第254話 戦いの地へ②
場所は戻って、クライン工房の
「……へ?」
長い沈黙を破って、エドワードが目を瞬かせた。
一瞬だけ呆然としていたが、すぐに青ざめていく。
「お、おい? コウタ? お前、今何を言ったんだ?」
――仕合。
新しい友人は、そんなことを行ったような気がする。
それも、あの『師匠』に対して。
そこに至って、他のメンバーもハッとしたようだ。
「おい! コウタ!」
ロックが声を張り上げる。
「お前、師匠の素性は知っているんだろう!」
続いて、アリシアも愕然とした。
「そ、そうよ! アッシュさんは学生に手に負える相手じゃないのよ!」
真剣にコウタを心配して、二人はコウタに詰め寄った。
コウタは少し困った顔で二人に目をやる。と、
「落ち着いてよ二人とも」
コウタの代わりにそう告げる者がいた。
苦笑を浮かべるサーシャだ。
「コウタ君は稽古をつけて欲しいって言っただけだよ」
アッシュの愛弟子である彼女が言う。
師はグレイシア皇国最強の戦士だ。隣国であるエリーズ国の騎士候補生が、稽古を願い出てもなんらおかしくもない。
それは、ユーリィも同意見だった。
「うん。皇国でもよくあった」
そう告げて頷く。
「あ、ああ、なるほど。そういうことか」
ロックが呟く。
指摘されて納得する。
「確かに、それならあってもおかしくないな」
「お、おう。そうだな。マジな顔してっから焦ったぜ」
エドワードもホッとした様子だ。
思い出すのは、初めてアッシュと対峙した日。
彼らにとっては、今でも背筋が凍るような戦闘だ。
「あはは」
アリシアも苦笑するように笑った。
気恥ずかしそうに、パタパタと手を振り、
「コウタ君があんまり真剣な顔をしていたから、本気の仕合を臨んだかと勘違いしたわね」
少し安堵した声でそう呟くのだが……。
「……勘違いではありませんわ」
不意な指摘に少しギョッとする。
それは、リーゼの声だった。
彼女はとても真剣な表情を浮かべていた。
(そうですとも。これは、コウタさまの心からの望み)
リーゼは、ゆっくりと歩き出す。
目を瞬いて「え?」と呟くアリシア達の横を通り、彼女は青年の前に歩み出た。
彼は、リーゼを見つめた。
とても静かな、黒い眼差し。
本当にコウタの瞳によく似ている。
(……お義兄さま)
緊張を宿した、とても真剣な表情を浮かべつつ、リーゼは、いずれ自分の義兄となる青年に深々と頭を下げた。
「どうか、コウタさまの望みを叶えて上げてください。コウタさまと、本気で立ち合っていただけませんか」
「…………」
少女の願いに、アッシュは無言だった。
――と、
「クライン君」
シャルロットも歩み出てきた。そして、彼女の主人である少女の横に並ぶと、深々と頭を下げて、「私からも、お願いします」と願い出る。
アリシアやサーシャ達は困惑していたが、事情を知るミランシャ達は、ただ真剣な顔で成り行きを見守っていた。
アッシュの沈黙は続く。
アッシュだけではなく、誰一人何も語らない。
工房内に静寂が訪れる。と、
「……オト」
不意に、アッシュが一人の女性の名を呼んだ。
「……何だ?」
名前を呼ばれたオトハがそう尋ねると、アッシュはおもむろに言った。
「悪りいが、立会人を頼めるか?」
一拍の間。オトハはアッシュを見つめた。
そして言葉を返す。
「それは構わんが……」
「せ、先生っ!?」
そこで、驚愕の声を上げたのはサーシャだった。アリシアも「ア、アッシュさん、本当に受けるんですか?」と愕然とした声で尋ねている。
「まあな」
端的にそう告げるアッシュ。
その言葉に、コウタは一瞬だけ瞳を閉じた。
(……ありがとう。兄さん)
どれほど、久しぶりであったとしても。
兄のことはよく知っている。
いま、兄は自分の我が儘を聞いてくれたのだ。
(兄さんは本当に変わらないや)
そう思った、その時。
「……アッシュ?」
ユーリィが、兄の『愛娘』が眉をひそめた。
彼女は兄の傍に寄ると、兄のつなぎの裾をギュッと掴む。
そして、少し不安を宿す翡翠色の瞳で兄を見つめた。
「どうしたの? 様子がおかしい」
「…………」
兄は特に何も答えない。
ただ、優しい眼差しを向けて、彼女の頭を撫でていた。
(本当に彼女が大切なんだ)
コウタは、頭を撫でられ目を細めるユーリィを見やる。
「その子はあなたの……」
――家族なんですね。
そう続ける前に、兄ははっきりと答える。
「ああ。俺の『娘』だ」
言葉に揺らぎはない。
コウタは、黒い瞳を優しげに細めた。
何となくだが。
幼かった頃の自分と、ユーリィの姿が重なるような気がした。
兄と弟は沈黙して、再び静寂が訪れる。と、
「仕合はなんでやる? 素手か?」
アッシュが尋ねてきた。
コウタは答える。
「鎧機兵で。全力を尽くしたいから。ボクが一番得意なものでお願いします」
これも事前に決めていたことだ。
この戦いでは、すべてを出し切りたいからだ。
「……そっか」
アッシュが呟く。
兄の傍らのユーリィは、より不安そうに兄の腰に掴まっていた。
そんな少女に、兄は「……大丈夫だ。ユーリィ」と告げて、頭を撫でていた。
そして一拍の後。
「一旦街を出るか」
兄は、告げる。
「鎧機兵戦なら、もっと広いところの方がいいだろ」
コウタは、グッと拳を強く固めた。
――いよいよだ。
いよいよ、この時がやって来た。
微かに息を吐き、緊張を解す。
そうして、コウタは、はっきりと答えた。
「はい。よろしくお願いします」
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