第一章 その国の名はアティス

第235話 その国の名はアティス①

「まさか、な……」


 そこは、パドロの王城・イスクーン城の四階。

 各将軍に割り当てられた執務室の一つ。

 四将軍の一人であるアベル=アシュレイは、椅子にもたれかかって嘆息した。

 その場には、アベル以外にもう一人、人物がいた。


「アシュレイ将軍閣下」


 年の頃は二十代前半か。冷たくも感じるが整った顔立ちに、胸元の前に下げている、太い三つ編み状の薄い桃色の長い髪が印象的な女性騎士だ。

 イザベラ=スナイプス。

『氷結の騎士』の異名を持つ、アベルの副官だった。


「お嬢さまの件、本当に宜しかったのですか?」


「仕方がないだろう」


 アベルは苦笑を浮かべた。


「この状況で、あの子がコウタから離れるはずもない」


「…………」


 イザベラは、無言だった。

 残念ながら、彼女にアベルの娘との親交はほとんどない。

 ゆえに、アベルの娘がどういう性格をしているのか、アベルの養子である少年にどんな想いを抱いているのかは知る由もない。


(なんて不甲斐ないの)


 ここで同意できないのは、イザベラにとって不本意すぎる。

 義娘の心情を察しきれない継母など、情けなさすぎる。

 イザベラは、表情を変えずに深く落ち込んだ。


「しかし、本当に驚いたな」


 部下の心情――乙女心に気付くこともなく、アベルは言葉を続けた。


「まさか、行方不明中だったコウタの兄が、《七星》の一人であったとは……」


 大国・グレイシア皇国において、最強の七戦士に贈られる称号・《七星》。

 その中でも、最強と謳われている第三座。

 彼こそが、コウタの実兄らしい。


「……それは確かに」


 自分の心情は隠し、イザベラは同意する。

 これには、彼女も驚いた。

 アベルの養子。コウタ=ヒラサカ。

 イザベラにとっては騎士学校の後輩であり、親交もある少年だ。

 騎士学校において、歴代最高の天才と謳われる逸材。

 アベルの後継者としても申し分のない少年だ。

 彼は幼い頃に故郷である村を失い、血縁者はすべて亡くなったそうだ。

 唯一、行方不明の兄が生きているとは聞いた事があったが、まさか、隣国にて雷名を轟かす《七星》の一人であるとは思うはずもない。


「しかし、同時に納得もいきます。コウタ君の才を考えれば」


 と、イザベラは率直な感想を告げる。

 むしろ、あの少年の実兄ならば、名を馳せているのは当然なのかも知れない。


「確かにな」


 アベルは苦笑を零した。


「まあ、コウタの兄の件は喜ばしいことだ。驚きはしたが、コウタの兄上殿とは、いずれ場も設けて話をしたいとも思っている」


「それが宜しいかと」


 イザベラは、少しだけ口角を崩した。


「コウタ君の件をあえて置いておくとも、《七星》の一人と親交を持てることは、とても良きことです。むしろ大々的に報じるのも良いでしょう」


 そうすれば、アシュレイ公爵家の威光を、未だ成り上がりと蔑む貴族連中どもに見せつけてやることが出来る。

 内心でそう考えるイザベラに、アベルは苦笑を零した。


「そこまでしては兄上殿も困惑されるだろう。私としてはあくまで我が義息子の私事。大事にするつもりはないのだが……ただ、この件については、レイハートの奴も同じようなことを勧めてきたな」


 ふと、思い出す。

 今回、アベルが許可を出した愛娘達の『海外遠征』。その一行には、アベルの同僚兼、旧友でもある、マシュー=レイハートの娘も同行していた。


『ふむ。肩書きについては特に求めていなかったのだがな。まぁいいさ。折角だ。大いに活用させてもらおうか』


 マシューは、そんなことも呟いていた。

 アベルとしては疑問を抱いたが、マシューの娘は、メルティアと仲が良い。そんな彼女が、長旅で同行してくれるのは非常に有り難かった。


「しかし、アベ……アシュレイ将軍」


 不意に、イザベラは、神妙な声で尋ねた。


「コウタ君のお兄さまは良いとして、もう一人。彼の義姉の方は事実なのでしょうか?」


「……そっちか」


 アベルは、渋面を浮かべた。

 皇国からもたされた情報。それにはコウタの義姉の件も含まれていた。

 曰く、コウタの兄の婚約者。すなわち、コウタの義姉は、かの悪名高い《ディノ=バロウス教団》の盟主であるらしいとのこと。

 これは、にわかに信じ難い話ではあったが、信憑性は高いとのことだ。

 アベルは肘を机につき、指先を組んだ。


「正直、我々としては情報に確信が持てない。これについては一度、コウタの兄上殿に話を聞くしかないだろう」


 そのために『海外遠征』を許したのだ。

 コウタ達は今、彼の兄が暮らすという小国に赴いている最中だ。

 今頃はきっと、船上の人になっているに違いない。


「あの子ならば真実に辿り着くはず。すべてはコウタに託そう。私の未来の義息子に」


「……はい。そうですね」


 ――私達の義息子に。

 心の中で、そう言い直すイザベラ。

 まあ、そんなことには気付かず。


(コウタ。頑張れよ)


 アベルは、目を細めて義息子へエールを贈った。


(お前の兄上殿に宜しくな。もちろん、メルのこともな。そしてメル。お前にとっては義理の兄となる方だ。失礼な事なく挨拶をするんだぞ)


 引きこもりの愛娘には、少しだけ不安を抱きながらも。

 愛しい子供達の旅路を祈るアベルだった。

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