第348話 焔魔堂④

「…………」


 時刻は七時すぎ。

 日もすでに落ちた暗い路地裏を、アヤメは一人だけで黙々と歩いていた。

 街頭こそあるが、表通りの光は差し込まない。

 人気もない石造りの道。

 あまりに静かで、まるで煉獄に続くような道だった。


 コツコツコツ。

 足音だけが響く。


 アヤメは異国の道を歩き続ける。と、


「……遅かったな」


 不意に、声を掛けられた。

 アヤメが前を見やる。

 そこに居たのは、街灯の下で佇む丸眼鏡をかけた灰色の髪の少年。

 いや、実際は少年ではない。

 声、体格まで変えて少年に変装したアヤメの師――ライガ=ムラサメだ。

 この姿は、ジーン=ダラーズという造り上げた少年のモノだった。


「……ままならんな」


 ライガは嘆息した。


「あわよくばとは思っていたが、やはり計画は安直に変えるものではないな」


「………」


 アヤメは、師の前で止まった。


「リーゼ=レイハートと、アンジェリカ=コースウッドたちの関係は良好、なのです」


 淡々と、報告する。


「仲違いは失敗しているのです。どうしますか。義兄さま」


「……義兄と呼ぶな」


 ライガは、そう指摘してから、


「互いの隙に繋がると考えたが、甘かったようだな。邪魔も入った」


「………」


 師の独白に、アヤメは何も言わず耳を傾ける。


「しかし、あの少年」


 ライガは、弟子を見据えた。


「まるで、お前の術に気付いていたかのように割り込んだな。どういうことだ?」


「………」


「……アヤメ」


 師に意見を催促されて、アヤメは「……分かりません」と答えた。


「あの少年は、リーゼ=レイハートの補佐と聞いている、のです。もしかすると、ただの補佐ではなく、アノースログ学園の従生徒スクワイヤのような生徒かも知れない、のです」


「……なるほどな」


 ライガは双眸を細めた。


「実際は、レイハートの護衛といったところか。レイハートの身を気にかけていたからこそ瞬時に動けたということか」


「……恐らくは」


 きっとそうではない。

 アヤメはそう思いつつも、師の推測に同意した。

 彼の心奥に視た心象武具についても、あえて語らない。


「まあ、よい」


 ライガは、興味を無くしたように腕を組んだ。


「それよりも計画だ。リーゼ=レイハートは一旦置いておく。我らが動かずとも別部隊でも編制すればよい。まずは当初の計画通りに行くぞ。決行は明日の――……」



       ◆



 十数分後。

 アヤメは、夜の街を歩いていた。


「………」


 多くの人が行き交う大通り。

 中には酔った男たちもいる賑やかな界隈。

 そこをアヤメは一人で歩く。

 師とは、すでに別行動をしていた。

 少女の顔は、いつもと変わらない無表情。

 けれど、彼女の足取りは、いつもよりも重かった。


(計画は明日……狙いはアンジュ……)


 美麗な眉を、微かにひそめる。

 明日、大きなイベントがある。

 この王都パドロから数時間ほど離れた山。鎧機兵分隊での大規模な模擬戦も想定した大きな森林を、エリーズ国騎士学校は所有している。

 昔はとある鉱石の採掘場でもあったらしく、その名残で洞窟などが多くある山だ。

 そこで、両校対抗のレクリエーションを行うのだ。

 簡単に言えば、旗取り合戦フラッグ・ゲームである。

 各生徒にフラッグを渡して、それを奪い合う。

 さらに、森林内にも高得点のフラッグも設置してある。

 鎧機兵の使用も許可された、最初から荒事が想定されるイベントだ。

 もちろん、生徒に何かあっては両国にとって一大事である。

 そのため、明日は教師陣のみならず、アルフレッド=ハウル率いる皇国騎士団。さらにエリーズ側からも騎士団の数部隊が管理に就くらしい。


 通常以上の警備。だからこそ、師はこのイベントに目を付けた。

 この警備の中で、アンジェリカ=コースウッドを拉致する。

 事故死に偽装して、彼女を攫うのだ。


 両国合同の警備ゆえに、不慮の事故死に対しては、互いの国のメンツから、深く踏み込んだ調査は出来ないと睨んだのである。


 ダラーズ家には師の部下もいる。今回の交流会にも密かに数名が同伴している。隠蔽と偽装に特化した者たちだ。その隠形は、アヤメであっても気付けない。

 アンジェリカを拉致した後は、彼らに預けて、そのまま焔魔堂の里まで秘密裏に運ぶ手筈になっていた。


 師と、アヤメは平然とアノースログ学園へと戻る。そしていずれは、フラン=ソルバの方も同様に、事故死、または行方不明を装って拉致するのだ。

 武に優れた彼女たちに、一族の子を産ませるために。


(……私は)


 微かに、唇を噛みしめる。

 胸の奥が痛む。

 彼女たちが向けてくれる親愛の笑顔が、とても眩しすぎた。


(……私は……)


 このままでいいのか。

 彼女たちを、陰の中に引きずり込んでもいいのか……。

 アヤメはとても悩んでいた。

 姉が師の妻に命じられた時、彼女を逃がそうと考えた。

 けど、それは姉自身に反対された。

 姉は、生まれながらの焔魔堂の女だ。

 本人も言っていたように覚悟は出来ていたからだろう。

 だが、アンジェリカたちは違う。

 彼女たちは、本来は一族とまるで関係がない。

 特に、アンジェリカには好きな人がすでにいるのだ。


(……いえ。多分、フランにも……)


 アヤメも女だ。

 今日の一件でフランの心情が一気に変化したのは、目に見えて分かった。

 そんな彼女たちを一族の男たちの……生贄にするのである。

 ベルニカ=アーニャのように。


「…………」


 アヤメは静かに唇を噛んだ。その時だった。


「おやあ、お嬢ちゃん、どうしたんだいィ?」


 不意に、肩に手を乗せられた。

 アヤメが振り向くと、そこには赤い顔の男がいた。

 明らかに酒気を帯びた、二十代半ばの青年だ。他にも二人ほど連れがいる。同じく二十代の男性たちである。

 三人とも、相当に悪酔いしているのが目に見えた。


「お嬢ちゃん、こんな場所でどうしたんだいィ、いやいや」


 アヤメの肩に手を乗せる男は、にんまりと笑った。


「事情は知んねえけど、そういうこと? おお、いいぜ。オレって幅広いしィ」


 男は、そこで連れの方に振り向いた。


「お~い、オレ、今夜はこの子にするわ」


「はァ? まだガキじゃねえか」


「まあ、顔は綺麗だけどさ」


 と、男たちが返す。

 すると、アヤメの肩を掴む男は、パタパタと追い払うように空いた手を振った。


「確かにガキだけどな。けど、この子にも事情があんだろ。明らかに初めてっぽいし。今夜は懐も結構温かいしな。慈善活動ってやつさ」


「……まァ、お前がいいって言うんなら」


「熟女からガキまでって、お前って本当に幅広いよな」


 男たちは苦笑を浮かべると、その場から去って行った。

 残されたのはアヤメと、肩に腕を乗せる男だ。


「そんじゃあ行くか」


 男は、ニカっと笑った。


「安心しな。ホテル代もオレが出すからさ」


「…………」


 アヤメは、馴れ馴れしい男を睨みつけた。

 この男が何を言っているのかは、朧気ながらも分かった。

 いわゆるナンパのようなモノだろう。だが、その目的は実に浅薄で明確だ。


 ――最悪だ。吐き気がする。

 アヤメは、この男のあごを握り潰してやろうかと思った。

 彼女の本来の膂力なら、それも簡単だった。

 しかし、


「お。ちっこいなりにも、揉み心地はいいな」


 肩に乗せた腕を回して、男はアヤメの胸へと触れた。

 いきなりのことに一瞬硬直してしまう。

 ニヤニヤと笑う男。指先が乱雑に乳房に食い込み、不快感がさらに増す。

 男は、アヤメの胸の感触を楽しんでいるようだった。

 流石に殺意を抱く。が、ふと思った。


 これはいずれ、アンジェリカとフランも味わう苦痛だ。

 それも、アヤメのせいで……。


 ――ならば、自分も同じ想いをすべきではないか。

 ――これこそが、罰になるのではないか。


 それに『純潔を守る』という自分の役目に対する里への意趣返しにもなる。

 自暴自棄になっていたアヤメは、そう考え始めていた。


「よし! あそこのホテルにしようぜ!」


 そのため、抵抗もせず、男に促されるがままに足を踏み出した。

 その時だった。


「ま、待ってください!」


 突然、少年の声が響いた。


「すみません! その子はそういう子じゃないんです!」


 男と、アヤメが振り抜くと、そこには騎士学校の制服を着た少年がいた。

 少年は慌てた様子で叫ぶ。


「本当にすみません! 見ての通り、その子は他国の学校の生徒で、ここにはうっかり迷い込んでしまったんです!」


 言って、アヤメの片腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。

 男の手が離れ、アヤメは少年の腕の中に、ポスンと納まった。


「……あン?」


 いきなり獲物を奪われた肉食獣のように、男が不機嫌になる。

 それに対し、少年は、


「本当にすみません! すみません! 失礼します!」


 一気にそう捲し立てて、アヤメの手を掴んで走り出した。

 男は「おい! 待てよ!」と叫んでいたが、千鳥足では追いかけられないようで、瞬く間に姿が小さくなっていった。

 少年は、アヤメの手を掴んで走り続ける。

 華やかな夜の街中を走り、徐々に趣が落ち着いた場所に変わるまで走る続けた。

 そして、とある公園の入り口まで来たところで、ようやく彼は立ち止まった。

 少年は、ふうっと息を吐くと、アヤメの方へと振り返り、


「……流石に、ちょっと焦ったよ」


 冷や汗を片手で拭う。


「だって、いきなり君、歓楽街の方へと歩いていくし」


「……え」


 アヤメは目を丸くする。

 そう言えば、先程の場所は、他の場所に比べてやけに騒々しく明るかった。


「ダメだよ。女の子が夜に一人であんな場所を歩いたら、流石に誤解されるよ」


「………あ」


 ようやく悟る。

 要するに、自分は夜の歓楽街をぼんやりと一人で歩いていたということらしい。恐らく先程の男には、何かの事情で身売りしようとしているように見えたのだろう。


「……ご、ごめんなさい、のです」


 アヤメは、素直に謝った。

 そういう意味では、先程の男にも悪いことをしたような気がする。


「まあ、何事もなくて良かったよ」


 少年は、ホッとした表情を見せた。

 アヤメは、少年の顔を見つめた。

 彼女にとって、最も警戒し、最も気になっている少年の顔を。


「ありがとう、なのです。ヒラサカさん」


「はは、気にしないで。けど、そうだね」


 少年―コウタ=ヒラサカは告げる。


「これもいい機会かな。シキモリさん。ボクは、君と一度話してみたかったんだ」

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