第8部

プロローグ

第234話 プロローグ

「な、なん、じゃと……?」


 不意に零れる呟き。

 彼女は、その紫色の瞳を大きく見開いていた。

 そこは《黒陽社》第3支部。

 主に薬物の開発と生産を行う、まるで研究所のような建造物。その第三会議室だ。

 大きな楕円状の机に、それを囲う十数人が座れる席。

 だが、その場には今、六人の人間しかいなかった。

 四人が対角線上に座り、二人の人間がそれぞれの上司の後ろに控えていた。

 驚き、愕然とする彼女は、椅子に座る人物の一人だった。


 歳の頃は十四、五歳。

 美麗な顔立ちに、身長こそ同年代よりもかなり低いが、抜群であるスタイル。

 背中まである淡い菫色の髪は緩やかに波打ち、獣人族のネコ耳を彷彿させるような癖毛を持っている。首には蒼いチョーカー。少し大きめのワンピース型の蒼いドレスに、両足には紐付きの長いブーツを履いている。


 リノ=エヴァンシード。


《黒陽社》第1支部の支部長にして、社長令嬢。

 さらには《九妖星》の一角であり、《水妖星》の称号を持つ少女である。


「そ、それは真の話なのかッ!?」


 ――バンッ!

 机を強く叩き、リノは立ち上がった。

 その視線は、眼前に座る少年に向けられている。


「お、お嬢さま」リノの後ろに立つ部下――ゲイルが困惑した声を上げる。「どうか落ち着いてください。ボーダー支部長に失礼になります」


「構わん。気にするな」


 と、告げるのは、黒いスーツで身を固めた少年だ。

 年齢は十代後半か。

 しかし、放つ雰囲気は、とても十代のものではない。

 灰色の髪を持つ、冷酷とも言えるほどの冷たい眼差しを持つ少年である。


「まさか、リノ嬢ちゃんが、あの小僧と知り合いだったとはな」


 少年――《木妖星》レオス=ボーダーが、皮肉気に笑う。

 次いで、懐から安物の煙草を取り出すと、ボッと火を点けた。

 ふうっ、と紫煙を吐き出す。


「だが、十中八九、真実だと思うぞ」


 レオスの台詞に、リノは目を見開くばかりだ。

 すると、


「そうですか」


 別の人物が、感嘆の声を上げた。


「それは、私も気になりますね」


 椅子に座る人物の一人。彼も黒いスーツを纏っている。

 いや、そもそもリノ以外は、全員が黒いスーツ姿だ。


「まさか、クラインさんに、弟さんがいらっしゃったとは……」


 あごに手をやり、感慨深げに呟く彼は、ボルド=グレッグ。

 中間管理職という言葉を具現化したような、しょぼくれた格好。温和な顔つきに、常に笑っているような細い瞳を持つ四十代後半の中年男。

 だが、その実態は、《黒陽社》における九大幹部の一人。《九妖星》の一角、《地妖星》の称号を持つ男だ。

 彼の傍らには、赤い眼鏡をかけた美貌の秘書。カテリーナ=ハリスの姿もある。

 彼女もまた、レオスから告げられた情報に困惑の表情を見せていた。


「しかも」ボルドは視線をレオスに向けた。「ボーダー支部長を、姿に追い込むほどの実力者ですか」


「……ふん。言い訳はせんよ」


 レオスは、煙草の火を灰皿に擦りつけた。


「あの小僧は強い。《七星》にも並ぶほどの強者だ」


「そ、そうかの?」


 レオスの宣言に、何故かリノが頬を赤く染めた。


「ま、まあ、わらわの未来の旦那さまだからの! 強いのは当然じゃ!」


 言って、大きな胸をたゆんっと揺らした。

 が、すぐに悩ましげな表情で頬に手を当てて。


「しかし、コウタの兄上があの《双金葬守》とはの。困ったものじゃ……」


 ――《七星》の第三座。《双金葬守》アッシュ=クライン。

 彼女達にとって天敵とも言える《七星》の中でも最強と謳われる人物だ。


(……むう)


 リノは、本気で頭を悩ませた。

 コウタと結ばれるのは確定事項。それに変更はない。

 しかし、そこまでに至る道程が、より険しくなったのは確実だ。

 リノの背景も大概だが、コウタの方も相当なものだ。

 なにせ、兄は《七星》最強。

 そして――。


(盟主殿め。コウタの素性を知った上で、わらわに隠しておったな)


 リノは、眉をひそめた。

 温和な雰囲気を持つ黒髪の女性に、不満を抱く。

 伝えられた、もう一つの事実。

 驚くべき事に、コウタの義姉は《ディノ=バロウス教団》の盟主であるらしい。


(まぁよいか。事実は変わらぬ。それよりも、どうしたものかの)


 まずは義姉上か、義兄上に挨拶をすべきだろうか。

 と、リノが、そんなことを悩み始めた、その時だった。


「……ククク」


 不意に、くぐもった笑い声が部屋に響いた。

 この場にいる最後の人物。

 椅子に腰をかける三十代半ばの男だ。

 まるで古の戦士を思わせる泰然とした佇まい。

 右側の額に大きな裂傷を持つ、頬のこけた人物である。

 彼は、くつくつと笑っていた。


「どうかしたのかの? ラゴウ」


 リノが眉をひそめて尋ねる。と、


「いえ。失礼しました。姫」


《九妖星》の一角。《金妖星》ラゴウ=ホオヅキが謝罪する。


「随分と機嫌がいいようだな。ラゴウ」


 と、レオスも尋ねた。


「ふふ、それも当然でしょう」ラゴウは、最古の《九妖星》に目を向けた。「これほど喜ばしいことは実に久しい」


 言って、ラゴウは双眸を細めた。


「――素晴らしい」


 再び、口角を不敵に崩す。


「吾輩が見初めたあの少年。吾輩の想像の上を行ってくれる」


 その驚くべき素性以上に。

 今や、最古の《九妖星》を追い込むほどに成長した実力。

 ラゴウとしては、喜ばしい限りであった。


「ますますもって、再び対峙する時が楽しみになったな」


 思わずそう呟くと、


「ああ、そうだな。俺も同感だ」


 レオスが、二本目の煙草を取り出して同意した。


「さて。そろそろ本題に入るか」


 ボッと火を付け、三人の同胞達に目をやる。


「今回の件。俺も色々と思うところがあった。ゆえに、部下を使って、あの小僧の動向を監視していたのだが、あの小僧め。面白い行動を見せた」


「面白い行動? 弟さんは一体何を?」


 ボルドが眉根を寄せる。レオスは「ふむ」と呟いた。


「本来は俺の個人的な計画だったのだが、こうしてお前達も都合がついた。どうだ。俺から一つ提案がある」


 レオスに注目する《九妖星》達。

 そんな中、レオスは紫煙を吐き出して、皮肉気な笑みを見せた。


「いい機会だしな。お前達。俺の計画に付き合ってみる気はないか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る