第347話 焔魔堂③

 その日の夜。

 アノースログ学園の面々が宿泊するホテル。

 その一室。アンジェリカの部屋にて。

 ……ポーっ、と。

 フランは、ベッドの縁に腰を掛けて沈黙していた。

 それが、すでに一時間は続いているのである。


「……はァ」


 フランの傍に立つアンジェリカは、額に手を当てて呻いた。


「……フラン」


 名を呼ぶが、親友は何も答えない。

 完全に上の空だった。

 アンジェリカは少し眉根を寄せて、


「……ジェイク=オルバン」


 その名を呟いた。

 途端、フランが、肩をビクッと震わせた。

 アンジェリカは、言葉を続けた。


「リーゼの話だと、二学年の第三位とのことよ。貴族だけど、爵位はなくてどちらかと言えば平民寄りの家系だそうだわ。両親は健在。他にも五歳下の弟がいるそうよ」


 すらすら、とジェイクの個人情報を挙げていく。


「性格は豪放磊落。貴族、平民問わずに友人も多くて周囲の信頼も厚い。リーゼも信頼しているそうよ。いい人じゃない」


「そ、そうかな?」


 ギギギっ、とフランが顔をアンジェリカの方に向けた。

 アンジェリカは、肩を竦めた。


「爵位がなくともれっきとした貴族。それに弟がいるっていうのもいいわね。ソルバ家に婿入りしても後継者問題はないし」


「む、婿入りっ!?」


 ボンっ、と顔を赤くさせるフラン。

 初めて見るような親友の変化に、アンジェリカは何とも言えない表情を見せた。


「はァ、まさか、こんなことになるなんて……」


「ご、ごめん、アンジュ」


 フランは、ふらふらと頭を揺らして謝罪する。


「アンジュをサポートするって言ってたのに、私がこんなことになるなんて……」


「まあ、仕方がないわよね」


 アンジェリカは、片手を腰に、指先を額に当てた。


「あんな大観衆の前で、まさかのお姫さま抱っこなんて。特にフランはお姫さま抱っこに憧れてたみたいだし、まさに一撃必殺ね」


 ふうっと嘆息する。

 驚くほどに大胆な少年である。


「エリーズの男って、みんなあんな感じなのかしら?」


「あ、あふう……」


 フランが、耳を真っ赤にして俯いた。

 実際のところ、同世代の女の子を、緊急時であってもお姫さま抱っこできるほどの胆力を持つ者は極めて少数だ。それが出来るのは、クラスでも二人だけである。


 ――そう。コウタと、ジェイクの二人だけなのだ。


『……オルバンは、やはり、コウタさまの親友ということなのでしょうね』


 ジェイクのことを、アンジェリカに詳しく問われて、リーゼが頬に片手を置いて小さくそう呟いたのだが、そこまではアンジェリカも知らないことだった。


「まあ、安心してフラン」


 アンジェリカは、フランの前まで移動すると、腰を屈めてフランの手を握った。

 フランが「ア、アンジュ?」と親友の顔を見つめた。


「ちゃんと、フランの恋は応援してあげるから」


「ホ、ホント! アンジュ!」


 フランが目を輝かせた。


「もちろんよ。友達じゃない。ただ、引き続き私の応援もしてよね。それに……」


 そこで、アンジェリカは目を細めた。


「リーゼの話だと、オルバン君は、アル君と仲がいいってことだしね」


 相変わらず、恋の情報収集力だけは抜群なアンジェリカだった。


「あ、けど」


 アンジェリカは、おもむろに自分の頬に指先を当てた。


「もしかしたら、私たちだけじゃないかも……」


「え? どういうこと?」


 フランが、目を瞬かせた。


「ふふ、実はね……」


 そう前置きして、アンジェリカは、にまあっと笑みを深めた。


「どうやら、アヤメもそうらしいのよ」


「………え」


 フランは、キョトンとした。


「ほら。リーゼの補佐に、ヒラサカ君っていたでしょう。黒髪の……」


「あ、うん。アンジュの剣を止めた男の子だよね」


「そう。実はね。アヤメったら、彼に凄くご執心みたいなの」


 一拍の間。


「――ええっ!?」


 フランは、立ち上がって目を見開いた。

 次いで、口をパクパクと動かす。


「ア、アヤメが!? あのアヤメが!?」


「そうなのよ~」


 アンジェリカは、ゴシップ好きのおばさまのようにパタパタと手を振った。


「なんかね。ちょいちょいと、機会があるたびに彼の方ばかりを見ているの。それも魅入るような真剣な眼差しで。あの子がよ」


「……うそォ」


 流石に唖然とするフラン。

 アヤメは校内では、相当な人気がある生徒だ。

 アロン大陸出身者特有の美しい黒髪に眼差し。湖面のような静かなる面持ち。

 確かに、スタイルこそまだ幼いかもしれないが、ミステリアスなその美貌に多くの生徒が魅了されて、何度も告白を受けているそうだ。


 その場面を一度見たことがある。

 アヤメは一言、


『興味がありません、ので』


 ばっさりと、告白してきた生徒を斬り捨てていた。

 そんなアヤメが恋をするなど……。


「今日は、リーゼには、ホントはあの鉄骨製の主席の子と、ヒラサカ君についても聞きたかったんだけど、つい、尋ねることがオルバン君のことばかりになってね」


 アンジェリカが片手を口元に当てて、クスクスと笑う。


「やっぱり異国への旅って凄いわね。恋の華がこんなにも続けて芽吹くなんて」


 その呟きに、フランはカアアっと顔を赤くした。

 まさに、恋に落ちたばかりの自分では反論も出来ない。


「そ、そういえば」


 それを誤魔化すように、フランは室内を見渡した。

 この部屋には今、アンジェリカとフランの二人しかいない。


「ア、アヤメの姿が全然見ないわね」


 今日の授業が終わってから、アヤメは一度もホテルに戻っていなかった。


「え、えっと、ま、街の見物にでも言っているのかしら?」


 少しどもりながらフランがそう呟くと、


「ええ、そうね」


 悪戯好きのような笑みを見せて、アンジェリカはこう告げた。


「けど、もしかすると、ヒラサカ君に逢いに行っているのかもしれないわよ」

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