第四章 彼は笑う

第278話 彼は笑う①

「……はァ」


 零れ落ちる深い溜息。

 その時、コウタは、クライン工房に向かう停留所の長椅子で腰を下ろしていた。

 馬車が来るのは、およそ二十分後。

 それまでコウタは暇だった。

 ただ待つだけの、何とも長い時間である。


(……はァ、リノ)


 探し続ける少女のことを思う。

 いきなり王城から逃走したリノ。

 コウタはジェイクと別れて、リノの捜索に出た。

 だが、結局、ここまでの道中でも、彼女は見つけられなかったのである。

 ジェイクにも捜索をお願いしているが、恐らく同じ結果だろう。

 そもそも、この広い王都で人一人見つけることが、どれほど困難なことか。


(……はァ)


 コウタは頭を抱え込んだ。

 彼女は、すでにクライン工房に到着しているかもしれない。


(どうしよう。兄さんにどう説明しよう)


 そんなことばかりが、頭に浮かぶ。

 彼女の素性を知れば、兄はきっと驚くだろう。

 同時に、仲が相当険悪になる可能性も高かった。

 何せ、立場的には敵同士なのだから当然だ。


(どうしよう……)


 コウタは悩む。

 実は、この件以外にも、兄にはまだ重要な話を伝えきれていなかった。


 ――そう。とても重要な話。サクヤのことだ。


 コウタはまだ、サクヤの生存を兄に伝えられていなかった。

 あまりにも重大すぎて、切り出すタイミングが分からないのである。

 その件においても、兄にどう伝えるべきなのか悩んでいたというのに、どうしてこうなってしまうのか……。


「…………はァ」


 もう何度目なのか分からない溜息をつく。

 と、その時だった。


「……コウタ君?」


「……え?」


 不意に声を掛けられる。

 コウタは顔を上げて、横に振り向いた。

 すると、そこには、一人の少女がいた。

 彼女の隣には、磁石付きのスパナを腰に装備したゴーレムが一機いる。


「……どうしたの?」


 彼女――ユーリィが尋ねてくる。


「え、えっと……」


 コウタは緊張した。

 兄の義娘。コウタにとっては義理の姪。

 正直、彼女とは、あまり良好な関係はまだ築けていなかった。

 何故か、彼女には嫌われているようなのだ。

 だから、また厳しい対応をされるのかと、無意識に身構えたのだが、


(……あれ?)


 少し眉をよせる。

 どうもユーリィの表情に敵意も緊張もない。


(それに、ゴーレム?)


 ちらり、と横を見る。

 そもそも、どうしてゴーレムが彼女の傍にいるのか?


「あの、そのゴーレムは?」


 コウタは率直に訊いた。するとユーリィは、


「メルティアがくれたの」


「……え?」


 幼馴染の名に、コウタは目を丸くする。

 ユーリィは苦笑めいた顔で説明する。


「九号さんだって。アイリちゃん同様に、私にも護衛がいた方がいいって。魔窟館? そういうところから転移陣で一機召喚してくれたの。アッシュも忙しいから、いつも付きっ切りなのもしんどいだろうし、だから貰った」


「メルがゴーレムをあげたの!?」


 コウタは、心の底から驚いた。

 ゴーレム――九号は、ゴツンと自分の胸部装甲を叩いていた。


「……オレ。キョウカラ、ユーリィノ、キシ!」


「そ、そうなんだ……」


 コウタは、茫然と呟いた。

 コウタの幼馴染にとって、ゴーレムは我が子も同然の存在だ。

 それを一機だけとはいえ譲るとは……。


(そこまで仲が良くなっていたんだ……)


 ちょっと目尻がじんわりしてくる。幼馴染に友人が少ないことは、コウタも常々懸念していたことなのだ。


(そっか。ユーリィさんの態度が少し柔らかくなったのも)


 きっと、幼馴染が取り持ってくれたのだろう。

 王城に帰ったら、幼馴染をギュッとしたい気分だった。

 と、考えていたら、


「ところで、どうかしたの?」


 ユーリィが尋ねてくる。コウタは「う、うん」と頷いた。

 それから、少し迷いつつ、


「その、人を探しているんだ」


「……人を?」


 コウタは「うん」と首肯した。


「この街で再会した子なんだ。とても綺麗な子なんだけど、まるで子猫みたいに自由すぎる性格の子でね……」


「ははっ、子猫ですか。確かにそうですね。彼女は一度見失うと大変でしょう?」


「はい。全然見つからなくて。ボクも困っているんです」


「ああ、なるほど。だからクラインさんの所に行くのですね。姫はクラインさんに挨拶がしたいと、ずっとおっしゃってましたから」


「そうですか。それはボクにも言っていました」


 コウタは苦笑する。


「けど、そのことでも本当に困っているんです。リノのこと、兄さんになんて説明すれば……って、え?」


 そこで、コウタはハッとする。

 いつの間にか、会話の相手がすり替わっていた。

 目の前のユーリィは、唖然とした顔でコウタの隣を見つめていた。

 コウタも自分の隣に視線を向けた。

 そこには、四十代の男性が長椅子に座っていた。

 糸のような細い目と、温和な顔立ち。低い背に、やや薄い頭部。

 派手な柄シャツと、ハーフパンツといった私服ではあるが、いかにも中間管理職が似合いそうな人物である。

 隣には菓子折りのような包みを置き、傍らには赤い眼鏡の美女が控えている。

 年齢は二十代半ばぐらいだろうか。彼女もまたビロードタイプの赤い上着に、黒いタイトパンツという私服だった。


「ボ、ボルド=グレッグ……」


 ユーリィが茫然と、その名を呟いた。


「……ッ!」


 その瞬間、コウタが動いた。ユーリィを抱えて間合いを取る。

 次いで、彼女の前に立つと、腰の短剣の柄に手を添えた。


「……あなたは」


 ゆっくりと息を呑む。

 女性の方には気付いていた。微かにだが気配があったからだ。

 しかし、この男には全く気配がなかった。

 当然のように話していてなお、完全に風景に溶け込んでいた。

 こうして対峙した今でさえ、その姿はまるで幻影のように感じる。


「誰だ? いや、ボルド=グレッグだって? 聞いたことがある。その名前は」


 コウタは表情を険しくする。すると九号が、


「……コウタ! キオツケロ!」九号がスパナを構えて叫ぶ。「データニ、アル! ソノハゲ、三十三ゴウヲ、ツレテッタヤツダ!」


「……そうか」


 その台詞によって、緊張が増す。


「じゃあ、やっぱりこの男が」


 コウタは、敵意を乗せて男を睨みつけた。


「《地妖星》ボルド=グレッグなのか……」


 コウタの呟きに、ユーリィがビクッと肩を震わせた。

 ――かつて、シャルロットが遭遇したという《九妖星》の一角。

 ラゴウ=ホオヅキ。リノとも並ぶ強者だ。

 停留所の空気が張り詰める。

 すると、男がゆっくりと立ち上がった。

 そして――。


「お久しぶりです。エマリアさん。そして初めまして。コウタ=ヒラサカ君」


 細い目をうっすらと開いて、男は告げる。


「私の名はボルド=グレッグ。ただのしょぼくれた休暇中のおっさんですよ」


 彼は、どこまでも穏やかに笑っていた。

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