第232話 《悪竜顕人》⑥

「そろそろ、騒がしくなってきたかしら?」


 ポツリ、とサクヤが呟く。

 穏やかに会話をしていたら、思いの外、時間を費やしてしまった。

 サクヤは、ゆっくりとソファから立ち上がった。


「……サクヤさん」


 リーゼは、彼女を呼び止めた。


「もしかして、お帰りになられるのですか?」


「うん。お暇するわ。どうやら待ち人も来たみたいだし」


 サクヤがそう答えた瞬間だった。

 ――ズズゥンッ!

 まるで隕石が落下したような轟音が庭園から響いたのは。


「……何事だ」


 ジルベールが、鋭い眼光で庭園を見やる。


「ふふ、意外と私の義弟も派手好きだわ」


 言って、サクヤは応接室にあるバルコニーへと向かった。

 従者であるジェシカも彼女に続く。こうなって来るとリーゼ達も無視できない。それぞれが立ち上がり、警戒した様子で彼女達の背中を追った。


「――っ! あれはっ!」


 そうして、バルコニーに出た彼女達の中で最初に声を上げたのはリーゼだった。

 彼女の視線の先にいるのは、一機の鎧機兵。

 炎を纏う《ディノ=バロウス》の姿だ。

 他にも百機単位の鎧機兵がいるのだが、彼らは唐突に現れた尋常ではない恒力と、恐ろしい姿を持つ悪竜の騎士に困惑して間合いを取っていた。


「……おお、これは何という威容か」


 ジルベールが思わず感嘆する。

 そんな中、《ディノ=バロウス》の炎は徐々に収束していた。そして《ディノ=バロウス》は一歩ずつバルコニーに近付いてきて――そこで停止した。

 一秒、二秒と沈黙する。

 悪竜の騎士は、呆然と一人の女性を見ていた。

 バルコニーにて、黒い髪をなびかせる一人の女性だけを。

 そうして、

 ――プシュウ、と。

 胸部装甲ハッチが開かれる。

 開かれた胸部の縁に片足をかけ、出てきたのは一人の少年。コウタ=ヒラサカだ。

 彼の後ろには、困惑と緊張が混在した顔を見せる少女の姿もあった。

 そして、呆然と目を見開く少年は、呟いた。


「ね、えさん……」


「うん。久しぶりだね。コウちゃん」


 サクヤは、微笑む。

 それは、八年前と何も変わらない笑顔だった。

 あまりにも懐かしい。抑えがたい郷愁の念が胸を打つ。


「本当に、サクヤ姉さんなの?」


「ええ、そうよ」


 サクヤは、バルコニーの柵にそっと手を触れた。


「大きくなったね。コウちゃん」


 そう告げられ、コウタは今にも泣き出しそうな顔をした。

 グッと拳を強く固める。

 込み上げてくるものが多すぎて、叫んでしまいそうだった。

 だが、そんな心境だからこそ、かえって言葉を見失ってしまった。


「……あの男の言う通り、本当に姉さんがここにいるなんて……けど、一体、どうして姉さんがここに?」


 結局、伝えたい想いが多すぎて、そんな質問が先に出てしまった。

 サクヤは、ふっと笑う。


「……レオス=ボーダーから、私のことを聞いたの?」


「……うん。姉さんに会いたいのなら、ハウル邸に行けって」


「……そう。あの男には勝った?」


「……一応。けど、結局逃げられたよ」


 そう告げるコウタに、ジルベールは「――ほう!」と目を剥き、ミランシャとアルフレッドは驚いた顔をしていた。

 サクヤとコウタは、再び沈黙した。

 感情が多すぎて、緊張しているのはサクヤも同様なのだろう。

 柵に触れる彼女の手は、わずかに震えていた。

 沈黙は続く。

 リーゼもジェイクも、息を呑んで成り行きを見守るだけだ。

 アイリは、シャルロットの手をギュッと掴んでいた。

 そして、メルティアは、ただ静かにコウタの後ろ姿を見守っていた。

 彼らの事情を知る者ならば、この時間には割って入れない。

 それほどまでに、この時間は特別だった。

 しかし。

 ズシン、ズシン、と周囲の鎧機兵が徐々に間合いを詰めていた。

 彼らが二人の事情を知るはずもない。

 あくまで、正体不明の侵入者と捉えていた。


「……無粋な輩め」


 その時、ジェシカが不快そうに呟いた。

 彼女にとって、サクヤもコウタも大切な人間だ。

 出来ればこの時間を見守っていたかったが、これ以上は主君が危険だった。


「……姫さま」


 心苦しい思いで進言する。


「そろそろ撤退を。これ以上は危険です」


「……ええ。そうね」


 サクヤが頷く。するとコウタが驚きの声を上げた。


「……え? ジェシカさん?」


 ようやく、彼女がサクヤの傍に立っていたことに気付いたのだ。


「はい。またお会いできて光栄です。コウタさん」


 ジェシカはある意味、自分のもう一人の主人である少年に頭を下げた。

 女の直感だろうか。わずかに弾んだ様子の彼女の声と、少しだけ照れがある仕草から、メルティア、リーゼ、アイリの眉がピクリと上がる。


「ど、どうして、あなたがここに?」


「私は姫さまの――サクヤさまの護衛ですから。それよりも姫さま」


「ええ。分かっているわ」


 サクヤは、視線をコウタに向けた。


「ごめんね。コウちゃん。積もる話はそれこそ数え切れないぐらいあるけど、今日はここまで。私は行かなくちゃならないの」


「え? ど、どこに行くの!?」


 八年の時を経て、やっと再会できたのに。

 泣き出しそうな顔を見るだけで、義弟がそう考えているのが分かる。


(……コウちゃん)


 出来ることなら、ギュッと抱きしめてあげたい。

 彼が、どれほど辛い思いをして生きてきたかは想像に難くないから。

 しかし、今、それをする訳にはいかなかった。


「ごめんね。コウちゃん」


 サクヤは、告げる。


「私にはここには居られない理由があるの。本当にごめんなさい。だけど、きっとまた会えるから。そう――」


 そこで彼女は南方の空を指差した。


「ここから遙か南方の小国・アティス王国。そこにトウヤがいるわ」


「……え」


 コウタは、唖然とした表情で義姉の顔を見上げた。


「そこに向かってコウちゃん。私も必ず行くから」


「南方の小国? え? アティス王国って、まさかルカの故郷の? ま、待って、サクヤ姉さん! どういうことなのさ! トウヤ兄さんは一体――」


 と、言いかけたところでコウタは目を剥いた。

 何故なら、突如、義姉の長い黒髪が黄金に輝き始めたからだ。しかも、その背中から巨大な光の翼まで生えてきた。まさしく女神の如き神々しさに、コウタはもちろん、その場にいた者全員が言葉を失い、魅入ってしまった。

 義姉はジェシカの手を掴むと、光の翼を羽ばたかせて上昇した。


「今度は三人で」


 黄金の髪をたなびかせて、光を纏うサクヤは微笑んだ。


「アティス王国で会いましょう」


 そして翼を強く羽ばたかせて、さらに飛翔する。

 その速度は驚異的で、地上の鎧機兵達では追い切れないものだった。

 困惑を宿した静寂に包まれる庭園。

 サクヤは、去って行った。

 こうして《黄金死姫》によるハウル邸訪問は幕を閉じたのである。

 

 そして、舞台は移る。

 遙か南方に位置する小さな島国。

 アティス王国へと――……。

 ………………………。

 ………………。

 その青年は、一人空を見上げていた。

 雲が流れる青い空。

 その中で、羽ばたく一羽の鳥に目をやっていた。

 しかし、見飽きたのか、不意にボリボリと頭をかいた。

 彼の髪は、まるで雪のように真っ白だった。

 わずかに毛先だけが黒い。そんな変わった髪だ。


「さて。仕事に戻っか」


 そう呟くと、青年は振り向いた。


「休憩中?」


 と、そこには小柄な少女が立っていた。

 歳の頃は十四歳ほど。人形を思わせるほど整った鼻梁に、肩まで伸ばした空色の髪。翡翠色の瞳が輝く、美しい少女だ。ただ、青年とおそろいの、鎧機兵の職人が着るような白いつなぎが、彼女の神秘性を著しく阻害してはいたが。


「疲れたの?」


「ん、いや、ちょっと気分転換にな。さっき一仕事を済ませたから」


「……本当に気分転換?」


 あまり感情を見せない少女は、心配そうに眉をひそめた。

 家族として長く一緒に暮らしてきた彼女は、青年の心境にとても敏感だった。

 今も少し様子が違って見えた青年の心配したのだろう。


「心配してくれてありがとうな、ユーリィ」


 青年は二カッと笑うと、少女の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 撫でられることが嬉しい少女は、しばしされるがままでいたが、


「本当に何があったの?」


 本題を誤魔化させたりはしない。

 青年は、苦笑した。


「まあ、さっきのお客さんの機体でちょいと思い出してな」


「さっきのって……」少女は背後に目をやった。そこは彼女達の工房だ。

 主に鎧機兵の整備を行う、青年の経営する店舗である。


「農作業用の機体? 珍しくないと思うけど」


「まあな。型落ちの量産品だよ。けど、あれって俺の村でも使ってたんだよ」


「……そうなの」


 青年の過去を知る少女は、わずかに表情を暗くした。

 そんな彼女の様子に気付き、青年はあえて明るく笑う。


「おいユーリィ。気にすんなって。まあ、そんでちょいと昔を思い出してな。よくあの機体で弟に鎧機兵の扱い方を教えてたもんだなってな」


 青年の台詞に、少女は少し驚いた。


「弟がいたの? 初めて聞いた」


「言う機会もなかったしな。もう八年も前に死んじまったし。ただ、もし生きてたら、歳はユーリィやルカ嬢ちゃんよりも一つ上ぐらいだったな」


 そう告げる青年の横顔は、とても寂しそうだった。

 少女の胸が、強く締め付けられる。

 そして、


「……私はずっと一緒にいるから」


 キュッ、と青年のつなぎの裾を掴んでそう告げる。


「はは、ありがとな」


 青年は、少女の両腰を掴んで高く持ち上げた。


「けど、そんなに心配しなくてもいいぞ。すっげえ寂しいが、いずれユーリィだって嫁に行く時が来るだろうしな」


 そんなことを宣う。

 少女はジト目で青年を睨み付けると、ぶすっと頬を膨らませた。


「……朴念仁」


「ん? 何か言ったか?」


「もういい。とりあえず降ろして」


「そんなこと言うなよ。ははっ、ユーリィをこうやって持ち上げんのも半年ぶりぐらいだな。少し大きくなったか? お父さんとしては感無量だな」


 青年は、少女を抱えたまま、呑気に笑う。

 少女の額に青筋が立った。


「いいから降ろせ。塵にするぞ」


「……うん。それって俺の口癖だよな。俺が言っても説得力はねえが、あんまおっかない言葉を使うなよ、ユーリィ」


 青年は少女を降ろした。

 少女はまだ不機嫌なままだったが、


「けど、本当にありがとな」


 青年は、優しく少女の頭を撫でた。

 ただそれだけで。

 少女の怒りは、徐々に治まってしまった。


「……むう」


 とは言え、まだ少しだけ拗ねてはいたが。


「じゃあ今度の休み、私とデートして欲しい。最近はルカばかりに構っている気がするから不公平。それで許してあげる」


「ん? 何だ? ユーリィ。何か欲しいもんでもあんのか? そんぐらいならいつでも付き合ってやるぞ」


「……むう。この朴念仁は一体どうすれば治療できるんだろう」


 これは彼女の……いや、の、もはや命題であった。

 ともあれ、今は仕事が優先だ。


「そんじゃあ、今日の分、もう一頑張りすっか! ユーリィ!」


 青年が少女の頭をポンと叩いて言う。

 対し、何だかんだで機嫌を直した少女は、微笑みを浮かべて返した。


「――うん。頑張ろう。アッシュ」

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