある。御子さまがご不在の中でも、お側女役殿も気が安らぐことでしょう」


「そう言って頂けると、有り難く存じ上げます」


 ヒョウマが頭を下げると同時に、ベルニカが駆けつけた。


「夫がお世話になっております。ライガ殿」


 元騎士らしく敬礼をして挨拶をするベルニカ。


「この度は、夫と共に駆け参じさせていただきました」


「……ご助力、感謝いたします。奥方殿」


 やや苦笑を隠しきれず、ライガはそう返した。

 だが、戦力として彼女は中々のものだ。

 そうでなければ、サカヅキ家に嫁ぐことにはならなかっただろう。


(これは案外有難いな)


 ライガは、そう考え直した。

 男所帯のムラサメ邸で、戦闘能力に優れた女性はアヤメとフウカだけだった。

 しかし、フウカにはタツマの世話がある。加え、久しく戦闘訓練からも離れているので実質的にはアヤメ一人だけだ。そんな中で彼女がお側女役の護衛を買って出てくれたことは、考えてみれば有り難いことだった。


「すでに事情はご存じだと思うが」


 そう前置きして、ライガは改めてベルニカに依頼する。


「現在、詳細不明の侵入者たちが里に近づいている。奥方殿には、お側女役殿――アイリ=ラストン殿の護衛をお任せしたい」


「了解いたしました。お任せください」


 ベルニカは再び敬礼して応じた。

 が、そこで、


「ところで夫もそうですが、皆で集まられてここで何かをされるのですか?」


 そう尋ねる。

 この庭園にいるのはライガとヒョウマ、ベルニカだけではない。

 膝をつき、無言で控えているライガの部下たちもいるのだ。

 ライガは、彼らを見やり、「ええ」と頷いた。

 そしてこう告げた。


「先の戦いで侵入者の一部を捕えました。しかし術で捕縛したため、ここで一度開放するつもりなのです」

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