第312話 嵐の予感②

 ――さて。どこから切り出したものか……。

 コウタは、兄同様に胡坐を組んで考えた。

 話すべきことは決まっている。

 リノのことだ。

 そして、彼女から聞いたあの男のことも……。


「………」


 沈黙して、さらに考える。

 兄は、静かにコウタが切り出すのを待っていてくれた。

 十秒、二十秒と静寂が続く。

 そうして……。


「ねえ、兄さん」


 コウタは、ようやく口を開いた。


「ここに来た、リノって子のこと憶えている?」


 兄は苦笑した。

 次いで、意地悪く目を細めて返す。


「忘れる訳ねえだろ。お前の『正妻』って子だろ?」


「……そこは忘れてよ」


 コウタは、大きく嘆息した。

 が、すぐに表情を改めて。


「実は、あの子は普通の女の子じゃないんだ」


「……ああ、それはすぐに分かったよ」


 兄は、膝の上に片肘を置いて頷く。


「さっき、メットさんが強いって話をしたが、あのリノって子は完全に別格だ。多分、お前やアルフとタメを張れるんじゃねえか? あの歳だと信じられねえ力量だな。ありゃあ真っ当な素性の子じゃねえんだろ?」


「………うん」


 コウタは首肯した。


「彼女は……《黒陽社》の人間なんだ」


「……そうか」


 兄は、双眸を細めた。

 驚いた様子は全くない。恐らくうすうす気付いていたのだろう。


「彼女は生まれた時から《黒陽社》にいたんだ。両親が《黒陽社》に所属していて、当然のように裏の世界で生きていた」


「…………」


 兄は沈黙している。

 静かに、コウタを見つめていた。


「だから、ボクは彼女を表の世界に連れてきたかった。そして色々あって、やっと彼女を《黒陽社》から連れ出したんだけど……」


「……へえ」


 兄は、感嘆の呟きを零した。


「やるじゃねえか。コウタ」


「……本当に色々あったんだよ。彼女の説得にも苦労したし、彼女を取り戻そうとする《金妖星》と戦ったりしてさ」


「……ん?」


「ラゴウ=ホオヅキは納得したみたいだけど、多分、次は《地妖星》か、レオス=ボーダーが出てくると思う。彼女を連れ戻すために」


「……いや、ちょっと待て。コウタ」


 兄は、手を突き出してコウタの言葉を止めた。


「なんか、さっきから《九妖星》の奴らの名前がやたらと出てくるんだが?」


「え? あ、最初に言うのを忘れてたや」


 コウタはポンと手を叩いた。


「実はリノって《水妖星》なんだ。六人の支部長の一人だよ」


「………は?」


 兄の口が半開きになった。一方、コウタはどこか自慢げに話を続ける。


「リノはさ。鎧機兵戦も凄く強いんだよ」


「…………」


 数瞬の間。兄は沈黙している。


「あんなに可愛いのに、もう無茶苦茶強くてさ」


「……いや。待てコウタ」


 おもむろに、兄は自分の額を片手で抑えた。

 それから、コウタの肩に、片手をポンと添えて。


「兄ちゃんはな。お前がどんな子を好きになっても応援するつもりだ。相手が裏の人間だろうが、お前にとって大切なら関係ねえと思う。相手が《黒陽社》であってもだ。むしろ《黒陽社》から奪い取ってやって大したもんだと思うぞ。けどな」


 一拍おいて。


「……最高幹部かよ。また凄いのに手を出したなあ。兄ちゃん、ビックリしたぞ」


「い、いや!? まだ手なんか出してないよ!?」


 赤い顔でコウタが叫ぶ。


「そ、そりゃあ、リノは凄く可愛くていつもドキドキするけど、ボクにはメルが――いや!? そうじゃなくて!?」


 コウタは、ブンブンと頭を振った。


「実は、リノには《水妖星》以外にも肩書があるんだ」


「へえ、そうなのか?」


 兄は、あごに手をやった。


「まあ、《九妖星》にもなると、本部長・支部長以外にも兼任している役職があるみてえだしな。なんたら室長とか。あの子もそうなのか?」


「いや、そういう肩書じゃないよ」


 コウタは一瞬、声を詰まらせるが、覚悟を決めて告げた。


「リノは実は社長令嬢なんだ。《黒陽社》の社長、《黒陽》の一人娘なんだ」


「………………………え?」


 場が、シンとする。

 茫然とした顔で、兄はコウタを見つめていた。

 流石に、こればかりは衝撃が大きかったのだろう。


「え、えっと、他の《九妖星》達も、彼女のことは『姫』って呼んでいて、だから彼女に拘るんだ。きっと、これからも彼女を取り戻そうと……」


「い、いや。ちょっと待ってくれ、コウタ」


 兄は再びコウタを止めた。


「……それはマジな話か」


「う、うん。彼女自身も、ラゴウ=ホオヅキもそう言ってた」


「…………」


 兄は沈黙する。

 眉間にはしわを刻み、あごに手をやっている。

 そうしてややあって、ポツリと呟いた。


「あの子、まさか、あのおっさんの娘なのか……」


「……え?」


「全く似てねえぞ。つうか、あのおっさん、あんなデカい娘がいんのに、オトに手を出そうとしてやがったのか……」


「に、兄さん……?」


 コウタは兄の呟きに困惑した。


「え、兄さん? もしかして、リノのお父さんと会ったことがあるの?」


「ああ。心底不本意なことにな」


 兄は嘆息した。

 一方、コウタは大きく目を見開いた。これは完全に想定外だった。

 まさかリノの父と、自分の兄に面識があったとは……。


「……兄さん」


 コウタは、ゴクリと息を呑んだ。


「……リノのお父さんって、どんな人なの?」


 あのラゴウ=ホオヅキが、自分よりも強いと言っていた人物。

 コウタを一蹴する兄にも並ぶというリノの父。

 当然ながら気になった。


「……最悪のおっさんだ」


 すると、兄は眉間にしわを刻んで教えてくれた。


「少なくとも俺は大嫌いだな。つうか、次に会ったら塵にするつもりだ」


「そ、そうなんだ……」


 兄の冷たい口調に、コウタは頬を強張らせた。

 どうやらリノの父と、兄の間にはすでに因縁があるらしい。

 一体何があったのか。

 正直、話を聞くのが怖い。それぐらい兄が怒っているのが分かる。

 ここまで怒っている兄は、滅多に見たことがなかった。

 コウタが緊張していると、


「とはいえ、だ」


 兄は、すぐに表情を柔らかくした。

 緊張感が霧散する。そうして兄は話を続けた。


「親父の方はぶっ殺してえが、親と子は別だ。リノ嬢ちゃんまで嫌う理由にはなんねえ。リノ嬢ちゃんは今度、連れてきな。色々と話を聞きてえしな」


「う、うん。分かった」


 リノの父との確執はともかく、リノ自身のことは受け入れてくれたようだ。

 コウタは、ホッと胸を撫で下ろした。

 まあ、兄ならそう言ってくれると信じてはいたが。


「今度連れてくるよ。けど、兄さん」


「ああ。分かっているよ」


 兄は頷く。


「本題はそっちじゃねえんだろ? すでに名前も挙がってたしな」


「……うん」


 コウタも、神妙な顔つきで首肯した。


「リノから聞いたんだ。今、この国には四人の《九妖星》が来ているって」


「……まあ、実際のところはもう一人来てたんだがな」


「え? もう一人?」


 コウタが目を剥いた。

 それはリノからも聞いていない。初めて聞く話だ。

 コウタが少し身を乗り出すと、兄は片手を向けて苦笑した。


「いや。気にすんな。そいつの方はもうブン殴って追い返した。それより、お前の話を聞かせてくれ」


「う、うん……」


 困惑しつつ、コウタは話を続けた。


「《水妖星》リノ=エヴァンシード。《地妖星》ボルド=グレッグ。《金妖星》ラゴウ=ホオヅキ。そして――」


 そこで沈黙する。

 コウタにとって、兄にとっても、最も忌まわしい男の名が脳裏に浮かぶ。

 かつて二人の故郷を滅ぼし、父を直接殺した正真正銘の仇。

 殺しても殺し足らない男。

 自然と、コウタの拳が強く固められた。

 沈黙が続く。

 そうして――。


「《木妖星》レオス=ボーダーか……」


 おもむろに、兄が呟いた。


「あのジジイも、この国に来てんだな」


 そう呟く声はこの上なく、冷たいものだった。

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