第236話 その国の名はアティス②
波が、大きく揺れた。
大海原をかき分けて、その鉄甲船はどんどん進んでいく。
グレイシア皇国の名門、ハウル公爵家が所有する鉄甲船である。
風任せの帆船に比べ、その速度、船体の揺れの少なさは驚異的だった。
そんな安定した船内の一室にて、彼女達二人は密談を交わしてた。
「……中々に危機的な状況よね。これって」
そう呟くのは、ベッドに腰掛ける赤毛の美女。
スレンダーな肢体を、黒い騎士服で固めた二十代前半の女性だ。
普段纏っている白いサーコートは壁に掛けてある。
「まさか、ここに至って、あの女が復活してくるなんて想定外だわ」
言って、すらりとした足を組む。
ミランシャ=ハウル。
ハウル公爵令嬢にして、《七星》の一人でもある女傑だ。
「ミランシャさま」
と、その時、もう一人の女性が尋ねる。
「……彼女が言っていたことは真実なのですか?」
不安を隠せない表情を見せる彼女も、美女であった。
歳の頃は、ミランシャよりも少し上か。
肩まで伸ばした藍色の髪が印象的な、慎ましく佇むメイド服の女性。ただ、そのスタイルは慎ましいとは呼べないぐらいに存在感があったが。
「本当に、彼女はクライン君の婚約者なのですか……」
「……不本意だけどね」
ミランシャは、ぶすっとした顔で答える。
「それだけは事実よ。アシュ君は今でも彼女のことを想っている」
「…………」
メイド服の女性――シャルロット=スコラは、沈黙した。
「あの女は本当にヤバいわ」ミランシャは言葉を続ける。「鈍感なアシュ君が唯一『女』として見ているのよ。アタシ達とは立っている位置が違うの」
額に手を当て、深々と嘆息する。
シャルロットは、未だ無言だ。
「もちろん、アタシ達の恋敵は彼女だけではないわ」
ミランシャは、シャルロットを見つめた。
「シャルロットさんは、今アシュ君の傍にいる女の子をどれぐらい知っているの?」
「……残念ながら」
沈黙を破って、シャルロットは答える。
「ミランシャさま以外は、多分、ユーリィちゃんぐらいしか知りません」
「そう。確かに、ユーリュちゃんも今や恋敵の一人よ。折角だし、改めて他の子のことも教えてあげるわね」
ミランシャは、人差し指を立てた。
「まずは一人目。オトハ=タチバナ。オトハちゃん。アタシと同じ《七星》の一人。アシュ君とは傭兵時代からの知り合いでアタシ達の中では、ユーリィちゃん以上に彼との付き合いが長いわ。凜々しくて男前な性格な人なんだけど、中身はまさに乙女よ。恐るべき女子力を有しているわ。あと、おっぱいが大きい」
「……オトハ=タチバナさまですか」
シャルロットは、複雑な表情を見せた。
その名は知っている。主人が憧れを抱いている女性剣士だ。
「続けて二人目」ミランシャは中指を立てた。「サーシャ=フラム。サーシャちゃん。十七歳の女の子。アティス王国の騎士候補生でね、アシュ君の愛弟子でもあるわ」
「……愛弟子?」シャルロットは小首を傾げた。「それは、鎧機兵の戦闘方法を習っているのですか?」
「うん。そう」ミランシャは頷く。
「温和な性格の優しい子よ。《星神》とのハーフでね。銀色の髪がまた綺麗なのよ。あと、おっぱいが大きいわ」
ミランシャは薬指を立てた。
「三人目。アリシア=エイシス。アリシアちゃん。サーシャちゃんの幼馴染でね。彼女も騎士候補生。蒼い瞳と、絹糸みたいな長い髪を持つ女の子よ。彼女はオトハちゃんとはまた違う凜とした性格をしているわ。アシュ君は彼女を妹分みたいに思っているの。あと、おっぱいは小さい」
ホッとするように、ミランシャが左手で自分の胸に触れた。
「四人目」
「……まだおられるのですか」
小指まで立てるミランシャに、シャルロットは、力なく嘆息した。
気持ちはよく分かるので、ミランシャも苦笑する。
「アタシが知る限りこの子が最後よ」
ともあれ、言葉を続けた。
「けど、実はアタシ、この子とだけは面識がないのよね。ただ、あの女は恋敵として名前を挙げていたわ。だから信憑性はあると思う」
と、前置きしてから、ミランシャはその名を告げた。
「ルカ=アティス。アティス王国と同じ名前なのは偶然なのかしら?」
「―――え?」
シャルロットは、目を大きく見開いた。
「ルカ、アティス? ルカさまがっ!?」
思わずシャルロットは、ミランシャに詰め寄った。
両肩を掴まれ、ミランシャは目を丸くする。
「え? シャルロットさん、その子のこと知ってるの?」
「は、はい。リーゼお嬢さま達の学校の後輩であり、メルティアお嬢さまのお弟子さんでもあります。ただ、彼女は留学生で、今は帰国中であり……」
そこで、何とも言えない表情を見せた。
「彼女はアティス王国出身です。それどころか、第一王女であらせられます」
「……へ?」
ミランシャは、一瞬キョトンとした。
が、すぐに愕然として。
「ええええっ!? ホントなの!? それって!?」
「は、はい」シャルロットが、こくんと頷く。
「ア、アシュ君……、そんな子まで……」
流石に、唖然とする。
「ち、ちなみに、その子のおっぱいは……?」
「……人並み以上には」
「ぬ、ぐ」
射抜かれたように、自分の胸を押さえるミランシャ。
シャルロットとしては、本当に複雑な気分だ。
あの、無垢であどけない少女が、自分の恋敵と言われても困惑する。
「ルカさまの、ご年齢は十四歳。ユーリィちゃんと同い年です。とてもおっとりした性格であり、子犬を思わす少女です。そして、その容姿は群を抜いております」
「そ、そう……」
大きく息を吐き出して、ミランシャは呟く。
「いずれにせよ、これで全員ね」
「……はい。ですが……」
シャルロットは瞳を細めた。
「私達と彼女以外は全員、彼の傍にいるのですね」
「……ええ。その通りよ」
ミランシャは、真剣な顔をした。
「アタシ達は遠方組。言うまでもなく不利な状況にあるわ」
「…………」
シャルロットは、無言でミランシャを見つめた。
「その点でコウタ君と出会えたのは幸いよ。強力なアドバンテージになるわ。今のうちに親しくなる。これに関してはシャルロットさんもアタシと同じ考えよね?」
「……そうですね」
シャルロットは、少し目を細めた。
「コウタ君の信頼を得るのに異論はありません。ですが、ミランシャさま」
そこでわずかに躊躇するが、おもむろにミランシャを見据えて。
「正直に申し上げますと、私の立場は、ミランシャさまや、ルカさま方とは大きく違うのかも知れません。私は、その、クライン君の……」
そしてシャルロットは、自分と彼の出会い。その後に起きたやり取りや、事件について詳細に語った。それは、主人であるリーゼにも語ったことのない話だった。
ミランシャは、シャルロットの話を静かに聞いていたが、終わった後には、悩ましげに眉をひそめた。
「うわあ、それじゃあシャルロットさんって」
「……はい」
シャルロットは頬を赤く染めて頷いた。
「恋敵など関係ありません。私は彼に負けて、勝ち取られた女なのです」
言って、豊かな自分の胸元に片手を当てた。
あの日から、自分は彼の所有物である。その自覚と覚悟が彼女にはあった。
何より、成り行きの上ではあったが、はっきりと「お前はもう俺のモノなんだ」と、宣告までされている。
あの時の、彼の有無を言わせない強引さと力強さは、今でも鮮明に憶えていた。
そして、結果、自分はそれを受けいれたのである。
「彼は、私の愛しきあるじさまなのです」
「……そう」
ミランシャは、足を組み直して嘆息した。
しばしの沈黙。
「……よし」
おもむろに、ミランシャは口を開いた。
続けて、ベッドから立ち上がると、
「ねえ、シャルロットさん」
ミランシャは、シャルロットに手を差し伸べた。
そして、微笑んで告げる。
「皇国は一夫多妻制。以前、そんなことを言ったのを憶えている?」
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