第237話 その国の名はアティス③
旅は続き、二日後の朝。
目の前に広がる蒼い大海原。
時折、魚が飛び跳ねるその光景を、甲板の上から彼は眺めていた。
「…………」
黒い髪に、黒い瞳。
エリーズ国騎士学校の制服を着た十五歳の少年だ。
彼は静かな眼差しで、遠い海を見据えていた。
――いや、見据えているのは、海の先にある国か。
(アティス王国か……)
少年――コウタ=ヒラサカは、双眸を細めた。
後輩であるルカの故郷。
そこに、ずっと行方不明だった兄が住んでいるらしい。
(トウヤ兄さん)
甲板の手すりを、グッと握りしめる。
船旅も、すでに七日目に入った。
鉄甲船の速度ならば、そろそろ陸地が見えてもおかしくない頃合いだ。
(……もうじきなんだ)
兄と別れて、すでに八年。
ようやくの再会。流石に緊張は隠せない。
「………ふゥ」
コウタは、小さく息を吐き出した。
すると、
「やはり緊張されていますか? コウタさま」
優しげな声が響く。
見ると、そこには二人の少女がいた。
一人は歳の頃が十五、六歳。
毛先にきつめのカールがかかった蜂蜜色の長い髪。それを頭頂部で赤いリボンで結んだ綺麗な少女だ。服はコウタと同じ、腰に白い
髪と同色の瞳もまた綺麗で、彼女は真っ直ぐコウタを見つめていた。
リーゼ=レイハート。
この旅の同行者であり、コウタの同級生でもある。
「……もうじきだね」
そう告げるのは、もう一人の少女。いや、幼女か。
歳の頃は九歳ほど。
薄緑色の長い髪に、人形のように整った顔立ち。銀色の小さな王冠が付けられたカチューシャを頭に付けて、メイド服を着込んだ幼女だ。
アイリ=ラストン。
アシュレイ家の住み込みメイドだ。
「……やっぱり、お義兄さんに会うのは緊張する?」
と、微妙にニュアンスが違う発音で尋ねるアイリに、
「流石にね……」
コウタは、苦笑を見せた。
「なにせ、八年ぶりだから」
故郷を失ってから八年。
その間、コウタは一度も兄と会っていない。
もう自分の知る兄とは、別人のようになっているのかも知れない。
だからこそ、今の兄のことを、シャルロットやミランシャに尋ねてみた。
今、どんな職に就き、傍にどんな人がいるかなど。
『……兄さんは、相変わらずモテるなあ』
と、率直な感想を呟いたら、何故か、メルティアやリーゼにジト目で睨まれた。
ジェイクは額に片手を当ててかぶりを振り、アイリに至っては、呆れ果てたように深い溜息をつかれた。
『やっぱりコウタ君って、アシュ君の弟よね』
『……まったくです』
と、ミランシャとシャルロットには、生暖かい眼差しを向けられたのも憶えている。
ともあれ、そんな事前情報を叩き込みながら、長い船旅を続け、いよいよ到着を間近に迎えたのだ。緊張もしてきて当然だ。
コウタは「ふゥ」と息を吐き出した。
と、そこで気付く。
「あれ? メルは?」
リーゼとアイリの姿はあるのに、メルティアはいない。
甲板を見渡してみても、何故か、鳥に向かって両手を振っている三機のゴーレム――零号達の姿はあるが、メルティアの姿はない。
「メルティアですか?」
すると、リーゼが小首を傾げて答えた。
「彼女は彼女で、緊張しているようですわ」
「……うん」アイリが頷く。「……さっき部屋を覗いてみたら、ベッドに腰掛けてずっと自己紹介の練習を繰り返していたよ」
『は、初めまして! メメメ、メルティア=アシュレイでふ! で、でしゅ!』
脳裏によぎるのは、そんなメルティアの姿だ。
紫銀色のネコ耳を盛んに動かして、彼女は、何度も何度も舌を嚙んでいた。
コウタの兄との対面を目前にして緊張がピークに達したのだろう。
「(まあ、気持ちはよく分かりますが)」
「(……うん。実は、私も昨日ぐらいからずっと緊張しているよ。なにせ、これから会うのは未来のお義兄さんな訳だし)」
アイリが緊張した面持ちで、リーゼの顔を見やる。
「(……リーゼは緊張していないの?)」
「(当然ですわ)」
リーゼは、慎ましい胸に手を当てて堂々と告げる。
「(わたくしを誰だと思ってますの? すでに、社交界にもデビュー済みなのです。国王陛下との謁見の経験もあります。挨拶程度、自然にこなして見せますわ)」
「(……おお、流石はリーゼだよ)」
と、アイリが拍手を贈って絶賛した時だった。
グラリ、と鉄甲船が珍しく揺れた。
どうやら、わずかに進行方向を変えたようだ。
不意なことに、アイリとリーゼは重心を崩してしまった。
「あっ、危ないよ」
多少の揺れでは一切崩れないコウタが、咄嗟に彼女達に手を差し伸べた。
ギュッ、とアイリの左手を掴む。しかし、リーゼの方は近すぎるのと、彼女自身が自分で重心を取ろうとしていたため、手を掴みづらい。
そこで再び甲板が少し揺れた。
「――きゃ!」
リーゼが声を零す。
「危ない!」
仕方なく、コウタはリーゼの腰に手を回した。
そして重心も関係なく、彼女を強引に抱き寄せた。
「――やっ」
がっしりと。
リーゼの小柄な身体は、コウタの腕の中に収まった。
リーゼは、ハッとして顔を上げた。
目の前には、コウタの黒い瞳があった。
「……大丈夫だった? リーゼ」
日々のブレイブ値の補充の成果なのか、もはやこの程度のハプニングでは動じないコウタだった。ただただ、優しい眼差しでリーゼの身を案じている。
リーゼの顔が、ボッと火を噴いた。
「は、はい! ごめんなさい! 緊張していないなんて大嘘です! で、でも、きちんと挨拶は致しますわ! お義兄さまに認めて頂くためにもっ!」
「え? あ、うん?」
唐突に妙なことを口走るリーゼに、コウタは首を傾げた。
ともあれ、リーゼの身体を離す。と、
「……扱いに不公平さを感じるよ」
手を握っていたアイリが、ムスッと頬を膨らませた。
そして、自由な右手を、コウタに向けた。
「……朝早くから、降船準備とかで働いていたから、メイド力が著しく消耗したよ。抱っこで補填をお願いするよ」
「へ? メ、メイド力って何さ?」
「……メルティアのブレイブ値と同じようなものだよ。名称に意味はないよ」
「意味がないって言い切った!?」
「……いいから抱っこして。早く」
と、小さなメイドさんが不服そうに要求した、その時だった。
「……相変わらずだな。コウタは」
不意に少年の声が響く。
三人が声の方に目をやると、そこには大柄な少年がいた。
黒い騎士服を纏う、緑の髪の剛健な少年。
コウタの親友である、ジェイク=オルバンだ。
「あ、ジェイク」
「おう」
ジェイクは二カッと笑った。彼は背中にサックを担いでいた。
「もうサックまで準備されたのですか?」
と、リーゼが尋ねる。ジェイクは「おうよ」と答えた。
「さっき船員に聞いたんだ。何でも、あと二時間ぐらいで着くらしいぜ」
「……そうなんだ」
コウタは双眸を細めた。
そして大海原に目をやる。
――あと二時間。
離島の小国・アティス王国。
再会の地は、もう目前にまで迫っていた。
(兄さん)
グッと拳を固めた。
(いま会いに行くよ。待っていて)
コウタは、遠い目をする。と、
「……いや、シリアスは後でいいから」
身も蓋もなく、アイリが言う。
「……今は早く抱っこして」
両手を大きく広げた。
少し前までは、こういった子供扱い的なことを嫌がっていたアイリも、最近では、随分と素直に――いや、率直になっていた。
もはや、周囲に人がいようとお構いなしで要求してくる。
「う、うん」
コウタは困惑しつつも、アイリを抱き上げた。
この子を抱きかかえる度に、子供って体温が高いなと思う。
頬を寄せてくる様子は、まるで大きな猫でも抱き上げているようだった。
ただ、時折、身を捻って、「……ん」と、幼女と思えない艶めかしい吐息を零すのだけは少しだけドキッとするが。
ともあれ、可愛い妹分の頭を撫でていると、リーゼと視線が重なった。
彼女は、微笑んで告げる。
「では、わたくしも、先程の醜態に対するプライド壁の補強を」
「――え?」
硬直するコウタ。
そこへ。
『こ、こうたぁ!』
鋼の巨人・紫銀色の甲冑――
『ブレイブ値が! ブレイブ値が切れましたぁ!』
たかだか自己紹介の練習で勇気が尽きたらしい。
巨人は、ズン、ズンと足音を立てて駆け寄ってくる。
「メ、メル!」
「……駄目だよ。今は私の番だから」
アイリが、ムッとした顔で首にしがみついてくる。
「そして、次はわたくしの番ですから」
一方、リーゼは和やかに微笑んで自己主張してくる。
『こうたぁ!』
メルティアが、甲板を揺らして大型の魔獣のような勢いで走ってくる。
ジェイクが「うおお」と呟いて避難する。親友のコウタは置いて。
「――ジェ、ジェイク! 一人で逃げないでよ! ちょ、ちょっと待ってメル!? その姿で来られると怖いよっ!?」
心底怯えた様子のコウタの声。
少年の受難は留まること知らない。
これを見て、彼の兄がどう思うかは、まだ誰も知る由もなかった。
「た、助けて! 兄さん!」
いきなり、兄に助けを求める弟をどう思うかもだ。
「……コウタハ、マダマダ、ダナ」
「……ダカラ、カキュウヘイ、ナノダ」
「……ナサケナイ」
ゴーレム達が、酷評する。
いずれにせよ、一行は到着するであった。
――再会の地。アティス王国へと。
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