幕間一 黒の大刀

第377話 黒の大刀

 深い森の中。

 その奥にある焔魔堂の隠れ里。

 さらに、その中央に鎮座する焔魔堂の本殿。

 板張りの廊下を、一人の老人が歩く。

 年齢は恐らく六十代。

 しかし、歩く視線は揺るぎない。

 老いの衰えなど、一切感じさせない精悍な老人だった。

 その額から生える一本角が、より威風を醸し出している。


 ――ハクダ=クヌギ。

 焔魔堂十八家の一つ。クヌギ家の当主にして長老の一人でもある。


「……………」


 ハクダは、長い廊下を進む。

 無言のまま進み、とある部屋の襖を開ける。


「――ッ!」「クヌギさま」


 その広い部屋には、二人の若者がいた。

 槍で武装した青年二人である。

 二人とも焔魔堂の証。心角を額から生やしていた。


「クヌギさま」


 青年の一人が尋ねる。


「どうしてこの『奉殿』に?」


 この部屋は特別な場所だ。

 焔魔堂本殿。その中核足る場所。

 ――『奉殿ほうでん』。

 ここには、焔魔堂の秘宝が奉じられているのである。

 焔魔堂においても屈指の実力を持つ青年たちは、ここの番人だった。


「……うむ」


 ハクダは答えた。


「少し、始祖の御太刀をご拝謁したくてな」


「なんと」


 青年は、目を瞬かせた。


「クヌギさまもですか?」


「……なに?」


 ハクダは眉をしかめた。


「他にも誰か来たのか?」


「はい。長老の方々がお二人ほど……」


 青年の一人が答える。


「ふむ。そうか……」


 ハクダはあごに手をやった。


「我ら一族の悲願が遂に叶ったのだ。みなも落ち着かぬのだろうな」


「……御子さまですか」


 青年の一人が目を細めた。

 まだ青年といえども、この場を任されているほどの番人。

 彼らも、御子さまの降臨については聞いていた。


「失礼しました」


 青年たちは、頭を下げた。


「まだ歳若き我らでも、遂にお姿を現された御子さまには興奮を抑えられません」


 一人がそう告げて、


「ましてや、長年願い続けた長老方のお気持ちは、お察しすべきでした」


 もう一人も恭しい声でそう告げた。


「いや。我らはまだ幸運だ」


 ハクダは、少し遠くに目をやった。


「なにせ、我らは間に合ったのだからな。残り少なき命数が尽きる前に、御子さまのご尊顔を拝謁できるのだから幸運としか言い表せぬ」


「……クヌギさま」


 青年は、すっと手をかざした。


「では。ゆっくりとご拝謁を」


「……うむ。感謝する」


 そう告げて、前に出る。

 ハクダが進んだ先。そこには地下へと続く階段があった。

 その階段を守る番人たちを横に、ハクダは地下へと降りていく。

 地下は石造りの廊下だった。

 照明はない。石壁自体が淡く光る幻想的な通路だ。

 その通路をハクダは進んだ。

 そうして一分後、ハクダは広い場所に出た。

 同じく石造りの部屋だ。

 そして、そこには二人の先客がいた。

 二人とも六十代の老人だ。


「おお。クヌギ殿か」


「ふふ。お前も来てしまったか」


 ハクダの到着に気付いた二人が振り向き、苦笑を零した。

 長老衆の二人。オオシロ老と、フウゲツ老だ。


「ふふ。つい……な」


 ハクダは進み、二人に並んだ。


「やれやれ。長老が三人も来るとは暇なものだな」


「長老だからこそだろう。時間は違うが他にも来ていたそうだぞ」


 と、オオシロが言う。


「そうだったのか?」


 ハクダは、少し目を瞬かせた。


「そこまでは聞いていなかったな」


「まあ、みな、気持ちは同じということだろう」


 と、告げるのはフウゲツだった。


「年甲斐もなく、心が落ち着かぬということだろうな」


「……ああ、そうだな」


 ハクダは双眸を細めて前を見やる。


「だから、私もここに来た」


 横に並ぶ二人も、視線を前に向けた。

 その先にあるのは、まさしく奉殿だった。

 一際輝く石の台座。そこに突き立てられているのは直刀だった。


 ――闇よりも深い漆黒の刀。

 剣幅は広く、鍔はない。

 台座によって隠されているが、その切っ先は扇状になっている。

 まるで鎧機兵が扱うような武具。巨大な大刀である。

 かつて焔魔堂の始祖は、この大刀を自在に操ったという。


「偉大なる始祖は仰った」


 ハクダが呟く。


「この大刀を、御子さまにお渡しせよと」


 厳かな声を発した、その時だった。

 ――キイイイィン。

 突如、黒の大刀が鳴動したのだ。


「――何ッ!」


「これはッ!」


 オオシロとフウゲツが、大きく目を剥いた。

 このような現象は見たこともない。

 しかし、最長老であるハクダだけは冷静だった。


「……ふふ。驚くことではない」


 笑みさえも零す。


「御子さまをお待ちしているのは、我らだけではないということだ」


「……おお」


「なんと……」


 オオシロもフウゲツも、感嘆の声を上げた。


「始祖もまた、御子さまを」


「うむ」


 二人はそう呟き、膝を突き、両手を重ねた。

 ハクダもまた、始祖の御太刀を前に膝を突く。


「……我らが御子さま」


 そして、ハクダは言う。


「始祖の御太刀と共に。ご来訪をお待ちしておりますぞ」


 その呟きと同時に。

 黒の大刀は、再び鳴動する。

 ただ、主の来訪を心待ちにするかのように――。

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