第279話 彼は笑う②

(……なんてことだ)


 コウタは表情を変えずに、内心で唸った。

 まさか、こんな場所で《九妖星》と遭遇しようとは……。


(リノが来ているから、他の《九妖星》はいないと思い込んでいた。最悪だ)


 ――複数の《九妖星》と出会うことはない。

 それがコウタの思い込みだった。

 だが、これは当然とも言える発想でもある。

 こればかりは、コウタを迂闊と責めることは出来ないだろう。

 何せ、相手は犯罪組織の大幹部さまなのだ。

 そんな相手と同じ街で二人も遭遇するなど普通は考えない。


(とにかく反省は後だ)


 コウタは呼気を整える。

 いずれにせよ、今守るべきはユーリィである。

 兄の大切な義娘。コウタにとっては新しい家族だ。

 彼女だけは、何としてでも守り通さなければならない。


「……ユーリィさん」


 コウタは視線をボルドに集中したまま、ユーリィに告げる。


「ボクの後ろに下がって。九号。彼女の護衛に専念するんだ」


「……ワカッタ。キオツケロ。コウタ」


 と、九号の声が聞こえてくる。


(ありがとう。メル)


 コウタは心の中で幼馴染に感謝した。

 このタイミングで九号をユーリィの護衛として譲ったことは、まさにメルティアのファインプレーだ。

 ゴーレムたちは対人戦においては無類の強さを誇る。《死面卿》のような天敵もいるが、人間相手ならばそうそう遅れは取らない。

 見たところ、ボルドの腹心らしき女性も相当な使い手のようだが、九号ならば対等に渡り合えるだろう。いざとなれば、ユーリィを抱えてて逃走することも可能だ。おかげでコウタはボルドだけに専念できる。


(だけど、まだ油断はできないな)


 何せ、相手は《九妖星》と、その直属の部下。

 どんな隠し玉を持っているかも分からない。

 コウタは、さらに覇気を高めた。

 すると、


「見事な騎士っぷりですね」


 ボルドが笑う。


「そして、その素晴らしい覇気。クラインさんの弟という話は本当だったようですね」


 コウタは、眉根を寄せた。


「……兄さんを知っているのか?」


「ええ、勿論ですとも」


 ボルドは、意気揚々に答える。


「彼とは幾度となく対峙したものです。宿命のライバルという奴ですよ」


 その台詞にコウタは一瞬、沈黙した。


「………え?」


 そして訝しむ。


「……お前と、兄さんが?」


 兄は弟の自分が言うのもなんだが、精悍で凛々しい人物だ。

 ミランシャやアルフレッドの話では、騎士時代はとても人気があったらしい。

 つなぎ姿の今でも、その覇気と精悍さは全く衰えていないと思える。

 ――が、それに対し、目の前の人物は……。


(普通のおじさんだな)


 コウタは、率直にそう思った。


 すべてを魅了する傾国の雛鳥であるリノ。

 古の戦士のような佇まいのラゴウ=ホオヅキ。

 大樹のように揺るがない存在感を放つレオス=ボーダー。


 コウタが知る他の《九妖星》と比べても、明らかに普通のルックスだ。

 普通過ぎて兄のライバルと言われても疑ってしまう。すると、ルックスに関してはボルド自身も自覚があるのか、「ムムッ、信じていませんね」と唸っていた。


(まあ、それは、今はどうでもいいか)


 ルックスはともかく、実力ではこの男は他の《妖星》にも劣っていない。

 それだけは間違いないと戦士の直感が警告している。

 コウタは、さらに気勢を上げた。


「……ほう」


 すると、ボルドがポツリと呟いた。


「クラインさんの弟さん。本当に凄いですね」


 細い目の男はあごに手をやって、コウタを見据えた。

 実に興味深そうな眼差しだ。


「その若さでありながら、隙や奢りがまるでない。ラゴウや姫。そして、ボーダー支部長が気に掛けるだけのことはあります。実に素晴らしい」


(……それはどうも)


 コウタは、内心で皮肉気に笑った。

 評価してくれるのは嬉しいが、ボルドの気配には参ってしまう。

 見た目はこんなにも普通だというのに、感じる圧は全く別物だ。例えるならば、獲物を前にした魔獣と対峙しているような気分だった。


 ――やはり、この男もまた怪物か。

 嫌でも、それが伝わってくる。


「ふふ、正直、ご挨拶をする程度のつもりだったのですが」


 ボルドはゆっくりと間合いを詰めながら語る。


「久方ぶりに血が騒ぎ始めましたよ。少々手合わせをお願いできますかね?」


 そう告げられて、双眸を細めるコウタ。

 またしても《妖星》との戦闘。

 自分はつくづく《妖星》と縁があるらしい。

 ボルドは「カテリーナさん」と腹心に九号の相手を指示した。九号が「……ムム! クルカ! ケバイオンナ!」と叫んで、ユーリィを庇いつつスパナを振った。


(もう引けないな)


 コウタは、短剣の柄に意識を集中する。

 とても楽しそうな笑みを見せるボルドの構えは自然体だ。


(完全に達人の域だ。対人戦だとラゴウ=ホオヅキよりも強いかも……)


 緊張で汗が一滴、頬を伝う。

 見た目に騙されるなという実にいい見本だ。

 九号、ボルドの部下も含めて緊迫した状況が続いた。

 しかし、その緊迫を破ったのは、意外すぎる人物だった。




「……中々、危ない状況みたいね」




 不意に、そんな声が場に響いた。

 女性の声だ。

 だが、ボルドの腹心でもなく、ユーリィでもない。


「………え」


 コウタは唖然とする。

 その声は、あまりにも想定外のものだった。

 思わず構えまで解いて、声の主に目を向けてしまう。

 振り向いたそこには、二人の女性がいた。

 一人は黄色い短髪の女性。やや不愛想にも見えるが整った鼻梁と、魅力的なプロポーションを男勝りな冒険服で包んだ人物だ。


(……ジェシカさん)


 コウタは、彼女を知っていた。

 そしてもう一人は――。

 柔らかく微笑む女性。

 腰まで伸ばした髪を漆黒。瞳の色も同色だ。

 身に纏う服は背中や、半袖の縁に炎の華の紋が刺繍された白いタイトワンピース。足には黒いストッキングを纏い、茶色の長いブーツを身につけていた。

 プロポーションに至っては、まさに見事の一言だ。

 メルティアやリノでも敵わないだろう。

 けれど、コウタが彼女に見惚れた理由は、当然そんなことではない。


 ユーリィと九号。

 さらには、ボルドや、彼の腹心が思わず呆気に取られた理由も。


 黒髪の女性は、ジェシカを連れて、ゆっくりと近づいてくる。


 誰も動けない。

 誰もが彼女の行動に目を奪われていた。

 それほどまでに彼女の出現は唐突だったのだ。


(どうして、こんな所で……)


 コウタは、ただ唖然とした。

 そして、ポツリと彼女の名を呟くのだった。


「サ、サクヤ姉さん」

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