第280話 彼は笑う③

 リノに遅れること、三十分。

 サクヤとジェシカは、街外れの停留所へと向かっていた。

 もはや、この国に来てからの日課になっている行動だ。

 停留所に行っては馬車を待ち……。

 結局、乗れないまま、その場を去って行く。

 それが、サクヤの日課だった。

 今も、サクヤは真剣な顔つきで歩を進めていた。


(……サクヤさま)


 そんな主君に、ジェシカはただ付き従う。

 サクヤの葛藤はよく分かる。


 逢いたい。

 けれど、逢うのが怖い。


 ゆえに、主君は前に進めれないでいるのだ。


(しかし、こればかりは……)


 ジェシカは、サクヤの背に目をやった。

 こればかりは、自分自身で決意するしかない。

 ジェシカに出来ることは、お供することだけだった。

 今日もサクヤ達は停留所に向かった。

 そして、きっと馬車に乗れずに終わるのだろう。

 ジェシカが、そう思っていた時だった。

 不意にサクヤが足を止めた。


(……? サクヤさま?)


 ジェシカが訝しみ、足を止めた。

 続けて、サクヤの視線の方に目をやった。


「――ッ!」


 ジェシカは息を呑む。

 いつもの停留所。

 だが、今日はそこに先着がいたのだ。

 一機のゴーレムと、空色の髪の少女。

 そして――。


(コウタさん!) 


 ジェシカが、すべてを捧げると誓った黒髪の少年。

 しかし、温和な彼の表情は険しかった。


「……これはとんでもない場面に出くわしたみたいね」


 と、サクヤが呟く。

 ジェシカは懐の中のキューブに手をやりつつ、「……そうですね」と頷く。

 この場にいたのは、コウタ達だけではなかった。


 ――ボルド=グレッグ。

 直接の面識はないが、諜報部の資料で知っている男がいた。


(……《九妖星》の一角だと?)


 ボルドの傍らに立つ女の資料も見たことがある。

 確か《地妖星》の腹心である部下だ。


「まさか、リノちゃん以外にも《九妖星》が来ているなんてね……」


 サクヤが皮肉気な口調でそう呟く。

 しかし、彼女の視線はボルドの方を見ていない。

 サクヤが見ているのは、空色の髪の少女だ。

 白いつなぎを着た、十二、三歳ぐらいの美しい少女である。

 スタイルにおいては、サクヤはおろか、ジェシカにも遠く及ばない未成熟な少女だが、鼻梁に関しては、サクヤにも並ぶのではないかという綺麗な娘だ。


(そうか。あの娘は)


 ジェシカは、すぐに気付く。


(彼女が《金色聖女》。ユーリィ=エマリアなのか……)


 サクヤが愛する男。ジェシカの愛する少年の兄。

 アッシュ=クラインの義娘だ。

 そして――。

 ジェシカは、ちらりと主君の背中を見た。


(……《双金葬守》か)


 それは、アッシュ=クラインの二つ名だった。

 その由縁とは、《金色聖女の守り手》。

 それに加えて、もう一つ。


(……サクヤさま)


 ジェシカは、微かに視線を伏せた。


 ――《黄金死姫の葬り手》。


 その二つの意味を以て、《双金葬守》と呼ばれているらしい。

 すなわち、あの少女はサクヤの双金の片割れとなる。

 空色の髪の少女は、不安そうに、コウタの背中を見つめていた。

 コウタは、彼女を守るためにボルドと対峙している。


(これは、どうすべきか……)


 ジェシカとしては、すべき行動は明確だ。

 コウタが、敵としてボルドと対峙している。

 ならばコウタの刃である自分は、彼の敵を排除するだけだ。

 しかし、サクヤは違う。

 特に双金の片割れに関わることには抵抗があるはずだ。

 ジェシカは、そう考えたが、サクヤは意外な行動に出た。

 微かに微笑むと、


「……大丈夫よ。そんなに悩まないで。ユーリィちゃん」


 そう言って、少女に話しかけたのだ。

 ジェシカはかなり驚いた。

 声を掛けられた少女に至っては、さらにだろう。

 茫然とサクヤを見つめていた。

 サクヤは彼女の隣を横切ると、そのままコウタの傍に近づいて行った。


「………え」


 当然、コウタもこの状況に驚いたようだ。


「サ、サクヤ姉さん」


 サクヤは微笑んだ。


「コウちゃん。久しぶりだね。トウヤには再会できた?」


「う、うん」


 コウタは頷いた。


「兄さんとは再会できたよ」


 と、答える。主君が介入した以上、ジェシカも挨拶をする。


「お久しぶりです。コウタさん」


「……ジェシカさん」


 コウタが、彼女の名を呼んだ。

 それだけで嬉しくなってくるが、ジェシカはグッと堪えた。

 今は自分の喜びにかまけている場合ではなかった。

 ボルド=グレッグは、少し驚いた顔をしていたが、退く様子はない。

 ――と、その時だった。


「――ま、待って!」


 不意に少女の声が響く。

 ユーリィの声だった。

 彼女はサクヤを見つめていた。

 対し、サクヤもユーリィを見つめた。

 双金が見つめ合う。

 そして――。


「あなたは……」


 ユーリィが、声を絞り出した。


「一体、誰なの……?」


 それは、当然の問いかけだった。

 何故なら彼女はこの瞬間までサクヤは死んでいると思っていたのだから。

 一方、サクヤは、ふっと微笑んだ。


「……ユーリィちゃん。私は――」


 と、口を開いた瞬間だった。


「ふむ」


 今まで沈黙を保っていたボルドが呟いた。

 そして、まじまじとサクヤを見やり、


「蘇ったという情報は正しかったようですね。《黄金死姫》殿」


「…………え」


 ユーリィが大きく目を見開く。

 そんな少女に、ボルドは「おや?」と小首を傾げた。


「もしかして、まだご存じなかったのですか? エマリアさん。彼女――《黄金死姫》サクヤ=コノハナさんが復活したことを」


 ユーリィは唖然としたまま反芻する。


「ふ、復活……?」


「ええ。方法は分かりませんが、彼女は現世に復活を遂げました。それも《聖骸主》の力を残したまま、正気まで取り戻してね。その上……」


 そこでボルドはサクヤに視線を向けた。

 ジェシカは、険しい表情でボルドを睨む据える。


「新たに肩書まで増えたのですね。《ディノ=バロウス教団》盟主殿」


(……余計な情報を)


 苛立ちを隠せない。

 この事実は、すでにコウタには伝わっている。

 しかし、ユーリィは初めて聞くはずだ。印象は相当悪くなる。

 事実、彼女は「…………え」と、唖然とした呟きを零した。

 ユーリィは、茫然とサクヤを見つめていた。

 すると、


「……私のことは、今はいいでしょう」


 サクヤが告げる。


「《地妖星》さま。私の可愛い義弟おとうとにちょっかいを出すのはやめてくれませんか?」


「……いえ。それは……」


 そこで、初めてボルドは困った顔をした。


「私としては、勿論、本命はクラインさんの方ですよ。ですが弟さんも中々どうして。ちょっと……というより、正直、かなりスイッチが入ってしまって」


 コウタにも視線を向けつつ、そんなことを言う。

 やはり《九妖星》には戦闘狂が多いようだ。


「自分でも抑えきれないと?」


 サクヤが呆れるように言う。

 次いで、ボルドを半眼で睨みつけた。


「どうしてもというのなら、コウちゃん側に私も参戦しますけど?」


「う、《黄金死姫》がですか? それは辛いですね」


 そう言って、ボルドは一瞬、自分の腹心の方に目をやった。

 赤い眼鏡の女は一瞬だけ不思議そうに首を傾げた。


(……ああ。なるほど)


 ジェシカは何となく悟る。

 恐らくあの女は部下であり、ボルドの情婦なのだろう。

 だからこそ、今、ボルドは戦闘になった場合の彼女のリスクを考えているのだ。


(これは恐らく退くな)


 ジェシカは、そう感じ取る。

 コウタに加え、サクヤ。当然、ジェシカもそこに加わる。

 いかに《九妖星》といえども苦戦は免れない状況だ。

 と、考えている矢先に、


「分かりました」


 ボルドはそう告げた。

 やはり撤退を選んだようだ。が、すぐに、


「ですが一つだけ」


(……? まだ何かあるのか?)


 ジェシカが眉根を寄せる。

 サクヤも訝しげな様子で「……何かしら?」と尋ねる。

 すると、ボルドは苦笑を浮かべて。


「今日はもう何もしませんよ。カテリーナさん。あれを」


「……はい。ボルドさま」


 そこでボルドの腹心兼情婦が動く。おもむろに停留所の長椅子に置いてあった包みを手にすると、そのままボルドに渡したのだ。

 ボルドは包みを手にコウタへと近づいていく。

 ジェシカは警戒する。と、


「……えっと、コウタ君」


 ボルドは、コウタに包みを渡した。思わず受け取るコウタ。


「……何ですか? これ?」


 眉根を寄せてそう尋ねると、


「菓子折りです」


 ボルドは、そんなことを告げてきた。


「今度は真っ当な菓子折りですよ。先ほどこの国で購入しました。まだ開けてもいませんので毒物混入の心配もありません」


「は、はあ……」


 茫然としつつも、コウタは生返事をする。

 サクヤやジェシカも、流石にキョトンとしていた。

 一方、ボルドはにこやかな顔だ。


「どうか、クラインさん達と食べてください」


「……え?」


 コウタは、ボルドの顔を凝視した。


「《九妖星》って《七星》に菓子折りを贈るんですか?」


 当然と言えば、当然な質問をする。

 対し、ボルドは気まずげに頬をかいて返した。


「いえ。相手のお家に伺うのに手ぶらはちょっと……」


 コウタとしては「は、はあ……」と生返事を零すだけだ。

 そうこうしている内に、ボルドは、コウタの肩をポンと叩いた。


「さらに精進してくださいね。コウタ君。また会える日を楽しみにしていますから」


 そう告げて、《地妖星》は赤い眼鏡の女と共に去って行った。

 どうにか危機は去ったようだ。

 しばしの間、停留所に静寂に包まれる。

 ジェシカはサクヤに告げた。


「去ったようですね。サクヤさま」


 しかし、まだ状況は終わっていない。

 ジェシカは、ちらりと視線をずらした。

 そこには、サクヤを睨みつける空色の髪の少女がいた。

 おもむろに、彼女は尋ねる。


「あなたは誰なの?」


 その台詞だけで空気が張り詰める。

 ジェシカは何も言えない。

 コウタやゴーレムも同様だ。

 それに答えられるのは、ただ一人だけだ。


「……そうね」


 サクヤは、一度目を閉じる。


「少しお話をしようか。ユーリィちゃん」


 そう告げて、彼女は微笑んだ。

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